第28話


進藤先生は美香子から受け取った契約書を入念に確認し丁寧に引き出しへ戻すと、ゴホンと軽く咳払いをした。


「ご協力感謝します。では、まずは僕の役職から説明しましょう。現在僕はこの病院で脳神経外科の医師として働く一方脳科学について研究し論文を執筆しています。その脳科学に付随して魂と夢についても研究しています」


「魂と夢・・・ですか?」


脳科学との関連性が見えない単語に戸惑った美香子に先生は「当然の反応です」と続けた。


「一体脳とどんな関係があるのか疑問に思うことでしょう。実は、これらは全て記憶という単語で繋がられているのです。言うより見た方が早いでしょう」


そう言って先生は部屋の片隅に置かれたホワイトボードを引っ張り出してきて、マーカーで三つの円を書いた。一つ目の「脳」二つ目に「魂」三つ目に「夢」と書き足す。


「小難しい話は省くとしよう。まず、脳には多くの記憶が存在する。もちろん、きみが見て聞いて感じたことすべて記憶される。脳はすべてを記憶している。ただ僕たちが思い出せないだけなんだ。そこでまず関係してくるのが夢だ」


先生が脳から夢へ矢印を引っ張る。


「夢は僕たちが思い出せなくなった記憶を映し出している。これは見たままだけでなく、記憶が再構築されて映し出されることもある。この現象は夢だけでなく、何かトリガーとなる景色や匂いを感じたときにも起こる。デジャビュというやつだ」


美香子は、あっ、と小さく声を漏らした。つい最近同じことを経験したばかりだ。

でも・・・

何か言いたそうな美香子を察して、先生はわかってる、と頷いた。


「絶対に経験しないと言い切れるようなことがフラッシュバックすることがある。そこで関係するのが、魂だ。」


先生は、魂から脳へ矢印を引いた。


「人間は死んだらどうなるか?僕は宗教勧誘をしたいわけではないし、それらしい思想を唱えて納得させたいわけでもない。だから、この正解のない問いに対する答えを要求はしない。僕たち人間は死んだら肉体が燃えて灰になる。小さなツボに入れられ、時が来たら供養される。では、僕たちの意思はどこへ消えるのか?僕は、魂は存在すると思っている。継承された魂が脳を司ると考えているんだ」


美香子は唖然として聞いていた。

そんなバカなことがあるはずないと。

しかし、それを覆す知識もまた皆無だった。


「生まれたばかりの赤ん坊は前世の記憶があるという。しかし、前世の記憶は赤ん坊だけでなく、今だって僕たちは誰しもが持っているんだ。ただ、新しいことを吸収するたびに脳の奥深く底へ追いやられてしまっているだけなんだよ」


「先生は、それを解明しようとしているんですか?一体、なんのために?」


進藤は口の端を上にあげて、ニタっと笑った。


「人類の起源を知るためさ」


「人類の?」


「そうさ。ホモサピエンスが我々の祖先とされている根拠、聖書でアダムとイブが追放された理由。それは、自我を持って思考する能力があるからだ。人間は考えて行動する点で他の動物と違う。僕はこの研究で人々の過去を知りたいんだ」


進藤先生がマジックのキャップを閉じた。カチッと音が響いた。

美香子はにわかにはそんな仮定信じられなかった。もし、すれ違った人に言われたら絶対に信じない。それどころか、頭がいかれているとなじっていた。

しかし、専門家から聞かされると反論したいのにできない。


「過去を知ってどうするのですか?」


振り絞った声で訊いた。震えているのが美香子は自分でもわかった。


「過去を知ることは未来に繋がる。人類の起源を知ることで、種の発展に役立てたいんだ」


先生はデスクに置いていたミネラルウォーターのペットボトルを開けて飲んだ。

美香子は、明代を見た。明代はすでにこの話を知っているようで、目が合うと微かに微笑んだ。


「そうそう。それで、きみの話に戻るとしよう。高山さんから聞いた話では、きみは、きみの前世を知る人間と知り合った。きみは半信半疑だが、その男性と接触するうちにきみの中で知らない記憶が蘇るようになった。そうだね?」


美香子は小さく頷いた。

先生はその反応を確かめて話を再開した。


「これは非常に興味深い。なぜなら、大体記憶が蘇るのは無意識な状態だからだ。例えば、夢の中、泥酔した時、景色を無心で眺めていた時、などだ。その中で僕は記憶が現れる頻度の高い夢に注目している。実際に何人か被験者に協力してもらっている。そこにいる高山さんもその1人だ」


美香子は驚いて明代を見た。今度は目が合わなかった。明代は真剣な表情で進藤を見ていた。


「しかし、きみの場合これまで皆無だった現象が男性と出会ってからたびたび起こっている。何がそれを起こさせているのかわからないから、ぜひ僕に解明する協力をさせてもらえないだろうか」


強い西日が窓から差し込んだ。日が傾きかけていた。

美香子は日差しが眩しくて目を細めた。室内が薄いオレンジ色に染まっている。

先生の影が美香子の方に長く伸びている。


「もちろん、無理にとは言わない。この研究をすると言うことは、きみの前世を知ることになる。つまり、きみの運命がわかってしまうからね」


「どうして過去を知ることで運命がわかるのですか」


先生の表情が動くのがわかった。逆光ではっきりとは見えなかった。


「前世で徳を積めば来世で報われると言われるだろう?根拠もないのにそんな話がいきなり出てくるわけはない。昔、誰かがそのことを思い出したんだ。そして、今でもそう伝承されている。だから、前世の記憶を知ると言うことはきみのこれからの人生が幸か不幸かどちらに転ぶかがわかると言うことだよ」


先生はためらいもなく言い切った。

美香子は息を飲んだ。これまで断片的に思い出した記憶が頭を巡った。


「そうですか、わかりました。では・・・・・」


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