27 ギリシャ彫刻

 私はある日、突如として女体の美を知った。

 私は既に女を知っていた。しかし、私はその日まで、女体の美を解さなかった。それは性的官能を一切排除したものだった。その日から、私にとってミロのヴィーナスやサモトラケのニケは自然の作り出した女体というデザインの、その崇高なる美の象徴となった。

 それから私は無意識にも意識的にも、女に『女体の美』を見出そうと躍起になり始めた。同時、私の理性は、自他の肉欲への嫌悪をより増悪させた。肉欲が砂粒一つでも混じってしまえば、私にとって『女体の美』は成り得なかった。

 畢竟、私は女に、デザイン…男体では生まれえない曲線美やその陰影…としての美を求め出した。その感性は、私が流麗な自動車のディテールや冬の白樺の梢、川底で摩耗した石に思うところの美と全く同じ意味をなしていた。

 これは私の芸術的指向性及び美観であるとともに、人間性への徹底的な無視という欠陥を孕んでいた。私は女性の、人間性そのものを否定するつもりなど毛頭ない。私にとって彼女らは生まれながらにして、幸運にも神と自然に愛された芸術ですらある。…

 しかし、私のうちに芽吹いたこの『女体の美』に対する認識は、確かにその女性のうちの人間性が完全に失せ切らなければ、完成され得なかった。だが幸運にも、それは私にとって、一瞬間ですら何の問題も持たなかった。私にとって『美』は、それが持ちうる時間の長さなどで価値が決まるものではなかった。美的な刹那は、私にとって平凡な永遠を完全に凌駕する価値を持っていた。

 さて、この『女体の美』の発見は、私に新しい芸術的楽しみを教えた。

 しかし同時に私は、自らの生殖能力の欠如と生活力の無力さ、そして何より人間性の完全なる喪失である死への憧憬と近接を、この発見の、煌びやかで美しいステンドグラスの光の中に、見出さざるを得なかった。



*『女』『女性』『女体』の三つの呼称は、全て『人間の女性』を指しているが、私の中の曖昧な感覚的ニュアンスに基づく三種の言い換え…各々独自の様相の状態を表す言葉として当章では用いている。

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