38 我がエゴイズムに関する分析
私の行動、言動、あらゆる精神的、肉体的活動、その全てはエゴイズムに立脚する。
私の脳、神経、欲動、細胞…それらは全て私のエゴイズムに対してのみ奉仕する。私の肉体は、総合して己の快楽と…すなわち存続、繁殖、その他諸々の利益以外の何一つをも所望しない。無論、それは目に見えざる精神に至っても、変わりなく同様である。
私は一度として、自らに利益のないあらゆる活動をしたことがない。これに関しては一つの疑いもなく、『ただの一度として』である。
確かに、私の活動が他者に利益を齎すことはありうる。しかし、それはあくまで副産物でしかない。私はその副産物を量る定規を持たぬ。可能性を弾き出す算術も持たぬ。私は、私以外の何者かの存在など、究極的にはどうでもいいのである。私はただ彼らを、己のために利用しているに過ぎない。彼らが私に何ら利益を齎さないとすれば、私は私と外界との間に結ばれた全ての関係を自ら断ち切ることだろう。他者に影響を与えうる私のあらゆる活動にも、その芽吹きと終局には純然たるエゴイズムが存在することは、疑い得ない事実である。
あえてここで明文化しておくが、私はそれを確かな事として完全に信じている。
私はここで、人類皆利己主義だなどと私の私に対する分析を押し広げ、世間を悲観的に嘆くつもりは毛頭ない。
私は私であり、私は私しか知らぬ。私が私以外を『知る』ことなど、永久にありはしない。故に、私は私のこと以外何一つ確言としては語り得ない。語り得ることがあるとすれば、それはただの仮説である。ましてや、私が私に対して語るところの、確証に至らぬあらゆる物事よりもさらに証拠の乏しい仮説である。私以外の何者かは、私の知る『人間』…すなわちそれは私個人の生物的分類を示す…であるという確信などそもそも私にはない。私は私のうちの『人間』しか知らぬ。さらに言えば、私は私の最も重要な拠り所である脳ですら自ら見たことはない。私は私の見たもの、感じたこと、味わったものからしか本当の意味で『知る』事などできはしない。
私の精神もまた、私の肉体のうちにしか存在しない。仮にそうでないとすれば、私はとっくの昔に全ての人間関係を己の思うがままに好き放題私の欲望への奴隷として、奉仕させていることだろう。
…話を本筋に帰そう。
私以外の個体である何者かの脳が、神経が、精神が、私には思いもよらない何らかの意図に立脚して活動を行っているとしても、それに私が驚くこともなければ負い目を感じることもない。それはただ彼らと私が、異なる個体であることの証明であるに過ぎないからである。…
さて、以下に分析の例を挙げて当章を閉じるとしよう。
愛情は繁殖への悲願、単なる経済的利益、種々の精神的快楽、世間的建前と詩的感情、時間に規定される惰性、これらにより成る。
友情は保身、苦痛からの逃避、『愛情』からの逃避、相互援助への希望的観測や…異性間であれば生物的な放蕩さを持つ狡猾な繁殖欲求の担保…などから成る。
上記の二つについて、ここに挙げた理由だけにで全てを語り終えたと私は考えていない。しかし、ここでいくら言葉を弄し、並べ立てたところで、その根源の示すものはただ一つである。それは間違いなく、私のエゴイズムを指し示している。こうして私はただ、私のうちの愛情や友情といった一見エゴイズムを巧妙に覆い隠した心理活動について、一抹の考察を附すのみとする。
…少なくとも、今の私にとってはそれで十分だと言えるだろう。
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