アルケミー・ロウ

 エヴァンジェリンが用意してくれた魚を使った料理は王都では滅多に口にしない珍しいスパイスや魚醤が使われており大変美味だった。


 エヴァは食卓からてきぱきとした動きで流し場へ食器を片付けていく。


 日の暮れた家の窓からは港や家々の灯りが見え、海からの微かな潮の香りが鼻孔をくすぐる。


 私は満ち足りた気持ちでエヴァンジェリンの立つ流し場の横に立った。


「…手伝おうか?」


「結構です」


 食い気味の返答をされて私は苦笑してしまった。


「随分と嫌われてしまったね」


 エヴァはくすりと笑った。


「…分かってるんなら機嫌直るまであっちで休んでいなよ」


 そう言ったエヴァの顔にはどこか悪戯っぽい笑みが浮かべられていた。


 素直な気性を持った子だ、と思う。


 だからこそ、と同時に切ないような思いが込み上げてくる。


「アルス、お茶入れといたから。あとは二人でご自由にどうぞ」


 エヴァが階段を上がっていくぱたぱたという足音が上の階へと遠ざかっていった。


「気遣いの出来るいい子だな」


「…気のせいだろ」


 アルスは茶を二つ用意されたカップに注ぎ、テーブルに持ってきた。


「…アルスノウルズ、君らしくもない」


「何がだ?」


「なぜ、彼女を性分化させない?彼女は君の作ったホムンクルスだろう?」


 私はアルスノウルズの周囲の空気が波立つのを感じた。


「…させないんじゃない、出来なかったのさ」


「…とぼけるのなら相手を間違えているよ」


 私はカバンから書類を取り出した。本来であれば本人に見せる予定もないはずのものだった。


「君の国立図書館での閲覧履歴を調べさせてもらった」


 アルスは驚きに目を見開いた。そのあと観念したように、舌打ち交じりに言った。


「悪趣味な……」


「…3年前まで頻繁にホムンクルスの性分化に関する文献を漁っていたが、それがぱったりと止んだ。最後に借りたものはホムンクルスの性分化決定までの過程に関する文献だった」


 私は履歴の最後のところをゆっくりと指でなぞり、アルスに向き合って言った。


「……そもそも王都の研究室で5本の指に入る君がそんな初歩的なミスを犯すはずがない」


「…だから何だというんだ」


 アルスノウルズの声は苛立ち始めていた。


 そろそろ引き際だ、と冷静な頭で考える。私は彼を怒らすためにここへ来たのではない。


 だが、私は続ける。


「『すべてのホムンクルスに人類と同等の人格及び人権を認める』」


 世の理すら変えうる錬金術師アルケミストの技術を人の世に司る法体系を俗に錬金術法アルケミー・ロウと呼ぶ。


 そしてこの世界では、ホムンクルスの性分化を意図的に阻害することは犯罪とされている。


「…ここで君とホムンクルスの人権の定義から改めて議論する必要はあるまい」


 私が話すことを止めなかったのは、自身の錬金術師アルケミストとしての矜持ゆえであり、その矜持をアルスノウルズにも認めていたからでもある。


 私はアルスノウルズに錬金術師アルケミストの道に悖ることを行わせたものの正体が知りたかった。


「…既に理解してもらえると思うが、私の目的は君を王都の研究所に連れ戻すことだ。研究所内で新たなプロジェクトを始動させることが決まった。だが、先の戦争により技術者の流出が甚だしい。そこで君に白羽の矢が立ったんだ」


 アルスは辛苦を反芻するように苦々しい笑みを浮かべた。


「…それだけが目的ならば帰れ、ムルムドミエル。王都にも研究所にも、俺の居場所など存在しない…」


「アルス……」


「何が錬金術法アルケミー・ロウだ……ホムンクルスは兵器などという穢れた道具ではないはずだ……!!」 


 アルスが研究室を去ったきっかけ、それが研究室に政府から持ち掛けられたホムンクルスの戦争利用のプロジェクトだった。今でこそホムンクルスの兵士は珍しいものではなくなったが、当初はホムンクルスの権利擁護派の激しい反発と長い長い議論の歴史がある。


「ホムンクルスを兵士として登用することの合法性については既に議論し尽されている。ホムンクルスは本人の同意があって初めて戦線に立つのであってホムンクルスの主体性及び自立性は担保されている」


「幼い頃から軍隊の中で育てられたホムンクルスに戦争で戦う以外の選択肢などあるはずがないだろう!」


「それは当初の話だろう、今は違う。ホムンクルスにはジェネラリスティックな教育環境をあらかじめ与えてより深い分別を得た上で……」


「やめろ…もう沢山だ…」


 アルスは手を振ってこれ以上の議論に応じるつもりがないことを示した。


「兎に角…研究所にも王都にも戻るつもりはない」


「…私がエヴァンジェリンのことを弾劾するとしたら?」


 私がそういうとアルスの目には明確な険が宿った。


「…アルス、友として君を恐喝などしたくはない。これが卑怯なことだとは百も承知だ…………三日待つ…君のいい返事を期待する…」


 アルスは乱暴に席から立ち上がった。


「………明日には宿を探せ」


 アルスはそう言い残して二階の自室へ向かった。


 私は深呼吸をして天井を見上げた。


 ふと、アルスの座っていた椅子の床の辺りを見ると写真が落ちていた。


 私は何の気なくそれを拾い上げると、そこには、エヴァンジェリンと瓜二つの栗色の髪の婦人が笑みを浮かべ佇んでいた。


 私は一種の得体の知れない胸騒ぎを感じ、その写真をテーブルの上に伏せた。


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