35 憎悪
現実は、全て我が心象世界の鏡像である。より正しく記せば、現実世界に見出す全ては我が心象世界の鏡像である。
その前提の上、我が憎悪について記そう。そして同時に、これは私の恥部であり、最も下劣で軽蔑されて然るべきものである。しかし、私はそれを率直に記すことでしか、私を私のままに遺す術を知らない。どれほど醜かろうと、私は私である。故に、以降は強い統制の下で、私の暗部を開示することとする。抑圧と抵抗を取り払うことに、私のでき得る限りの統制、制御を用いようと思う。
読者の皆様におかれては、以降の内容に嫌悪を、憎悪を、軽蔑を、向けられること甚だしいであろう。それは当たり前である。そして正当である。甘んじて受け入れる他ない、正論であり、何一つ間違いのない感情である。それは私にとって恐ろしい。私は嫌われたくなどない。軽蔑を向けられることは恐ろしい。誰にでも好かれるに越したことはない。ましてや、私の拙作を読んで下さる、私の人生において重要な意味を持つ尊い皆様方であれば、尚更である。だが、以下に記す思考があくまで私の一部分の真実である以上、私はその恐怖に抗い、分析の上で淡々とそれを記さねばならない。
私は強姦魔を、現実的な性的倒錯者を、人の尊厳を踏み躙るあらゆる行動を実践する悪魔どもを絶対的に憎悪している。
だが同時に、私の根源たる無意識の欲動は、その行為そのものを嗜好する。それに対して私の自我と超自我は、徹底的な自罰と、顕然化への抵抗、欲動そのものへの認識に対する強固な抑圧を生ずる。私の自我以上に存在する理性的な機関は、人の尊厳たるものを重要視してやまない。私のその視点は、有限の時間に規定される意味としての『命』さえ乗り越え、尊厳を守ろうとする矛盾さえ孕む。それほどに徹底的なものである。
故にこそ、私は現実においてそれらを実行するものに凄まじい憎悪の念を抱くのである。仮に私が、欲動の内にその嗜好を持たぬとすれば、これほどの憎悪は起こらなかっただろう。また、私が私の下劣なこの欲動に気付かなかったとすれば、洞察がそこに及ばず、抑圧が完全にその役割を全うしていたとすれば、私の憎悪は世間並の憎悪で済んだことだろう。しかし、私は気付いている。気付いたのならば、目を塞ぐことは許されない。それは虚飾であり、逃避であり、当作を執筆する上での私にとって何よりも避けるべき罪である。
…最後に、下劣な私の欲動に幼稚な自己弁護を施すことを、どうか赦してほしい。私の良心…いや、そんなものなどない。ただ、私の超自我と自我は、今ここで、金切り声のような痛烈な悲鳴をあげている。向けられるべき軽蔑を、嫌悪を、そして何より自らの嗜好が、憎悪して憚らない現実の実行と似通っている事実を認め、こうして書き遺すことに、身を裂かれるような苦痛を感じている。
さて、自己弁護の時間だ。
畢竟、嗜好と実行の間には、夢と現実の関係性と近似するほどの隔たりがある。
この注釈を持ってこの章を閉じることを、どうか赦してほしい。…
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