白い街

 ヌールドーブの街は白い。


 余りに月並みだが、ここへ訪れた者なら皆似たような感想を持つことだろう。


 石灰と白泥を固めて作られた白壁の家の街並みが港から昇り階段の様に放射状に広がっており、かもめ達は海辺の白波の上を空高く舞い飛んでいる。


 彼女はそれらの住まいのその一つ、平たい屋根の上に座って空を旋回するかもめを目を細めて眺めていた。


 栗色の流れるような髪を二つに結わえ、どこぞの民族衣装のようなゆったりとした着流しの麻のワンピースからは少年のように細長い手足がしなやかに伸びていた。


 瘦せ型の体躯と乳白に近い肌の色からは彼女がホムンクルスであることが知れた。


 だが、彼女が放つ思春期の少女の持つ色香とはまた違った、奇妙なアンバランスさを言葉にすることはきっと難しい。


「…誰?」


 彼女は私に気が付くとどこか警戒するように言った。


 私は目の前のホムンクルスを“彼女”と呼んだが、それは着ている服や長い髪など、女性性の記号が意識的に散りばめられているからに過ぎない。


「…未性分化個体アンセクシュアライズドか…」


 私が思わずそう口にすると、彼女の顔は羞恥と怒りで見る見る真っ赤になった。


「あんた!!初対面で失礼だろ!!」


「おい、エヴァ!そいつは客人だ」


 エヴァと呼ばれたホムンクルスは、男の声に呼ばれてふくれ面のまましぶしぶと屋根から屋内へと続く階段を足早に降りて行った。


 そしてしばらくして扉が開かれると、そこには懐かしい男の顔が現れた。


「随分と久しぶりだな、ムルムドミエル。王都からはるばるよくきたものだ」


 破顔する彼を見て私の心も弾んだ。


 アルスは私を玄関から部屋の中へと迎え入れた。


「今朝方ヘムドヴィルから馬車で山越えしてきたよ。お陰様で観光を満喫させてもらっている。偏屈者ばかりの研究所に籠っていては性格までふさいでしまうからね」


「ここには緑と海しかないけどな、折角だから後で市場から魚を仕入れてこよう。おい、エヴァ、いつまでもふくれてないでこっち来て挨拶ぐらいしないか」


 エヴァと呼ばれた彼女は慣れない猫みたいに椅子の上に奇妙な座り方をして私たちの様子を少し遠巻きに伺っている様子だった。


「…だってそいつ…私のこと未性分化個体アンセクシュアライズドだって…!」


 その様はそっくりそのまま反抗期の娘のようだった。


 元々偏屈者で通っていたアルスが急に所帯じみたようで私は思わず笑ってしまった。


「なんで笑うんだよ!!」


「いちいち突っかかるんじゃない!!」


 アルスに諫められるとエヴァンジェリンは益々不機嫌そうに唇を前に突き出した。


 私は膝を折り彼女と目線を合わせて言った。


「…私の名前はムルムドミエル・サント・ドゥワール。王都でホムンクルスの研究をしている。仕事柄か、先ほどは心無い言い方をしてしまってすまない。どうか許してほしい」


 エヴァはむうっと口を堅く結んだまま、挨拶を返した。


「……私はエヴァ………エヴァンジェリン……アルスと一緒に暮らしてるホムンクルス……」


「…ムルムドミエル、エヴァンジェリンは私のホムンクルスだ。エヴァ、ムルムドミエルはホムンクルス偏愛者マニアの変わり者だから適切なコミュニケーションなど期待するな」


 アルスは悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「アルス…その表現は少し支障があると思うんだが…」


「えっ、そうなの…?ホムンクルス……偏愛者マニア……?」


 エヴァンジェリンは若干警戒するような視線をこちらへ向けてきた。


「…おい、待ってくれ、エヴァンジェリン、誤解だ」


「誤解も何もないだろう、ムルは昔からホムンクルスと見ると見境がない」


「誤解を更に深めるような言い方は止めてくれないか!?」


 それでもしばらく歓談しているとエヴァンジェリンは徐々に警戒を解いてくれたようでいつの間にか私たちの話すテーブルの椅子の上にちょこんと座していた。


 アルスが手洗いに席を外すと、エヴァンジェリンはこちらを伺うように視線を寄越していた。興味と警戒が半々と言った様子だ。


「…どうして、アルスのことを訪ねてきたの?」


 エヴァンジェリンは伺うような顔つきで話しかけてきた。


「アルスとは学生の頃から同級だったんだ、王都の研究室まで同じだった時は流石に驚いたけどね」


「友達…だから来たの?」


 それは、友達、という言葉の手触りに戸惑いながら聞いてきているようだった。


「…そうだよ」


 そう答えるとエヴァンジェリンは素直に納得したようだった。


「…こう言ってまた気分を害してしまったら謝るけれど…君は随分と情動が発達しているようだね、表情や感情表現がとても豊かだ」


「ああ…それよく言われるかも」


 エヴァンジェリンは動物のようにしなやかに伸びをして言った。


「こんな田舎町だとホムンクルスって高級らしくてあんまり同類に会うことも少ないんだけど…あいつら皆機械みたいに無表情でさ、同じホムンクルスなのに不思議だよね」


 確かに王都でもホムンクルスはまだまだ高級“品”だった。田舎町で流通するのは情動の発達が余りよくない個体なのだろう。


「あれで主人マスターの夜伽とかしてるんだからすごいよね」


「ゲホゲホッ!!??」


 私は思わずむせた。


「あっ、ご、ごめん。直截的な言い方はよせってアルスにもよく叱られるんだ…」


「い、いや……まあ、そうだね……」


 ホムンクルスを愛玩物として扱う風潮がない訳ではない。それを当のホムンクルスの口から聞かされるとは思わなかったが。


「さっきは怒鳴ってごめん、悪気はないってわかったから…」


「こちらこそ申し訳なかったね」


 実のところ、私は彼女とアルスの関係性をどうにも測りかねているところがあった。単純な好奇心と言えばそれまでだが、アルスの事情を知ることは今回の私の目的からすると実利に資するところでもあった。


「君にとってアルスは保護者…みたいなものかな?」


 そういうと、エヴァンジェリンは猫が毛を逆立てるように目を見開いた。


「はあ!?保護者!?そんなんじゃないよ!アルスは家事なんて滅多に手伝おうとしないし着たら着っぱなしで食べたら食べっぱなしだし選ぶ服にも季節感ないし洗濯物も裏表逆にするし洗面だって使い方雑だし食器も運ばないし!!etcetc……!!」


 彼女からすればアルスの生活力のなさについては枚挙にいとまがないようだった。私とて、彼については思い当たるところがない訳ではなかった。


「……随分と仲が良いんだね?」


「なにをどうしたらそうなるの!!??」


 エヴァンジェリンはどうあってもむきになって否定したいようだった。


「あいつのこと嫌いかい?」


「………………うざったいのは確か………だけど…………………」


 エヴァンジェリンはふいと顔を背けてそう言った。


「私は…どうせ性分化できなかった出来損ないだから…」


 そこで私はおや、と思う。


 性分化出来ていない個体というのは大きく先天的な発達に障害がある場合か技術者が余程お粗末かのどちらかだった。


 私は彼女の情動の発達を見る限りではまだ性分化されていないのは何らかの意図があってそうされているものだと思いこんでいた。


「それは……」


 そんなわけないだろうと言いかけた時、背中からアルスの足音が聞こえた。


「エヴァ、市場で魚を買ってきてくれないか」


 アルスが声をかけてきたため、エヴァンジェリンとの会話はそこで途切れた。

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