19 死に至る病

 我が肉欲は無差別的である。それは我が精神を顧みることがない。ただ無秩序に、無差別に、それは沸き上がり、そしてやがて鎮静していく。

 私はこの肉欲に。嫌悪を覚えている。いや、それは憎悪と言い換えても過言ではない。

 私の精神は、それなりに誠実である。主に本から得た強固な超自我のおかげか、少なくとも放蕩ではない。私の精神が、それのみとして浮気を…パートナー以外の女性を望んだことはない。これは虚飾なしに、真実である。

 しかし、とここで書くことは、私にとって苦痛である。だが、それが事実である以上、この書き出しを始めることは私にとっての義務である。

 私はパートナー以上にある友人に肉欲を覚えた。これは罪である。重く、醜く、あまりにも人間的な罪である。この欲動は行動に移さぬ限り、罰せられることはない。しかし、罰せられぬことと罪がなくなることは同意ではない。この罪は、私の精神の監獄の中に閉じ込められた許されざる大罪である。この章は、その意味で、私の罪の告白であり、自白であり、神に赦しを請わない告解である。

 私はパートナーに精神的満足を感じている。その人間性に、嗜好に、そしてこのような私を想ってくれるということに、身に余る幸福を感じている。

 だが、私の肉欲は、この醜悪で制御しようのない無意識から発せられる膨大なエネルギーは、それに否を唱える。すなわち、貴様のパートナーよりも、今目の前にいるこの女のほうが魅力的だ、と。

 私はそれを認めないこともできる。本能を否定し、そのエネルギーを見なかったことにすることもできよう。現に、多くの人間はそうやって生活しているものと、私は心のどこかで信じている。それは私が異性経験という意味合いからすると無垢に近いからであるかもしれないし、ただそう『信じる』ことで自らの罪を軽くしたいからかもしれない。 

 だが私は、このエネルギーの表出を、認めざるを得ない。私が『智慧』による人生の支配を求めている限り、認めざるを得ないのだ。我が肉体のうちに巣食うこの恐ろしい怪物を、より理性的に『飼いならす』には、その段階を踏み越えなければならない。敵を知らなければ、満足な戦などできはしないのは、言うまでもないからである。

 我が肉は、友人を貪り食うことを求めている。その精神を顧みず、関係を顧みず、立場や役割も知らず、ただ盲目なままに…友人をただ異性として、肉として貪り食うことだけを求めている。ただその肉が、我が肉欲にとって魅力的である、というそれだけの理由で。ああ、なんという俗悪さ加減か。こうして執筆を行っているだけでも、反吐が出る思いだ。

 だがそれ以上に、我が精神は、その友人を大切にしたいと思っている。友人の幸福を祈っている。この関係の破綻を恐れている。…パートナーに対する裏切りも、恐れている。何度も自らに問いかけなおし、そして生まれた純粋な精神的判断は、これらである。私は、ここに自らの虚偽を疑いたくはない。そこまで、私の精神は堕落していないと…信じている。

 ここに人間らしい、いかにも人間的な葛藤が生まれる。すなわち、自らの肉に従うか、精神に従うか、という二元論的対立公式である。人は常に、白か黒かを望みながら、永遠にそのどちらになりきることもできない。ただ灰色の割合を変えて、妥協点を探り、そこに安住の地を見出すだけである。その意味でとらえれば、世界にも完全な白と黒など存在し得ない。それを知りながらも、まだ人間は…、いや、私は白か黒かを求め続けてしまう。

 これは一種の病である。それも、死に至る、と受け加えてよかろう。キルケゴールが絶望を死に至る病とするならば、私は、人間の肉と精神の狭間で揺れ動き、その両者を認識しながらも激しい葛藤のうちに苦しみ続けること…自らの穢れを認識し、それに抗い続けること…それを死に至る病と名付けよう。

 この死に至る病に侵されながら、私は精神による抵抗を選択する。これは当然である。私は放蕩を望まない。我が精神は誠実を尊び、理性と智慧を信奉する。肉による支配を許せば、絶対的な快楽が手招きをしていることを知りながら、それでも私は抵抗する。これはもはや恋愛に限る話ではない。人生哲学である。

 我々は、死に至る病を抱えながら、穢れたその肉体に反抗し、生きていく。その苦しみは筆舌に尽くしがたいが、自らの生が続く限り終わることのないこの戦いに敗れ、『満足な豚』を選びとることは…愚かであると最後に私は断言しておきたい。

 いうまでもなく、この断言は、私にとっての決意である。

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