20 死の美学

 私は死という概念そのものに美学を抱いている。

 桜は散るからこそ美しい。

 紅葉は死体であるからこそ美しい。

 冬の木々の純朴なディテールの美しさの源泉も、無論その生命の象徴たる葉を失ったことにある。…

 人とて自然の一部であることを否定することはできぬ。その否定は傲慢であり、世界からの逸脱を企てる智慧の罪である。

 畢竟、人の死に美しさを感じるのは、枯れた木々の足元に敷き詰められた枯葉の群れに美しさを感じるのとなんら大差はない。ただそこに一種の抵抗が生じるのは、人の自らの死を恐れるがためである。

 されど、人は死ぬ。必ず死ぬ。それは今かもしれぬ。明日かもしれぬ。遠い未来にあるのかもしれぬ。それは予測などできないが、必ず我々は死ぬ。

 生命がその死に恐怖を感じるのは自然である。我らの営みの基礎たる生を、その冷酷な鎌で刈り取る死神に恐れを抱くのは必定である。この純然たる事実から目を背けるのは、ただの盲目である。

 だが、歴史を顧みてみたまえ。人は、偉大なる人の死に、どれほどの美を感じ続けてきたことか?キリストは死んだからこそ偉大なのである。彼が生き続けていたのなら、そこに絶対の死を乗り越える奇跡はない。それに信仰など生まれるはずもない。キリストが熱狂的に人類によって信仰される理由の一つは、間違いなく彼が死んだことに起因する。

 死の美学は、安堵である。慰めである。何があろうと、どんな人物であろうと必ず死に絶えるというこの世の不条理への抵抗の色彩を帯びた(だが、これは抵抗そのものではない)死という絶対に基盤を持つ絶望の中の希望である。

 

 しかし、私はここで立ち止まる。


 美学は、決して慰めなどであって良いはずはない。それは崇高でなければならない。それも、この世の何ものをも差し置いた、孤高の崇高さを持たなければならない。所詮慰めなど、その困難な生から苦痛を一時忘れさせるための麻酔薬に過ぎない。モルヒネを芸術品だと言い放つ人間はそういなかろう。それは死を眼前にした、生への慰めであり、同時に、『死を美学とするため』の猶予期間を設ける人工的モラトリアムである。

 ならば、私はこの慰めの美学を超越せねばならぬ。美を信奉するのならば、この慰めのみに留まることは、許されざる傲慢である。


 では如何にして『死の美学』が完成するか?


 という問いに私は直面する。ここで死の美学などないと断ずるのは、一種のリアリズムであり、それも一つの在り方である。それを否定はしない。しかし、そのリアリズムに私にとっての美は存在しない。私はここに、諦めという、美学からは程遠い心理動作の一抹を感じてならないからである。

 美学は完成されなければならぬ。それに破綻は許されない。ただし、これは、完成された美学が必ずしも『破綻していない』ということを意味するのではない。破綻した美学はある。むしろ、美学は破綻を内包せねば美学足り得ないとさえ言えるだろう。されど、それは完成を前にした破綻ではなく、『破綻を内包した完成』の最終形でなければならぬ。

 死は完成されねばならぬ。それによって人の生という一連の活動すべてが、結実をみなければ美学とは成り得ない。私は自らの思うように、思い描いた時期に、思い描いた通りに死を迎えよ、などと言うつもりは毛頭ない。先述したとおり死は必然であり、それは不条理である。その克服は不可能である。しかし、それでよいのだ。


 死の完成とは、ただいつどこでふりかかるかわからぬ死神の鎌の切っ先を真っ直ぐと見つめたまま、『今を己の美に従って生きる』ことである。


 そこに死への恐れがあってよい。罪があってもよい。弱くてもよい。偉大でなくてもよい。…それらは、ほんの些細なことである。

 人間の弱さ、醜さ、その存在の儚さ、それを全て認識し、受け入れ、その上で今をのみ見つめて美学を突き詰めてこそ、その最後に完成された『死の美学』は結実する。

 我々が今しか生きられぬことは周知の事実である。しかし、今を己の美学に従って生き続けた先に、我々にとってただ一つ平等な死は、人の成し得る最も確実で崇高な『死の美学』の極致へとたどり着く。


 畢竟、私の持つ『死の美学』は、『今を美しく生きる』という至極単純な哲学より生ずる。それは困難である。美しく生きることは、善く生きることよりも余程難しい。


 だが、その困難に抵抗する姿こそ…まさに『美』そのものではあるまいか、と私は信じてやまない。

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