第12話 奇妙な苛立ち
ようやく寮監の長いお説教が終わり、足音高く去っていった。
ベアトリーチェは憔悴しきった様子でドアをぱたりとしめる。
「アイツはあんなに説教が長いのか?」
「ひゃっ」
安全を確認してからダンテがベッドの下から這い出して来る。
すっかり土ぼこりにまみれてしまった服に顔をしかめ、さりとて室内で叩はたいてまき散らすわけにもいかないため、肩をすくめるだけに留めておく。
「ほら、そんな声を出すとまたアイツがやって来るぞ」
「う、うん……」
静かになったベアトリーチェをよそに、ダンテはあらためて室内を見回す。
長方形の小さな部屋の中、窓の近い壁際にベッドが寄せられ、ドアに近い対角線上に位置する場所に木製の古びた机と衣装棚などが置いてある。
棚の隣には従者の部屋と繋がる扉が用意されているのだが、そちら側からは一切人の気配がしないため、ベアトリーチェに従者は居ないのだろう。
金がない様なのでそれ以前の問題かもしれないが。
「よし、それじゃあ俺がここに来た理由を説明するから……」
こい、と手招きをしようとしたのだが、ベアトリーチェの頬には朱が差し、瞳には警戒が浮かんでいる。
どうやらまだおまじないの影響が残っているらしかった。
「……そこで聞いてろ」
自分の顔にそれとなく自信を持っていたダンテだが、それによって避けられてしまうという初めての経験に、若干苛立ちを覚えてきつい口調になってしまう。
「俺のことを誰かに話すな。それだけだ」
「話すって……?」
わけが分からないといった風に、ベアトリーチェは首をかしげる。
ダンテがあれほど忠告したというのに、ダンテの事を詐欺師やその他の悪党だとは認識していなかったらしい。
藪蛇だったかとダンテは舌打ちをして話を続ける。
「お前と俺は、以前出会っただろう。その時のことだ」
「あー……」
あの時のことを思い出したのか、ベアトリーチェの表情に影が生まれる。
考えてみれば、ベアトリーチェが執拗にダンテ――ブルームバーグ伯爵家の御者に虐げられていた老人――のことを助けたがっていたのは、自分の境遇と重なっていたからだろう。
確かに同情ではない。
同族意識だ。
老人を助けることで、ベアトリーチェは自分の心も助けたかったのだろう。
だからこそ、彼女の瞳には自虐的な感情が浮かんでいたのだ。
「……おじいさんは、ご無事でしたか?」
「分かり切ってる質問に、答えないといけないか?」
ダンテが言外に老人は自分であると伝えると、ベアトリーチェは苦笑しながら頬をかく。
ベアトリーチェはまだ騙されたままで居ようとしたのだろうが、それ以上に大きな秘密を知られてしまっているダンテからすれば、それは些細な事だった。
なにせ、浮浪児を変装までして助け、二人一緒に、同じ方向へ歩き去ったのだ。
ダンテとテッドはかなり深い関係であり、そこからダンテが浮浪児側の人間だと推察するのは自然だろう。
そんな側の人間が、身なりを整え、貴族を名乗ってアンジェリカの気を惹こうとしている。
明らかに犯罪の臭いしかしなかった。
「もう一度言う。俺の事は黙っていろ」
「…………」
「なにが起きようともお前には関係のないことだし、お前にとって一切不利益はない」
ダンテの言うことは間違いなく真実だ。
詐欺師たちは今回、珍しく違法行為を働かない。
ほんの少し、ブルームバーグ伯爵家から恵んでいただくだけ。
ブルームバーグ伯爵家にとってはわずかな金額であっても、ダンテが一生遊んで暮らせる額になるのだが。
「アンジェリカさんはどうなるのですか?」
「どうも? 貴族の一人娘
そしてダンテは、ブラウン家に金を出してもらう為にアンジェリカへちょっかいをかけているのだと計画の表層を口にする。
出資を募るなんてこと貴族の間では日常茶飯事であり、ダンテは少しからめ手を使っているだけ。
この程度の話、アンジェリカの耳に入らなければ致命的ではない。
「それは人として最低の行いです」
ベアトリーチェの一言が、ダンテの胸を抉る。
ダンテだって、そんなことは言われなくともわかっているが、そうしなければ生きていけない連中も居るのだ。
ダンテが稼がなければ、テッドを含めた子どもたちは飢え死にしてしまう。
綺麗事だけでは生きていけない。
その事を、ベアトリーチェにぶちまけてやろうと、ダンテは口を開き――。
「でも、ダンテさんにも事情があるんだと思います」
ベアトリーチェは、諦めでも、自虐でも、ましてや自らをいじめるアンジェリカの不幸をあざ笑うわけでもない、不思議な笑みを口元に湛える。
「だから、仕方ないのかなって」
ベアトリーチェはダンテを糾弾し、そのうえでダンテを見逃したのだ。
ダンテは温情をかけられ、施されたのだ。
それは詐欺師として誰かから生きる権利を奪い取って来たダンテにとってはとてつもない屈辱でしかなかった。
「……ど、どうしたんですか?」
「別に」
急にダンテの瞳から熱が引いていったことに気づいたベアトリーチェが、困惑した様子で問いかけてくる。
琥珀色の瞳はどこまでも真っすぐで、邪気もなく、ただダンテのことを案じていた。
「どこか痛いのですか?」
それは友人や仲間、しかも心を預けられるほど親密な関係になった者同士がする目だ。
会って間もない、名前しか知らない様な他人が向けていいようなものではない。
しかもベアトリーチェは先ほどダンテの目的を聞いて、ダンテが悪党であると知ったばかりなのだ。
「…………」
ダンテの胸がざわめき、苛立ち始める。
だが、ベアトリーチェの結論は、ダンテにとって大変都合がいいものだ。
イラついたからと言って、それを蹴り飛ばして利をふいにすることはない。
ダンテは小さく深呼吸をして己を押さえ込むと、会話を再開する。
「俺がこの部屋を出たら、お前とは見ず知らずの他人だ。俺は二度とお前に関わらないから、お前も関わるな」
「……お断りします」
ダンテは思わず舌打ちをしてしまう。
いつもならば誰であろうとうまく舌先で丸め込んでしまうというのに、何故かベアトリーチェの前ではそれができなかった。
「ダンテさんは優しい人で……信じられる人ですから、他人では居たくないです」
ダンテが信じられる人、なんて言い方をされたのは初めてのことだ。
女ならばまずダンテの顔を褒めたたえ、次にダンテの言葉に心を蕩けさせる。
だというのにベアトリーチェはダンテに対して混乱こそすれ、顔そのものには価値をあまり見出してはいないし、ダンテが口八丁で要求を通そうとしても、彼女は決して自分を曲げなかい。
今までにダンテが一度も関わったことのない在り方を見せつけてくる少女を前に、ダンテは心を乱してしまっていた。
「……お前にとって都合のいいことが起こる。それが黙っておくことへの代金だ。いいな?」
ダンテは一方的にそれだけ言い残すと、ベアトリーチェに背中を向ける。
「ダンテさん、なんでおこ――」
ベアトリーチェの返事を待たず、ダンテは窓の外へと飛び出していく。
「待って……!」
ベアトリーチェがその背中を追いかけ、窓の外を見回してもダンテの姿は闇に溶け込んでおり、見つけることは叶わなかった。
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