願い

 夕方ごろ、窓の外を眺めていると買い物用の籠を抱えたエヴァが目に留まる。


「わっ!!」


 私が肩を叩くとエヴァは大げさに身じろぎする。こちらを振り返ったエヴァの表情はぱっと気安いものへと変わった。


「なんだ、おじさんか」


「…私とアルスは同い年なんだけどね?」


「うん、わかってて言ってる」


 エヴァンジェリンはそういって人懐っこい笑顔を向けてきた。


 ヌールドーブの市場は目抜き通りが主だ。ここで待っていればエヴァンジェリンと出くわすものと、実のところ狙いをつけていたのだ。


「おじさんどうして宿に泊まってるの?折角だからうちに泊まればいいのに」


 エヴァのこの様子だとアルスは何も話していないのだろう。だからといってあの不器用な男が隠し通せる訳などない。おそらく聡いエヴァはアルスの様子を見て気を揉んでいることだろう。


「…議論が白熱して少し怒らせてしまってね、まあ近々また伺うよ。エヴァの料理も是非また食べに行きたいしね」


「ホント!?」


 エヴァは屈託なく笑う。私は胸が痛んだ。


 エヴァは私の複雑な表情を見て取ったのか、無言でこちらの言葉を待った。


「エヴァ……もし王都に来て君の性分化が出来るとしたら……君はどうする?」


 エヴァは一瞬、驚いた様な顔をしたが、少しのち悲し気な顔をした。


「……それは…無理だよ…」


 その次の言葉に私は耳を疑った。


「だってアルスは、王都に行くことも、私が性分化することも望んでないから」


 私はエヴァの放った言葉に愕然とした。


「エヴァ……君はホムンクルスなんだぞ……?ホムンクルスには人と同じ権利が認められているんだ」


「…出来損ないの私が望んでいいことじゃない…」


「……エヴァ……よく聞いてくれ……」


 私はエヴァの両肩に手を置き、初めの日にしたように膝を折ってエヴァと目線を合わせた。


「人もホムンクルスも誰しも願いや望みというものを持つんだ。君とアルスは違うんだ。君の望みをアルスと同化させてしまうのは…それはとても残念なことだと……私は思う…」


「私の……望み……」


 私はエヴァの視線を追っていくと目抜き通りの建物に切り取られた空を横切って白いかもめが飛んでいった。


「……望みかはわからない……でも……私はよく夢を見る…………白い白い夢を見てると……私はヌールドーブの街を遥か下方に俯瞰していて………気が付けば私はかもめになって空を飛んでいる………でもその山の向こうや海の向こうへ行こうとすると……必ず夢から目が覚めてしまう…………………私は…………どこまでも自由に飛んでいける……かもめになりたい……」


 エヴァはどこを見つめているのか、空虚な目でそう言った。私はエヴァのその様子に深い悲しみを感じた。


「エヴァ……君を………君とアルスを縛り付けているものは……その正体は一体何なんだ?」


「……お母さん……」


 ぼそりと告げられた言葉に私は耳をそばだてた。


「アルスの大事にしてる写真……あれはね……アルスのお母さんの写真なんだよ……知ってる?……アルスは私をアルスのお母さんそっくりに作った……でもアルスは私を愛してはくれない……アルスは…お母さんのところにずっと心を置き去りにしているから…」


 エヴァは私にようやく目線を合わせると、まるで何かを訴える様に言った。


「…それでも私は、アルスが一緒にいてくれるならそれでいいって思った。性分化だってしたかった…出来ることならアルスと結ばれたいって……思ったこともあるけれど……それをアルスが望まないなら私だって望まない…愛するってそういうことじゃないの?人が人を大事にするってそういうことじゃないの?」


 私は目の前の悲しきホムンクルスを見るに堪えず、ただ黙っていることしかできなかった。


「私に……ホムンクルスに……人を愛することなんて難しすぎるよ!!」


 エヴァは籠を私にぶつけるように放ると市場を逃げる様に駆けていった。


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