第23話
もう一度、ちゃんとチョコを渡そう。
帰り道、美香子はそう決心して、デパートへ向かった。
イベント後のお店は移り変わりがシビアで、もう一週間前ほどの賑わいはなかった。チョコも人気なものは売り切れのまま再入荷はされておらず、ショーケースが寂しいことになっているお店も何軒かあった。
信一が残業していたのを確認した。何時まで残っているかわからないため、一刻も早く選ばなければならない。
早足で、でも目はじっくりと一つ一つ美香子はチョコを吟味した。
信一が甘いのが好きなのか苦いのが好きなのか、シンプルなのが好きなのかフルーツが入っているのが好きなのか、何にも好みなんて知らなかった。
気持ちばかりが焦る。どれにしよう。
そのとき、美香子の目に飛び込んできたチョコがあった。
あ、これだ。
美香子は早速お会計をして、急いで店を出た。
会社について、事務所に行こうかここで待ち伏せしようか悩んでいると、運よく建物から出てくる信一が見えた。
近づこうと歩いたとき、反対側から誰かが先に近づいた。
「篠宮さん!」
鼻にかかったキーの高い声。祐奈だった。
「あの、これ、もらってください!」
祐奈が手に持っていた紙袋を差し出した。
暗くてよく見えないが、高級そうな雰囲気がある。
超本命チョコだ。
どんな反応をするのか美香子までドキドキしていた。
信一は、数秒間を置いて「ありがとう、嬉しいよ」と応えた。
美香子は、ショックを受けた。
「嬉しい」という言葉を誰にでも言っていることに対してもやっとしたということはすぐにわかった。
バカだな、私。あんな言葉を真に受けて。
美香子は手にした紙袋を力なく握って帰ろうとした。
信一の声が聞こえてきた。
「しかし、これは受け取ることができません。すみません」
「どうしてですか?」
祐奈の声は震えていた。
怒り、嘆き、疑問、いろんな感情が含まれていた。
「矢野さんの本気の気持ちに僕が応えることができないからです」
「私のどこがいけないんですか?」
苦しみに満ちた声で祐奈が叫んだ。
どうして自分が選ばれないのか、信じられないといった様子だった。
「矢野さんはとても素敵な人です。ダメなのはあなたではなくて、僕です。とても大切な人がいて、その人のこと以外は考えられません」
だから、本当に申し訳ございません。信一は深く頭を下げた。
「それは・・・本田さんですか?」
祐奈の問いに信一は「はい」と応えた。
「あの人のどこがそんなにいいんですか?篠宮さんを私に紹介してくれたのは本田さんですよ?篠宮さんのこときっと何とも思ってないですよ?」
それでもいいんですか?と言った声には嗚咽が混じっていた。
悲痛な叫びをあげる祐奈。おそらく、ここまでの屈辱を味わったのは初めてのことだろう。
「いいんです。僕は彼女の幸せを願っているだけですので」
信一がどんな表情をしているのかは見えない。でも、温かみにあふれた声だった。
だから、余計に祐奈の神経を逆なでした。
「気持ち悪いです。もう、勝手にしてください」
バシっと音がして、コツコツコツとヒールが駆けていく音がした。
そっと覗いてみると、信一がしゃがんで何かを拾っていた。
祐奈がチョコの入った紙袋を投げつけ、走って行ってしまったようだ。足音が遠くなっていって、遂には聞こえなくなった。
シーンと静けさだけが残っていた。
信一がゆっくりと歩き出した。駅のある方だった。
祐奈と一定の距離があくまで時間を置いたのだと推察された。
今行かないと、もう渡せない。
わかっているのに、体が、足が、重くて動かない。
祐奈の告白を見てしまったから、ここで信一にチョコを渡すのはずるい人間のように思えて、気が乗らない。
信一の姿が夜の闇へと消えていくのを、美香子は黙って見届けるしかなかった。
美香子も帰るには駅へ行く必要がある。
トボトボと、信一に決して追いつかないことだけを考えて歩いた。
駅が近づくにつれて人が多くなってきた。
明かりも増えて、周りの人の顔もよく見えた。
自分のことも周りからはっきり見えているのかと思うと、いかにも美香子に不釣り合いな紙袋を持っているのが急に恥ずかしくなってきた。
もちろん、人が思っているより周りに無関心なことも知っている。それでも、慣れないデザインの紙袋は、美香子を自意識過剰にさせた。
もう不要なものだし、そこのゴミ箱へ捨ててしまおうか。
公衆トイレの横に設置されたゴミ箱が目に入った。
ブスが振られてゴミを捨てた、と周りに思われても構わない。この袋を持って電車に乗る方がよっぽど惨めな思いをするに決まっている。
美香子はゴミ箱へ向かって歩き出した。
公衆トイレから出てきた人とぶつかりそうになって慌てて謝った。
「何しているんですか?」
声が降ってきて、体が硬直した。
顔をあげると、そこには恐ろしい顔をした
祐奈がいた。
目がほんのりと赤かった。
泣いた後にトイレで化粧直しをしていたようだ。
「私のこと、嘲笑いにきたんですか?」
祐奈は挑発的に言った。
しかし、その声にはいつもの迫力は感じられなかった。
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