第45話ーーおっさんの初体験

 ゴクリと生唾を飲み込む。


 身体中の匂いを嗅ぐ……

 うん、大丈夫だ。


 ここは東京のあるホテルで、1泊約50万円のロイヤルスイートルームだ。

 いつもの俺ならば、初めて見る豪奢な調度品や大きな窓から見える風景に目を奪われていた事だろう。

 だが今日は、入室後荷物などを置いてから椅子から一歩も動けていない。


 あの人が来るまで、後5時間はあるというのに、もう既にずっと心臓は高鳴りっぱなした。

 荷物からコンビニで買ってきた紙パックの麦茶を取り出して、ストローでゆっくりと飲む。

 落ち着け……落ち着くんだ!大丈夫だ。


 朝早くから、風呂に入り直し、念入りに身体中の隅々までたっぷりの洗剤をつけてしっかりと何度も何度も洗った……耳の裏から突き出た腹の裏までしっかりと。

 爪もヤスリで綺麗に磨いた……磨きすぎで少し爪が薄くなってしまったような気がしないでもないが、ピカピカにした。

 歯も磨きすぎで血が出てきたけど、歯間ブラシまで使ってやった。

 眉も整えたし、鼻毛チェックも済ませた。髭も剃ったが……うん、髭は直ぐに伸びると宣伝でも再三やっていたからな、もう一度剃っておこう、電気シェイバーを持ってきて正解だったな。

 今日この日のために新調したスーツも、オーダーメイドだけあって高かったが、ビシッと決まっているはずだ。


 久しぶりに香水もつけたせいか、出かける時に「そんなにしっかりとキメて、もしかして浮気ですか?」なんて言われたが、「違うよ」とさり気ない風に答えたが、怪しまれなかったかな……


 ふぅ……

 まだあと4時間55分もある。

 もしかして早く来すぎたのだろうか……

 いや、何かあってからでは問題だから、早く来ることに越したことはない。


 でもまさかこんな機会が訪れるとは思わなかった。

 俺があの人に会ったのは、これまでに2回。

 1度目は俺の勘違いなとではなく、少なくとも数十分は、会話こそ交わさなかったものの目と目を交わらせて見つめあった。

 2度目は同じ場所にはいたが、声を掛けられる雰囲気などではなく、俺の方が一方的に見つめるのみだった。

 後はずっとテレビや雑誌などで見ることしか出来なかったのだが、今回こうやってホテルで過ごす事となるとは思いもしなかったな……

 初めてという事で、記念の意味を込めて、この一生縁がないと思わらるようなロイヤルスイートルームを用意した。


 コンコンッ


 んっ?

 なんか音がしたか?

 ふっと時計を見ると、いつの間にか予定時間の5分前となっている。

 まさか俺は寝てしまっていたのだろうか……緊張でここ3日ほど全く眠れなかったとはいえ、この一世一代のチャンスに眠ってしまうとは……しっかりしろ俺!!


 コンコンッコンコンッ


 っ!!

 やはり気のせいじゃなかったようだ。


 逸る気持ちを抑えるようにしながら、扉へと向かい開ける。


「よ、ようこそお越しくださいました、中へどうぞ」


 迎え入れて、音を立てないようにゆっくりと扉を閉める。

 椅子に座って貰うように促してから、電話で事前にお願いしたシャンパンなどを直ぐに持ってきて貰うように頼む。


 運ばれてきたシャンパンを開け注ぎ、対面へと座る……お、落ち着かない。


「そんなに緊張しないで下さい」


 そんな事を言われても、身体が言うことを聞かないんだ。背に汗が湧き、ワイシャツを湿らせる感覚が、また俺を焦らせる。


「なんとお呼びすればよろしいでしょうか?」

「好きに呼んでください……」


 好きに?

 ここはフレンドリーさを出すために、フランクに呼んだ方がいいのだろうか?

 いやいや、突然こんなおっさんにそんな呼ばれ方をしたら気持ち悪がられるに決まっている。何が正解なんだ!?


「まぁ、時間も勿体ないですし、始めましょうか……万全を期して来ましたが、万が一マスコミにでも気付かれたら大変なことになりますし」

「そ、そうですね」


 ヤバイ、つい裏声になってしまった。


「場所はこちらで?」

「い、いえ、あちらでお願いします」




 案内して……

 そこからは無我夢中で覚えていない。

 気がついたら、既に3時間ほど経っており、既にあの人は帰った。

 残されたのは、興奮冷めやらぬ身体と、まるで全力疾走したかのような疲れ……


 ぼーっとしている暇はないが……

 せっかくだから、柔らかなベッドに身を沈めて少し眠る事にしよう。


 起きたら、今回の世界初の神様単独インタビューを纏めなければ……



 突然連絡があったのは2週間前。

 どうしてもテレビ局のカメラマンとしてのテンションが保てずに、職場を辞してフリーカメラマンとなった俺の携帯電話が鳴ったのは。


 それは、神様専門のフリーカメラマンを名乗る俺に単独インタビューを許すがやらないかという、神様本人からの電話だった。

 当初、表示されている番号が公衆電話だった事もあり、タチの悪いイタズラだと決めて掛かっていたが、頭の中にいつもの神の啓示で話しかけられた事により、真実だと確信することとなった。


 そして段取りを決め、用意が整ったと近くの神社で願う事で連絡して、今日となったわけだ。


 俺はカメラマンだ、ずっと映す事だけを仕事としてきたために、インタビューなんて初めてだったが何とかなった事にほっとした。


 大磯保、これが神様の名前だ。

 世界中では、生まれた時から神だったのか?それとも何かの条件を満たしての進化なのか?進化だとしたら、その条件は何なのか?誰でも神へとなれる可能性はあるのか?


 様々な疑問、謎。


 進化条件など細かい事ははぐらかされ話して貰えなかったが、包まれていた謎のベールを少しでも剥がせた気はする。


 俺自身も話して、生まれた時からの神ではなく、ただの人間、俺たちと変わらない人間だったという事を強く感じるものだった。

 そう、マラソン大会で先頭を爆走するのを、俺がずっと映し続けた時から何一つ変わらない、人間くささを残していた。


 人智及ばぬ力を持つと、恐ろしさだけを感じている人々に、神様の人となりが少しでも伝わればいいのだが……


 さて、テレビ局に売りつけなければ……


 その後は……

 今度は人気のあるアル様、ウルフ様、ヒロコ様やローガス様のインタビューを許して貰えないだろうか……そっちの方が反響も高そうだし……

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