18 幸福の絵画
私の脳裏には、昔からこびりついて離れないある映像がある。
それは、『○○の幸福』と題された絵画に関する映像である。空白には、私以外の何者か(友人や恋人…私にとってその時々で重要な人々)の名前が冠されている。
その絵画の中には、その何者かの幸福が描かれ、そこには何一つの破綻もない。
私は、その完成しきった絵画を、額縁の外、いわば美術館へと訪れた観光客のように、ただ眺めている。その完成度に感嘆を漏らしながら、私は暖かな笑みさえ浮かべている。この時の私は、疑いようもなく幸福である。
この映像の、私にとって重要な点は、私が絵画の登場人物にならぬという部分にある。ここでは私はある人物の幸福を描いた絵画の、ただの傍観者にすぎない。私はその絵画に、自らを登場させることを、どこかで常に拒否し続けている。私が絵画に入り込むことで、その完璧な調和をみせる絵画が、破綻することを恐れている。そしてその破綻は必然であると、心のどこかで信じ切ってさえいるのだ。
私は何者かの幸福を願い、そして最後は自らその破綻のない絵画から身を引くことで、その人物に対する歪んだ愛情を表現し続けている。これは紛れもなく一種の美学である。されど、同時に、紛れもなく、病んだ美学である。
この私の病んだ美学は…三島が憂国の中に表現した究極の死の美学に近接していると、言えないこともない。
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