第6章 そして目覚めた黒鳥姫は

 蛍のような燭台の明かりが連なる黄昏色の廊下を、やわらかな生成りのドレスに身を包んだユーフェミアが早足で歩いていく。背中に針金でも入っているのではと思うほどに、彼女の背筋はまっすぐに伸びたまま曲がることなく、滑るようにしてドリスから遠ざかる。

「姫様、お待ちください……!」

 宮殿の召使たちは夜会の準備に追われているのか、絨毯の敷かれた長い廊下にはドリスとユーフェミアの二人きりだった。ユーフェミアは足を止め、ドレスの裾をふくらませて振り返る。

「何か?」

 ユーフェミアは、いかにも姫君らしい可憐な笑みを浮かべ、早春に咲くスイセンのように軽く小首をかしげた。

「姫様……どうして、あんなこと」

 小走りで追いついたドリスは胸に手を当てて呼吸を整えながら、途切れ途切れに問いかけた。

「婚約を解消なさるだなんて……」

 そのうえ、パーシバルとドリスを新たに婚約させようだなんて。

「現状で考えうる、最善の策を提案したまでですわ」

 燭台の明かりに照らされて、ユーフェミアの蜂蜜色の髪はいっそう深くつやめいた輝きを放っている。髪と同じ色の睫毛に縁取られた空色の瞳には、戸惑いを隠せないドリスの顔が映り込んでいた。

「わたくしがあなたから呪われた原因は、パーシー様との婚約ですもの。呪いを解くには、大本を断てばいいのでしょう?」

「それは……」

「いずれ、あなたとパーシー様が心から結ばれれば、魔力凍結の呪いも解けて一石二鳥ですわ」

 そんな日はきっと訪れない。パーシバルは、一途にユーフェミアを想っているのだから。

「姫様は……それでいいのですか?」

「いいも悪いも、他に何か方法がありまして? あなたが今ここで、誰もが納得できる妙案を出すというのなら、わたくしはそれに従いますわ」

 的確すぎるユーフェミアの言葉に、ドリスは押し黙った。何の策も思いつかない自分が悔しくて、腹立たしい。

 波立つ心の奥を見透かしたかのように、ユーフェミアは声を落として言った。

「間違えても、自分から沈黙の魔女に身を差し出そうなどと考えてはいけませんわよ。そんなことをしたら……お兄様を悲しませたら、わたくし、一生あなたを恨みますから」

 ユーフェミアはドレスの裾をひるがえし、優雅な足取りで立ち去った。

 ドリスは、ユーフェミアを追うことも、セレストたちのところへ戻ることもできないまま、茫然と立ちつくしていた。



「僕は、ユフィ以外の女性ひとを愛する自信はないよ……」

 長椅子に座るパーシバルは両膝の上に肘をつき、両手で額を覆って力なくつぶやいた。

 常にマイペースな彼が落ち込むのは、とてもめずらしい。ユーフェミアに婚約解消を言い渡されたこと、長年にわたってドリスの気持ちに気づけなかった自分の鈍感さ、その両方に打ちのめされているといった様子だった。

 婚約解消については、猫の呪いのことを両親――国王と王妃に打ち明けてから、あらためて相談すると決めた。ユーフェミアも承諾した。

 薄暗くなった室内には、燭台とシャンデリアの明かりが煌々と灯されている。宮殿内に明かりをつけるのは魔法使い見習いの仕事だが、今日はたまたま居合わせたダレンがその役目を買って出た。今は、幹部たちへ報告をしに魔法師団の塔へ戻っている。

「セレストは、知ってたの?」

 ドリスがパーシバルに対して、ひそかな恋心を抱いていたことを。

 長年そばにいれば、言葉が足りなくても会話は成り立つ。セレストは短く「ああ」とだけ答えた。

「ごめん」

「謝られると、余計にヘコむもんだな」

「僕って……もしかして、かなり鈍感?」

「昨日今日始まったことじゃないさ」

 セレストは苦笑を浮かべながら出窓に歩み寄り、外の様子を見下ろした。

 城門から前庭を貫く道に沿って、賓客の馬車を迎える篝火が等間隔に焚かれている。今夜も、名前と爵位しか覚えのない貴族たちと適当な挨拶を交わし、拘束具のような宝飾品で飾りたてた姫君たちとダンスを二、三曲踊るのだろう。それが、王族としての自分の役目だ。

「いかなる災いが降りかかろうとも……、お前は一生、ユフィを愛すると誓った」

 磨き抜かれた窓ガラスに指を這わせ、セレストは言った。

「セレスト、あれは……」

「俺が立会人だ。誓いを違えることは許さない」

 振り返ると、パーシバルが腰を浮かせて困惑したような顔をしていた。

「俺も一つ、誓いを立てる。立会人になってくれないか、パーシー?」

 深みを増していく夜空を背に、セレストは凛とした眼差しで誓いの文言を口にした。

「いかなる災いが降りかかろうとも、俺は生涯、ドリスを護り抜くことを誓う」

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