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南向きの大窓から射し込む白い陽光は、普段なら動機息切れ目眩を引き起こす、いわばドリスの天敵である。しかし、今は倒れている場合ではない。ドリスは両足を踏ん張って、どうにか意識を保っていた。
「見ない顔ですわね。どこから入ってきましたの?」
長椅子に腰かけて女官の手当てを受けながら、クラレットは眉をひそめて詰問する。
「あ、あの……わたしは」
ドリスは、弱々しく呼吸するユーフェミアを周囲の視線から隠すように抱きしめ、視線を泳がせる。
「王女はどこへ行きましたの? なぜ、その猫をあなたが抱いているのです? 答えなさい」
「答えなさいよ!」
問いを重ねるクラレットに続いて、マリアンナが高圧的に責めたてる。
「その方……、ノルマン伯爵のご令嬢ではなくて? 先日、婚約披露の舞踏会でお見かけしましたわ」
固唾を飲んで見守っていた令嬢の一人が、ふと思い出したように声をあげた。
「そうですわ。たしか、王太子殿下と踊っていらした……」
「あの時、倒れた方ですわよね?」
続けざまに、二人、三人と口を開き、ざわめきが波紋のように広がっていく。
「あなた……もしかして、ドリス・ノルマン?」
クラレットの顔色が変わった。バラ色の頬から血の気が引いていくのが見て取れた。
「悪魔の娘……?」
クラレットの唇からこぼれ出る呼称は、幼い頃から何百回と耳にしてきた。親しみをこめて呼んでもらえているのだと思えば嫌なことなどありはしない、と自分に言い聞かせる。
しかし、次にクラレットが口にした言葉は、ドリスの心を容赦なく抉った。
「そうですわ。セレストお兄様を焼き殺そうとして、王宮から追放された魔女ですわ!」
鉄の棒きれでこめかみを殴られたような衝撃が走り、目の前が一瞬、真っ暗になった。
焼き殺す? 誰が、誰を?
(違うわ。だって、あの時、わたしは……)
六歳のドリスが王宮を離れる直前、セレストと諍いを起こしたのが原因で逆上し、初めて魔力を暴発させた。セレストは手足と額に切り傷を負ったが、どれも命にかかわるほどのものではなかったはずだ。それでも、彼に怪我を負わせたことに変わりはない。
「なんのこと……ですか?」
「いやっ、近寄らないで!」
ドリスが一歩踏み出すと、クラレットは警戒心をあらわにして叫んだ。弾かれるように立ち上がり、妹のマリアンナを護るように引き寄せる。
気づけば、サロンの最奥に残されたドリスを囲むようにして、タンポポ色の令嬢たちが半円を描いていた。
「何かの間違いです……。わたし、そんなことしていません……!」
必死に訴えるドリスを遠巻きにするクラレットたちの視線は、ひどく冷たい。
「間違いなものですか。疑うなら、セレストお兄様に直接訊いてごらんなさい」
「殿下に……?」
あの日のことについて、セレストは何も言わない。
逃げるように王宮を離れ、ランカスタ村の生家に引きこもってから数カ月経ったある日、セレストがひょっこりやってきた。かすり傷ひとつない、元気な姿で。
たった一言、「俺から逃げられると思ったら大間違いだからな!」と、小さな身体を反らして偉そうに言ったのだった。
「殿下は、何もおっしゃっては……」
「セレストお兄様はお優しい方ですもの。使いものにならないポンコツ魔女なうえに、お嫁のもらい手がまったく望めないあなたを、哀れに思われたのですわ」
クラレットは誰かの手から奪い取った羽根扇を、空気を裂くように振り下ろして広げ、優雅な動きで口元へ寄せた。
「そうでなければ、あなたのような田舎貴族の娘など、セレストお兄様が目をかけるはずがありませんもの」
「お姉様は、セレストお兄様にダンスを申し込んで断られたんだから!」
「マリアンナ、余計なことを言わないでちょうだい」
クラレットは、ぴしゃりと妹を制し、再びドリスに目を向ける。
明らかに悪意のこもった口ぶりで、鋭利な刃物で斬りつけるように言った。
「呪われて、よかったですわねえ。うらやましいですわ」
胸の奥を引き絞られるような痛みが走った。ドリスは思わず、クラレットから顔をそむけるようにしてうつむいた。
何かの本に書いてあった。言葉はある種の魔法だと。使い方次第で祝福にも呪いにもなるのだと。
「おやめなさい、クラレット! それ以上は、わたくしが許しません!!」
身震いするドリスの腕の中で、白猫のユーフェミアがかすれた声で叫んだ。打ちつけた身体が痛むのか、彼女の呼吸は荒い。
途端、クラレットたちの表情がこわばった。
「猫が喋った……?」
「お姉様、今の声、ユーフェミアの声じゃなくて?」
ドリスは咄嗟に背中を向け、ユーフェミアの姿を隠そうとしたが遅かった。
「呪いだわ!」
「王女殿下は、魔女の
誰かが叫ぶのを皮切りに、銀翼の間は騒然とした。
入口の大扉を目指して駆けだす者もいれば、すっかり怯えてその場から一歩も動けない者もいる。中には、フォークや焼き菓子をドリスめがけて投げつけてくる果敢な姫君もいた。
ドリスは、ユーフェミアを抱きかかえたまま床にうずくまった。彼女を護らなくてはという使命感よりも、身に覚えのない濡れ衣を着せられたことに対するショックが上回り、頭が真っ白になってしまっていた。
「ドリス!」
空気を切り裂くようにして迫ってくる何かに気づいたユーフェミアが、声をあげた。
振り返ると、白刃のような鋭いきらめきを放つフォークの先端が、ドリスの眼前にあった。
ドリスが息を呑んだその時、
(まだ死なれては困る)
頭の奥に声が響いた。幼い、女の子の声。
どこかで聞いた声だと思うよりも早く、目の前の色彩が変わった。
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