「努力家」は純然たる天才に勝ることができない。

不皿雨鮮

「努力家」は純然たる天才に勝ることができない。

 三学期の期末試験。とある学校では、定期考査の順位を学年ごとに掲示板にて発表するという制度が導入されていた。一位の者から最下位の者まで平等に誰もが自らと他人の順位を知ることができる。そして第三学年の生徒達は、その発表を見て同じことを思い、口に出し、話す。話題にする。

「また、一位がアカネで、二位は健二ケンジかよ」

 斎藤茜と鈴木健二。その二人は学校が開校されて以来初となる、一年から三年の全ての定期考査において、一位と二位を取り続けるという伝説を打ち立てた少年少女である。

 常に一位である茜は純粋なる天才。教科書を見るだけで、人の話を聞くだけ、或いは盗み聞きをするだけ、たったそれだけで全てを記憶し、理解し、そして応用し、更には発展させて新たな知識や知能とするような、異質な才能の持ち主。また異常なまでに幸運な少女でもある。

 一方、常に二位の健二は茜とは真逆の努力型の天才。名前からも溢れ出す平凡極まりない少年は、ただひたすらに予習し、学校や塾の授業を受け、復讐し、自習し、教師や塾の講師を質問攻めにすることで知識と知能を確実に自分のものにする人間だった。

 そんな二人は三年になって初めて同じクラスになった。実のところ、健二が勉強し続けるのは茜の存在が大きい。茜がいるからこそ、勉強を続ける理由だと言っても過言でもない。しかし、恋愛感情ではなくむしろその逆の敵対心に近いものだった。

 要するに気に食わないのだ。だから、健二は茜を越えようとした。一位を目指した。それが前途の結果である。常に学年二位というのは、常に学年で二番目に賢いということであり、常に上に一人賢い人間がいるということだ。死ぬ気で努力をしてその一人に負け続けているということだ。

 健二は掲示板を見ると同時に崩れ落ちた。とうとう、最後の最後まで勝てなかった。その事実が、健二の体から力を抜き取る。

「あーあ、また一位か。今回も当たり前だけど、ノー勉だったのになぁ」

 涙すら浮かべている健二の後ろでトドメを刺すように、そんな茜の声が聞こえた。

 一切の勉強もせずに学年一位を取ったという、健二だけではなくその場にいた全員に喧嘩を売るような台詞を茜は呟いたのだ。当然のように、舌打ちや小声での密談が始まる。それを茜は一瞥して、或いは鼻で笑ってから教室に戻ろうとする。茜はテストの結果などに一切の興味がない。何せ茜は必ず一位であり、そこに群がる有象無象は全て一切の勉強をしていない自分に劣るような人間、関わる価値すらない劣等種なのだから。

「……ッ」

 人間を見下すような態度を取る茜のその姿を健二は許せなかった。健二は茜の腕を取り、そのまま屋上へと連れだした。

「痛いなぁ、健二くん。これでも私は女の子なんだから、もっと丁寧に扱ってくれないと」

「……っ、……ッ!!」

 怒りで言葉が上手く纏まらない。常に余裕を崩さず、挑発的な態度を取る茜のその姿が更に怒りを生み出す。それら全てを吐き出すように健二は一旦深呼吸をして、そして叫んだ。

「どうしてお前に負けなかればならないッ!? 負け続けなければならないッ!」

 それは本心からの叫びだった。茜は今回の考査ではなく、全ての考査においてノー勉で学年一位を撮り続けている。それ以前に授業中は常に眠り続けている。嫌味なまでに、誰よりも勉強せず、しかし誰よりも賢いと証明している。茜のそれは紛うごとなき天才だった。

「俺は努力したんだぞッ!! 一日に授業を除いても五時間はしている。誰かと遊ぶこともしていない。携帯もゲームも持っていない。時間があれば勉強をした。この三年間、捧げられる全てを勉強に捧げたんだ。なのに何故、俺はお前に負けなければならないんだッ!!」

 涙を流しながら、しかし表情は怒りが溢れ、目は茜を見据え、睨みつけている。

 純粋な問いだった。ただただ、どうしようもない敗北感に塗れ、どうしようもない劣等感に溢れ、目の前の優れ過ぎた存在に嫉妬しているのだ。

「……天才が九十九パーセントの努力と一パーセントの才能である、なんて言葉をエジソンは言っているけど、なら私は天才じゃないのかもしれないね。新たな名言だね、――斎藤茜は百パーセントの才能でできている。私の構成要素に努力の二文字はない」

 唐突に茜はそんなことを言った。更に続ける。

「まぁ、そもそもあの言葉だって努力の方じゃなく才能の方が重要だって言いたかった言葉なのに、身勝手に根性論や精神論、そして努力至上主義の愚か者共に悪用されちゃってるんだけどね。努力なんていうくだらないものは才能の前にはひれ伏すしかないのにさ」

「……ッ」

 言葉に詰まる。唐突な語り出し、そして努力は才能には絶対に叶わないという断言に、健二は戸惑ってしまう。怒り狂ってもおかしくないその言葉を前に、健二は動揺した。

 茜の目が、健二を見る茜の表情がとてつもなく羨ましげだった。

「健二くんが私に勝てない理由は、私は溢れんばかりの才能を持った純然たる天才で、健二くんが努力型の似非天才だからだよ。偽物は本物には勝てない。どんなだけ屁理屈を述べようが、本物は所詮本物で、偽物は誇るべき偽物だよ」

 茜は堂々と、健二の努力では茜の才能には絶対に勝てないと否定した。茜は本物であり、健二は偽物だと断じた。同時に、茜は否定した努力にある種の敬意を持っていた。健二の全てを、敬意を持って否定した。

 その違和感に、健二は更に戸惑う。

 茜が語れば語るほど、茜の表情が羨望から憧憬へと変わって行くのだ。

「お前は、何を言っているんだ? ……お前は、何が言いたいんだ?」

 健二には茜の思考が分からない。理解できない。何もかも、分からない。健二はそれすらも自分の感受性や理解力が劣っている用に感じてしまう。健二は茜に、それくらいには絶対的な劣等感を抱いていた。

「分からないだろうね。分からなくてもいいんだ。分からないことを私は分かっている。いや、だけどそれだけじゃないか。私は期待している。信じている。無理だと分かっていることを、しかし叶うことを信じている。よくいるでしょ、色んな所でお前なら、お前らなら大丈夫だなんて言う無責任な人間。彼らと同じだよ。無理だと分かっているけど、無駄だと分かっているけど、そんなことを言わないと今までの努力が全部無意味になっちゃう気がする。そんな無理で無駄なことに時間を掛けてしまったと思いたくないから、それらしい理由を付けるの。例えば、そうだね、結果が全てじゃないとかね。健二くんも後でそんなことを言われるだろうけど、健二くんは分かっているよね。結果ってのは、全ての結末の果て、だから結果は紛うごとなき全てだってことくらい」

 それは健二に言い訳を与えない言葉でもあり、しかし健二に言い訳を許さないという一定量の評価でもあった。

 話が逸れたねと言葉を切って茜は続ける。

「要するに天才は天才なりに不幸なの。だから私は健二くんが羨ましい。妬ましいくらいに羨ましくて、恨めしい。どうしてか分かる? 分からないだろうけど、それでも尋ねるよ、私は。私は健二くんを信じているから」

「……分からない。何が言いたいんだ? 何を伝えいたんだ。何を、したいんだ……?」

「何がしたい、か。そうだね、私は誰かに受け入れて欲しいの。できることなら沢山の人に、私を認めて欲しいの」

 認めて欲しい。常に学年一位を、あろうことか一切の勉強をせずに獲得している。それはもう、どうしようもないくらいに、認めざるをえない事実であり、誰かも認められている。それでも茜は承認されることを求めている。それがどうしてなのか、それすら健二には分からない。

 これ以上、一体何を認めて欲しいのか、これ以上何を認められたいのか、分からない。

「私は本当に健二くんが羨ましい。努力して、努力して、ずっと学年二位だった。これがどういうことか、分かる?」

「ずっと、お前に勝てなかった。そういうことだ。俺はお前に負けた。それだけのことだ」

「……違う。私がいなければ健二くんは、常に学年一位だったってこと。私みたいな理不尽な存在が、イレギュラーがいなければ健二くんは、少なくともこの学校では一番かしこい人間だってこと」

 自分が理不尽な存在だと茜は告げる。それは自らが圧倒的な天才であるという意味ではなく、誰からも受け入れらない、理解されない、理解不能に尽きる存在だという意味だ。

「健二くんは努力して、その結果を出した。だけど私は何の努力もせずに健二くん以上の結果を出すことができる。どっちが理解しやすいと思う? どっちが理解されやすくて、人に受け入れられると思う?」

 努力をしたからその結果が出た人間と、努力せずにそれ以上の結果を出す人間。正攻法によって結果を出す健二と、理不尽に結果を刻み付ける茜。どちらの方に、人は寄ってくるのか。

「私はね、小学校から中学校まで、いじめられていたんだ。……ああ、違うな。今もか。今も私は、何人からイジメられてる。だけど、昔は酷かった。今は何人か私を受け入れてくれるし、その人達が守ってくれるから救いがあるし、違う意味でもこの学校には救いがいる。希望がいる。私が望んでいた相手がいる」

「……い、虐められていた? どうして?」

「決まってるでしょ。私が天才だったから。私は、今と同じように中学校でも学年一位をずっと独占していた。だからね、中学二年生の時に標的になった。そりゃ、そうでしょ? 健二くんが私に怒ったように、中学生全員が私に怒った。私達が苦労しているのに、どうしてお前は何の苦労もなくそれができるんだ、ってね」

 辛かったよ、と茜は微笑んだ。

「病院なんて何回言ったか分からない。内科、外科、整形外科、眼科、それに産婦人科。私の体ってもうボロボロなんだ。両肩は脱臼が癖になっちゃってるし、足も腕もレントゲンを撮れば、医者も引くくらいに折られている。鋏で肩や眼球を刺されたこともあるんだ。私、実は右目がほとんど見えないんだよね、あはははっ。……ああ、それにレイプもされた。だから正直、男の子は怖い。健二くんに掴まれた時も内心ビクビクだったよ。まぁ、健二くんはそんな人間じゃないって信じていたんだけどね。ともかく、――だけど、それでも、私は学年一位を取り続けた。流石に学校には行けなくなったから、家で先生が監督してくれて、そうして学年一位を取りつづけた。……どうしてか、分かる?」

 一拍空けて、健二の答えを待つ。しかし、健二は思考放棄をしていた。茜の過去を健二は理解できなかった。確かに健二は茜の理不尽な天才さ加減に怒りを露わにした。しかしその怒りを、そんな風に、実力行使しようとは微塵にも思わなかった。だから、そんな人間がいることも、そんな人間にそんな理不尽な目に合わされても尚学年一位になり続ける理由も、そして、それを平然と淡々と話す茜の神経も、分からなかった。

 健二から答えがでないと察した茜は、笑みを絶やさずに答える。

「理解されたかったんだ。私みたいな人間がいることを。私がいることを。私がいても何もおかしくないことを、ただ理解して欲しかった」

 健二は分からない。何も分からない。茜が話せば話す程、健二には分からないことが増えていく。

「ふふっ、意味が分からないでしょ? だって健二くんは努力すれば結果を得られるんだもんね。ああ、違うな、努力の仕方を分かっているというべきか。だけど世の中には、努力の仕方が分からず、努力しているのに結果が出せない人がごまんといる。正しくは努力をひたすら頑張ればいいと思っている間抜けがいる。どれだけ努力しても、例えば健二くんの数百倍努力しても、健二くんの足元にすら及ばないバカが腐る程いる。腐る程いて、腐りきっている。まぁ、それが普通なんだけどね。私は勿論、健二くんも普通じゃない。相手のことを理解はできなくても、自分のことくらいは、それくらいは、分かっているでしょ? じゃないと、努力なんてやってられないものね」

 茜の問いに、健二は静かに、小さく頷いてしまう。健二は声を出せなかった。茜の声に、表情に、口調に、雰囲気に、圧倒されてしまっていた。

「……そういう人ってね、人一倍劣等感に敏感で自分を否定されることを嫌がるの。遠回しに否定されてしまうことすら拒絶するの。例えばそうだね、近くにどれだけの努力をしても勝てない人間がいるとかね」

 どれだけの努力をしても勝てない。それはつまり自分が確定的に、決定的に、それこそ致命的に劣っているということだった。そしてそれを、普通な人々達は受け入れられない。

「じゃあ、身近にそんな人がいたらどうすると思う? どれだけ努力をしても勝てない相手がいたらどうすると思う? ……いや、健二くんならどうする? 私に勝つために、健二くんは何をした?」

「努力するどれだけ負けても、どれだけねじ伏せられても、俺は努力をする」

「そうだね。うん、健二くんは正しいよ。正しいけど、普通な人達は間違えるんだ。不正解。不正な解を選ぶ。簡単に言えば、蹴落とす。例えば健二くんの場合、勝つべきなのは私。私さえいなければ健二くんが一位になれる。……だったら、私がテストを受けられないようにすればいい。そうだな、例えば道路に突き飛ばすとかね」

「なっ!?」

「だけど、残念。私は運動においても天才だからね、死ぬ寸前で避けた。足の骨が折れて、血塗れになって、そんな姿を笑われながらもテスト受けて、一位を取った。あの時の止血方法が間違えていたら、死んでいたって、その後倒れて運ばれた医者に言われたなぁ」

 茜はそう言って、自分が同じ学校の人間に殺されかけたこと笑って告げる。茜の死生観は狂っていた。自分の命に価値を意味出していなかった。茜にとって価値を見出すのは普遍的に認められる程度の才能のみだ。理不尽な才能を、自らの才能を、自らを構成する全てである才能を無価値としていた。否定していた。

 普通の人間は認められない自分の否定を、茜は自らしていた。

「そんなバカな、って顔をしているね、健二くん。だけど、そんなものなんだよ。人間なんてものは。人間は知性があるからこそ、愚かさも持っている。愚かだったが故に知性を持った人間は、だけど本質は愚かなんだ。愚か故に賢く、狡賢く、さかしくなって、発展してきた。二律背反なんて高尚なものじゃないけど、愚かさと知性は嫌でも共存している」

「……あ、茜?」

 ゆっくりと後退する茜の、その行動に嫌な予感がして声を漏らす。

「……初めて私の名前を呼んでくれたね。……嬉しいな、健二くんから私の名前が聞けて、本当に嬉しいな。……うん、やっぱり、最期に健二くんに出会えてよかった」

 嫌な予感がした。だけど体が動かなかった。彼女が使った最期という言葉は、絶対に使ってはならない言葉だ。その言葉だけは、どんなことがあっても使ってはいけないはずなのだ。

「あははははっ! 本当、本当によかった」

 フェンスに対して後ろを向きながら、器用に登っていく。

「や、めろ。やめろ、何を、するつもりなんだよ、」

「何って、分かっているでしょ。足をぷらぷらと交互に揺らし、茜は陽気に笑う。本当に綺麗な笑みを見せる。

「さよなら、健二くん。私は健二くんのことが大好きだったよ。努力だけで私の足元に及んでくる健二くんが、大好き。誰しもに理解されて受け入れられている健二くんが大好きだよ。健二くんに出会えて本当によかった。健二くんは私の期待通り、希望通り、見事に、ずっと私のすぐ下にいてくれた。私は結局、誰にも認められなかったけど、私が認めることができる似非天才が、努力する天才がいてくれた。……私は、もうそれだけで救われた。ありがとう、健二くん」

「おいッ!!」

 茜は自らに価値を見出していなかった。茜が価値を見出す相手というのは、健二のように理屈の通った天才だった。茜は、異常過ぎる天才の自分ではなく、普通の天才を認めた。


「さよなら」


 健二は結局、茜の言葉を理解できなかった。それでも四つ、健二が理解したことがある。


 自分の劣等感を誤魔化すために他人を蹴落とすような人間は最低で、そしてそんな人間が今、この世界にはありふれているということ。

 目の前で人が自殺する場面なんてものは、一生見なくてもいいものだということ。

 どんな天才も、人間である限り悩みや不幸があるということ。


 そして何より、どんな人間でも死の淵を彷徨って目覚めた時、涙を流すということ。


「俺が勝つまで、俺は俺を認めない。だからお前は、俺が勝つその時まで天才でい続けてくれよ」

「……名前で呼んでほしいな」

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