第15話
早速、その日の午後に祐奈から「篠宮さんにおっけーもらいました~」と報告があった。
給湯室でため息をついていると、明代が入ってきた。
「どうしましたか?ため息なんてついて」
明代は長い髪を一つにまとめ、眼鏡にスーツといつも通りのスタイルだった。
あの年末のバーでの出来事が夢だったんじゃないかと思えてくる。
「いえ、すみません。何でもありません」
そう、と明代は頷いた後、「困ったことがあったら何でも相談してね」と優しく微笑んだ。
あぁ、やっぱりあの日のことは現実なんだ、と実感した。
スマホの電話帳には、明代の番号がしっかりと登録されている。
井口さんの番号と入れ替わって。
ランチの後、番号もメールもすべて消去した。
勢いに任せて消したから、今になって未練が生まれてきた。
たとえ結婚していたとしても、たくさんの人生初めてを経験させてくれたひとで、本当に愛していた。
もし強引に誘われたら、今でも拒める自信はない。
帰宅して、ソファに身を委ねたときに祐奈からメールが来た。
結局ソファはネットで購入した。
楽に手に入れた分、愛着も湧かない品質だった。
背もたれは背骨と首に負担がかかるし、お尻は深く沈みすぎるし、手すりは高すぎる。
値段が高ければ性能も優れているだろう、と安易に考えた自分を殴ってやりたい。
すぐにでも買い替えたいのに、高い価格だからこそなかなか手放せなくなってしまった。
気が重くなりながらメールを開いた。
色とりどりの絵文字がチカチカと目に飛び込んできた。
『お疲れ様です⭐️ランチで話した件、お店予約したのでお知らせします🐣💘1月17日19時に矢野で予約してます🍷楽しみにしています🧡💜』
文面の下にお店のURLが貼付してあった。
イタリアンのお店だった。品揃え抜群おいしいワインとパスタが楽しめるお店、と謳い文句が記載されていた。
ワイン、苦手なんだよなぁ。
美香子は今日何度目かわからないため息をこぼした。
決戦は金曜日。
歌ったことはないけど、聴いたことはある。
戦闘の準備は不十分だし、退がりたいし、仮病を使ってでもキャンセルしたい。
明代に代わりに行ってもらおうかという考えが頭をかすめた。
でも、それなら自分で行く。
明代に悪い、という申し訳ない気持ちの裏でなぜかチクっと胸が痛んだのは見て見ぬ振りをした。
お店には10分前に着いた。店内を覗くと、間接照明の明かりしかない暗さで、ウェイターがワインを注ぐ姿やお客さんがナイフで料理を切る姿が目に入り、萎縮してしまった。
祐奈は時間にルーズだ。きっとまだ来ていないだろう、と外で待つことにした。
息を吐くと白い空気が寒い冬空に舞い上がって消えていく。
手袋を忘れたせいで手がかじかむ。ポケットからもう出す気にはなれない。
マッチ売りの少女のワンシーンを思い出した。寒い外から暖かい料理と家族がある家の中を覗く場面。
主人公の女の子はひもじいまま雪に埋れて死んでしまう。死ぬ前に幸せな夢を見るけど、誰も助けてあげなかったことに怒りを覚えた。
最後のシーンはどんなだったっけ、と思考を巡らせた。
思い出せそうで思い出せない。
体温が下がってきて、冷たくなった耳のせいで頭が痛くなってきた。
あと、もう少しで思い出せそう。
脳裏に女の子が映った。
でも、記憶の中のマッチ売りの少女じゃない。
寒そうに凍えている。
「おねえ・・ちゃん、たすけて・・・」
消え入りそうな声でポツリポツリと言った。
ごめんね・・・・
胸が痛んだ。
あれ、今のはだれの気持ち?
・・・わたし?
頭痛がひどくなってきた。
美香子は気分を落ち着けようと深呼吸をした。
携帯に着信が入った。
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