33 大衆文化
大衆文化とは、ある症状への対症療法であり、春だけ愛でられる桜の花弁であり、書物の一節に向けられた拡大鏡である。
我々は風邪に罹れば、苦しみを逃れるために風邪薬を頓服する。しかし、その苦しみの源泉を探ろうとするものはまずいない。苦しみを紛らわしている間に、『時』の作用によって大抵の風邪は完治し得るからである。
我々は桜を愛するというが、畢竟、それの大半は春に咲いた桜の花弁を愛するに過ぎない。桜が花開かなければ…さらに言えば開かぬ時節の桜は、我々の多くにとってただの路傍の木であるに過ぎない。
我々は偉人の格言や言動、行動、逸話を拾い上げ、尊敬の念を抱き、時には自らの人生の糧とさえする。しかし、我々の多くは、その脈絡を探らず、その真意には見向きもせず、実のところそれが真実であるかどうかさえ大して気にしてはない。
物を考え、何かに没頭するようになると、我々はそれに関する大衆文化を否定したい気持ちに駆られる。それは列挙した例を鑑みれば明白である。
されど、我々はあくまで大衆である。有象無象の風景画に描かれた、背景の表情もない一人物である。我々が大衆を抜け出し得るのは…その人生を賭けて打ち込んだ物事、ただ一つに関してのみである。無論、それでさえ確実とは言い難い。
畢竟、我々が我々の大衆文化を嫌悪し、同時に甘んじて享受していることは、人類が培ってきた深淵なる文化そのものへの自然と『時』が齎した、浅はかな現代人たる我々への痛烈な皮肉であり、警告である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます