2019年6月/10冊 書店へモノ申す&背表紙劇場へようこそ

 10年以上通い続ける書肆ほんやの店内が、なんの予告もなく様変わりしていた。

 足を踏み入れた瞬間、店を間違えたかと思うほどの変貌ぶりで、脳内に染みついていたマイ・ブック・マップは完全に意味をなさなくなった。どこになにが置いてあるかは少なくとも入社2年目の書店員より把握していた(と思う)ので、困惑ひとしおだった。


 さらに憤慨しきりだったのは、日本人作家の文庫が、それまでの出版社ごとの陳列から作家ごとの陳列へと並べ替えられていた実態。これを暴挙と云わずしてなんと云おう。『2019年1月』で熱弁をふるった我が愉しみ【背表紙鑑賞】が永久にできなくなってしまったではないか。キーッ!!


 作家というのは当然、複数の出版社から文庫を刊行してるわけで、こうなるともう秩序などどこへやら――〔岩波の肌色〕、〔新潮の白〕、〔集英社の紺〕、〔河出の黄色〕、〔幻冬舎の桃色〕、〔ちくまの生成り〕、〔講談社の灰色〕、〔文春の水色〕、〔ポプラ社のクリーム色〕が、なんの規則性もなく並べられ、書棚は見るに耐えない無法地帯と化していた。

 これでは、眼はショボショボ、脳はザワザワ、なにより心がキリキリする。

 単行本と違い文庫本は背表紙で出版社がわかる仕様になってるのだから、これを生かした陳列にするべきだ。書店たるもの、書物の並びは美しくすべし、美しくなければならん! と思う私なのである。


〔新潮の白〕と〔講談社の灰色〕が並んでいる。

 それが〔河出の黄色〕と〔幻冬舎の桃色〕に挟まれている。

 深窓の令嬢が大企業の社長息子(親の決めた許嫁)とデート中、チンピラどもにからまれてるように見える。


「おうおう、お二人さん。仲良く寄りそっちゃって、ずいぶんと見せつけてくれるじゃねーか」(←パンチパーマ)

「なんだ、きみたちは! 破廉恥な色の服を着て……新潮さんに、近づくな!」

「云ってくれるな、にーちゃん。痛い目にあいてーのか、コラ」

「講談社さま、相手にすることなどありませんわ。さ、行きましょう」

「おっと、通さねーぜ。なぁ、ねぇちゃん。そんなモッサイ色の服着た男なんか、やめちまえよ。オレたちと愉しもうぜ」(←スキンヘッド)

「いやですっ、離してください!」


 〔新潮〕&〔講談社〕カップル、ピーーーーーンチ!

 その棚の上に〔早川の黒〕と〔集英社の紺〕を発見。

 タイミングよく現われた学ラン姿の柔道部員(硬派な貧乏)と、その幼馴染でエリート校に通う生徒会長(クールな金持ち)に見える。


「おまえら、彼女を放してやれ。さもないと、痛い目をみるのは、そっちだぞ」

                            (↑素足に下駄)

「あ、あなた方は?!」

「お嬢さん、危ないから離れててください。早川にまかせておけば大丈夫です」

                           (↑眼鏡キラーン)


 深窓の令嬢〔新潮の白〕は、自分をチンピラ〔河出の黄色〕&〔幻冬舎の桃色〕から守ってくれた貧乏柔道部員〔早川の黒〕にホの字となるが、それは、つらい身分違いの恋の始まりでもあった。

 金持ちだけど、ただのボンクラが露呈してしまった社長息子〔講談社の灰色〕は、許嫁を奪われた腹いせに、例のチンピラどもを金で雇って(サイテー)貧乏柔道部員に次々と嫌がらせをする。

 それを返り討ちにするのは、金持ちのうえ、めっちゃインテリ(しかも腹黒)な生徒会長〔集英社の紺〕。この世で一番大切な幼馴染の恋を成就させるべく、自身の想いは犠牲に、ふたりの駆け落ちを手助けするのだった――以下次号。


 ――って、無秩序に憤慨してたはずが、思いきり愉しんでるやん。


  BL新日本史/堀五朗 2014年3月

  こごえた背中のとける夜/沢木まひろ

  僕の背中とあなたの吐息と/沢木まひろ

  勝手に! 文庫解説/北上次郎 2019年1月

  カンパネルラ/長野まゆみ

  雪うさぎ/榊原姿保美

  桜の頃を過ぎても/鳩かな子 2015年3月

  たゆたう光の涯に/鳩かな子 2015年3月

  梔子香る夜を束ねて/鳩かな子 2015年3月

  エリュアール詩集(世界の詩59)/山崎栄治 2016年1月


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~6月の「ちょっと一言云わせて本」~

『エリュアール詩集』


 ポール・エリュアールという詩人を初めて知ったのは、長野まゆみ女史の小説の跋文あとがきだった。冒頭2行だけの紹介だったにもかからわらず、完ペキに魂を持っていかれた私は、すぐさま『フランス名詩選』(岩波文庫)を手に入れ、そして驚いた。

 わずか2行で、清々しく澄んだ麗しい青春の一風を私に感じさせてくれたその詩は、実はあまりにも長く、どこまでも深く、時空を行き交い、森羅をめぐり、絶望を経て、渇望を抱え、希望を謳う、再生の一篇だったのだ。


 残念ながら長野女史が選んだものとは訳者が違っており、さらに手に入れた『フランス詩集』(白凰社)でも別の訳者によるものだった。それでも突き動かされるようにして、長く長いその一篇を(正確に云うなら、訳者の違う二篇を)すべてノートに書き写し、幾度も読み返していた時期がある。


 三度目の正直、今度こそは! とネットで本書を見つけ、逸る気持ちを抑えながら目次を追いかけ、そして驚いた

 収録されていなかった。ありえない……ちょ、ちょっと一言云わせて。


「なんでじゃ!」


 ドイツ詩にしか興味を持てなかった私の眼を、フランス詩へと向けさせたエリュアールの『自由』――せいなる慟哭とは、こういうことを云うのだろう。

 私も泣きたい。号泣したい。


「なんでじゃ!!(2度目)」


 ポール・ヴェルレーヌ、ジャック・プレヴェール、ポール・エリュアールが、私にとっての三大フランス詩人である。

 くわえて、堀口大學による訳の、なんと素晴らしいことよ。

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