31 不安の円環
我々はあらゆるものに慣れ、耐え得る。それを人間の特技と呼ぶには語弊があろう。これはただの特徴である。そこがあばら屋であろうが、我々は容易に数日のうちに安住を見出す。自身の身勝手な欲求と現実の狭間における巧妙な妥協…停戦協定は、その姿を安心の中に丁寧に覆い隠している。…
しかし、我々はあらゆる場所に留まることを許されてはいない。我々に与えられた唯一の居場所は、個体と規定される有限の物質の内側のみである。個体に封じられた我々の命は、言うまでもなく時間という究極の流動に規定される。そしてその規定は、我々から目まぐるしい速度で安住の地を奪い去り、不条理にもまた押し付けもする。
不安とは未知への恐怖である。恥への恐れであり、自我への危機を察知する些か過剰な仕事ぶりの偵察兵である。すなわち、それは安住を失う恐怖である。無論、この『安住』は、物質にのみ規定されうるものではない。不安は、慣れと安住のうちに、一時の小休憩を得る。されど、それゆえにこそ、我々はまた新しい不安に駆られ、新たな安住の地を探して、荒野を歩きまわる。
我々に我々以外の居場所などない。我々には両足があるが、それは決して木の根になりはしない。しかし、我々はそれを求めてやまない。両足で根付く土はないかと、途方もなく、ただ歩き回り続けている。この延々と続く、望まれる答えのない旅路は、常に不安との格闘である。そして我々はいつしか、より良い欲求と現実の妥協点を探り当てるだろう、されどそれもまた。…
生きている限り、我々に我々以外の居場所などない。ないのだ。
永遠の安住は、ただ死という個体と時間に規定された肉体の終末を持って決する。我々は、我々の唯一の居場所を失うことで、喪失の恐怖…永劫の不安との格闘から解放され得るのである。
ウロボロスの円環の上、我々はただ、歩いている。
己が己を食い尽くす瞬間を、己ですら知らずに、待ちわびながら。
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