第11話 ベアトリーチェとの再会
その日の晩、ダンテは暗めの色の服へと着替え、女子用の寄宿舎近くにまでやってきていた。
女子寄宿舎は、ダンテの泊まる男子用のものとほぼ同じ造りをしており、長方形の箱を三つ積み上げた様な構造になっている。
金のある貴族ならば学校の近くに別荘を建ててそこから通うことを許されるのだが、ベアトリーチェは服装からして貧乏そうで、ダンテの予想通り寄宿舎から通っていた。
「確か……二階の一番端だったか」
日が落ちてからそう時間が経っていないため、部屋の主はまだ起きているのだろう。
ガラス窓から
ダンテは周囲の様子を伺い、誰もいないことを確認すると、適当な大きさの小石を足元から拾いあげて軽く放り投げた。
放物線を描いた小石は、ダンテの狙い通りにコンっとガラス窓を軽くノックする。
一度だけでは気づかれないだろうとばかりに、ダンテは二度三度と同じことを繰り返した。
やがて部屋の中にいた人物がダンテの意図に気づいたらしく、窓際で影が揺れる。
ダンテは念のためにともう一度小石を投擲し――。
「な、なんですかぁ?」
またも間が悪いことに、震える声で呟きながらベアトリーチェが窓を開く。
本来ならば窓ガラスを優しく叩くだけであった小石は目標を見失い、代わりにベアトリーチェの額へと吸い込まれて行った。
「あ……」
「ふなぁっ!」
奇妙な悲鳴を上げたベアトリーチェは、窓の奥へと姿を消す。
ダンテの位置からは確認しづらかったのだが、驚きのあまりベアトリーチェが後方へそっくり返ってしまったように見えた。
「……まったく」
天然なのかドジなのか、はたまた運が悪いだけなのか。
いずれにせよこうなった原因の一端はダンテにもある。
ダンテは素早く壁を確認すると、軽く助走をつけてから一息にベアトリーチェが開けた窓まで登ってしまった。
この間、物音はひとつだって立っていない。
まるで猫の様に、素早くしなやかな動きだった。
ダンテはそのまま小さな窓枠に手をかけ、足先と頭部だけ部屋の中へと侵入させる。
「さわ……大丈夫か」
ベアトリーチェは未だに額を抑えて倒れたままであり、窓から体を半分ほど部屋の中に入れたダンテのことに気づいてすらいなかった。
ダンテはベアトリーチェを踏まないように注意しながら音もなく床に降り立つと、ベアトリーチェの顔を覗き込む。
「手で押さえてないで見せろ」
「ふぁ――むぐっ」
ダンテが部屋の中にいると、今更ながらに気づいたベアトリーチェが大口を開けて悲鳴を上げようとする。
しかし、それを敏感に察したダンテは、大きな手でベアトリーチェの口を覆ってしまった。
「大声を出すな。いいから傷を見せろ」
ベアトリーチェが静かになったことを確認してから、彼女の手を額から引っぺがし、茶色の髪をかき分けると、傷ひとつない綺麗なおでこが出てくる。
痛みはあったのかもしれないが、突然小石がぶつかった衝撃の方が大きかったのかもしれない。
「なんともなってないぞ」
「いや、えっと、その、痛かったと言いますか……」
過去形なあたり、ベアトリーチェももう痛みは感じていないのだろう。
ダンテは息をひとつ吐き出すと「おまじないだ」と言い含めてからベアトリーチェの額にキスをする。
彼にしてみれば、孤児の子どもたちによくしているおまじないであり、見た目13、4歳のベアトリーチェも同じ感覚でやってしまったのだが――。
「ふあぁぁぁぁっ! なな、なにしてるんですかぁ!!」
ベアトリーチェは勢いよく跳ね起きると、ずどどどっと後ずさってダンテから距離を取った。
「馬鹿っ。声がでかい……!」
「いいい、いま、キキキ……っ」
ベアトリーチェはあまりの恥ずかしさのせいか、目をぐるぐる回し、頭のてっぺんから足のつま先まで全身真っ赤に染まってしまう。
純情そうな見た目から外れることなく、中身もその通りそのまんまだったらしい。
ダンテは自身のうかつな行動を呪いながら舌打ちをする。
「ガキがいっちょ前に照れてんじゃねえっつうの……!」
「ふえぇぇ…………――ガキ?」
「そうだ、13、4歳はガキだろうが」
「…………」
あれほど混乱して騒いでいたというのに、ダンテの言葉を聞いた瞬間、ベアトリーチェは静まり返ってしまった。
不穏な空気を感じたダンテは、頬を引きつらせて自らの失敗を悟る。
「わ、私は17歳ですっ」
「はぁ? 同い年かよっ」
今度はダンテが驚く番だった。
17歳という言葉を本人の口から聞いた後でもそれが信じられず、ジロジロと無遠慮な視線でベアトリーチェを眺める。
ベアトリーチェの身長は150サントない程度で、ダンテと頭ふたつ分は差がある。
他にも痩せぎすの体に、第二次性徴がまだ来ていないのではないかと思うほどに膨らみのない胸元。
それから地味に過ぎる顔つきと、額へのキス程度で大慌てになる子ども染みた純情さ。
色気という概念をどこかに落っことしてしまったと説明されれば納得してしまうほど、ベアトリーチェはガキくさかった。
「し、失礼ですよ……えっと、ダンテさんっ」
やはりベアトリーチェはしっかりダンテの名前を憶えていた。
あの時口止めをしていなければボロが出ていたかもしれないと、ダンテは内心胸を撫でおろす。
「す…………と、とにかく、だ。お前の年齢はどうでもいい」
「よくないですっ」
ダンテは一瞬謝りかけたのだが、なんとなく素直になれず話題を逸らすことを試みる。
女性だけにとどまらず、子どもにまで優しいダンテからすると、珍しい行動と言えた。
「俺が今ここに来たのは――」
「もしもしっ! ベアトリーチェさん、先ほどからゴソゴソとうるさいですわよっ!!」
部屋の扉がガンガンと叩かれ、次の瞬間にはドアノブが回る。
ダンテはやばいと思うまでもなく体が自然に反応し、壁際に設置してあるベッドの下へと潜り込んだ。
「なんですか、先ほどから。誰か連れ込んだのではないでしょうねっ」
部屋に入って来たのは寮の管理人と思われる四十路を過ぎた辺りの女性で、いかにも頑固そうな雰囲気を漂わせていた。
ベアトリーチェは一瞬でベッドの下へと姿を消したダンテに目を丸くしていたが、やがて自分を取り戻してわたわたと手を振り回しながら言い訳を始める。
「ち、違うんです。そ、その、窓がコンコン鳴ってですね、それで窓を開けたらですね……開けたんですよ!」
「窓を開けたらどうしたのですか」
強い口調で問いつめられてベアトリーチェが言いよどむ。
どういう嘘をつくのか考えていなかったらしい。
「開けたらですね、その、ぶわってなって、おでこにごちーんってなったので、それでびっくりして倒れちゃったんです」
「なにが額に当たったのですか?」
「…………えっと、え~っと、虫! 多分虫さんです!!」
「虫ねぇ……」
「そ、そうなんです! おっきい虫が部屋の中をぶんぶん飛び回ったので、それで私も追い払おうとしてバタバタしちゃったんです!!」
「ふーん……」
寮監の猜疑心に満ちた視線がベアトリーチェの顔面にグサグサと突き刺さっていく。
ベアトリーチェは脂汗をだらだらと垂らしながら、必死に愛想笑いを続けるしかなかった。
たっぷり十秒以上も無言の尋問は続いたのだが、「いいでしょう」の一言でようやくベアトリーチェは解放される……ことはなかった。
「ところでベアトリーチェさん、もう少しレディらしくなさい。態度に品がありませんよ。そんなことでは殿方との逢瀬など夢のまた夢です」
「お、逢瀬!? あわわわわわ……」
「そういうところですっ。背筋を伸ばして、口を開けないっ。それから……」
寮監のお説教は、それから何十分も続き、ベッドの下に隠れたダンテはこっそりとため息をついたのだった。
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