第96話 ヒーロー

 夜の街には人気がない。夜の散歩を趣味とする者も、夜更けまで遊ぶ学生も、また終電を逃すまいと急ぐサラリーマンですら、その街にはいなかった。


 朝でもそこまで賑わうことのないというのに、それが夜となってはまるで死街だ。もぬけの殻のようなこの街を、好き好んで歩く輩はそういないだろう。


 いたとするならそれは……犯罪者か、ヒーローを信じぬものか、それとも……ヒーローを捕まえようとする阿呆かだ。


 ここでいうヒーローとは、正義の味方であると考えられる。悪を許さず、また市民の声を聞き、それを遂行する存在。しかしその行いに正当性がある、と断言できるのだろうか。


 得てして、人というのは間違える動物だ。厄介な事に、人間には多種多様な心がある。感受性も人それぞれ、それを一般的に個性という一括りで言い表されてしまう。


 ……似たもの同士であるのならば、きっと些細なことで喧嘩は起きない。だが、個性の差があればあるほど、些細なことでの論争というのは起きがちであろう。


 今の世の中は発展し、人々は情報を発することが容易になってしまった。事実無根な話が様々な形で人々に知らされていく。その中で人間というのは、嘘を嘘だと見抜く力が低下してきていた。幼い頃から様々な情報を得るということに集中しすぎて、吟味を怠るからだ。


「………」


 果たして、夜の街を駆けるヒーローに、正当性があるのか。ネットに書き込まれた情報を頼りに悪を成敗する、私刑の執行者。だが、それは人の世とは反する生き方だ。人は人を、法で裁かねばならない。そういう世の中に、人を勝手に倒して回るというヒーローが現れたらどうなるのか。


 最初は持ち上げられたヒーローも、今や形無しである。畏怖の象徴として祭り上げられたヒーローは、それでも私刑をやめない。その様はブレーキの壊れた車だ。舵取りだけをし、減速をしない。誰かが止めようにも、轢かれてしまうのだから。


「──────ッ」


 誰も居ないはずの街の広間。黒い外套のフードまでしっかりと被った氷兎は、来るはずであるヒーローを待っていた。袋にしまわれた槍を弄っていたそんな折に、目の前の景色が一瞬だけブレた。周りにあるコンサートに使われるようなステージも、観客の座る椅子も、周りにある木々も、何ら変わりない。


 けれど、変化は確実に起きていた。先程まで吹いていた風がピタリと止まったのだから。まるで、この広間とその他とが遮断されてしまったかのように思えた。


『昨日の文化祭、どうだった?』


 誰かの声と共に、一瞬だけ学校の景色が見えた。その景色の中には男女多くの生徒がいて、目の前には女の子がいた。しかし、所々が真っ白な色で塗りつぶされてしまっている。これでは誰なのかわからない。


「………」


 カツン、カツン、と硬い靴が石の床を歩く音が聞こえてきた。それは今自分のいる場所よりも後方。どうやら相手は早々に殴りかかっては来ないらしい。氷兎は昨日話をした女の子との会話を思い出しながら、無表情のまま背後にいる人物に声をかける。


「……よう、少年。夜中まで労働とは勤勉だな」


 氷兎が振り向く。そうして見えたのは、これまた氷兎と似たような服装の男であった。黒いだぼっとしたズボンに、フード付きの黒いシャツ。両手には野球選手のつける滑り止めの手袋のようなものがつけられていた。そして肝心のその顔は……黒い骸骨のお面がつけられていてよくわからない。


 しかし氷兎には目の前の人物が誰なのか知らされていた。健気な女の子の依頼とあっては、氷兎も引き下がれない。互いの距離はそれなりに離れている。その状態のまま、黒づくめのヒーローは話しかけてきた。


「……アンタに復讐したいという奴がいた。探偵という身分を利用して、色々なセクハラをされたと」


「丁寧に顔写真も載ってただろ? どう、中々キマってた?」


「……何を言ってる」


「わからない? あの投稿者は俺だよ。写真は依頼人に撮ってもらっただけさ」


 そう言いながら、氷兎はフードを外した。街灯によって照らされている彼の顔は、物事を確信している人物のしたり顔のようだ。依頼人と手を組み、この時間に氷兎に呼び出されたと書き込みをすれば来るだろうと、自分を餌にしてヒーローを釣ったのだ。


「……アンタ、何者なんだ」


「俺? 俺は……そうだな……」


 投げかけられた質問に、氷兎は少し頭を悩ませた。しかしすぐに口をニヤリと歪ませると、自分を見せびらかすような仕草の後にヒーローに人差し指を向けて言い放つ。


「唯野 氷兎……探偵さ」


「……帰らせてもらう」


「いやいや、待てよ藤堂」


 氷兎がヒーローの名前を呼ぶ。唐突に名前を言われたヒーローは、その場で帰ろうとするのをやめて氷兎のことを見据えてきた。


「……誰だ、それは」


「おいおい、しらばっくれなくてもいいだろうに。新しい依頼人の予想なんだけど……その様子だと当たってるな?」


「………」


「顔くらい見せろよ。別に取って食ったりしねぇから」


 氷兎の言葉に少しの間沈黙が流れたが……ヒーローは仮面に手をかけてソレを外した。仮面の下から現れたのは、童顔な少年。カフェの中で出会ったあの時の少年……藤堂 袴優だった。


「……なんで、わかったんだ」


「犬だとよ」


「……犬?」


「そう……。依頼人の犬は、飼い主と家族にしか近寄らないらしい。というのも、鎖を壊してしまったその犬は夜中に街を駆け抜け……気の荒い青年達に蹴られたりしたようだ。その犬が見つかったのは翌日。同じくボロボロにされた青年達のすぐ近くで、治療された状態で横たわっていたらしいな」


「………」


「助けられた犬は決して他人に近寄ろうとしない。だが……お前さんの匂いを覚えていたのか、その犬は脇目も振らずに擦り寄っていったらしい。依頼人の証言だがね」


「……赤い眼鏡をかけた女の子か?」


「依頼人に関しては黙秘させてもらうよ。でもまぁ……お前さんならわかるだろ」


 このまま穏便に事が運べばいいんだけど、と氷兎は内心思いつつ話を続ける。


「……依頼人はお前のことを心配している。友人の記憶が曖昧なんだと。その上、時折目つきが鋭くなって、まるで別人みたいになる。そして声をかけてみれば……本人は頭をおさえて何かを忘れてしまったと呟くんだと。それだけならまぁ、普通は医者に行くことをオススメするが……依頼人はそうは思わなかった。犬の件といい、記憶の件といい、友人は何かとんでもない秘密があるに違いない、と。まるでアニメみたいな考え方だな」


「……そうか。彼女は、それなりにオタクだったな。なら、そう考えたりする可能性もある」


「……それも忘れちまってたのか?」


「さぁ……。忘れてしまったということは、存在しないことと同じだと思う。なら、俺にとってあった過去というのは全てなかったことと同じなんだ」


「……異常だな。お前さんどっかイカれてるんじゃないのか?」


 訝しげに見つめていた氷兎だが、藤堂は首を傾げて何も知らないというばかりだ。氷兎はその場から歩きだして、しばらく離れていくと透明な壁のようなものにぶつかった。なんだと思って触ったり叩いたりしてみるが、その奥には行けそうにない。ちょうど広間と木々を隔てる部分であった。


「……結界とか、その類か? いやでも、魔術だっていうなら俺の中でレジストなりなんなり反応するし……やっぱ、超能力かね」


「何も不思議に思わない辺り……アンタ、普通の人じゃないんだな」


「そうだな。普通か普通じゃないかなら、後者だよ。にしたってこれは……随分と凄いもんだな」


 隔てられた外界にある大きな時計を見上げた。その時計はまったく動いていない。ここに来た時の時間と照らし合わせると、どうしても合わない。


「一定の空間を切り離し、時間の流れすらも変化させる。さしずめ、この中はお前さんの世界ってことになるのかね」


「……詳しく考えたことはない」


「だろうな。ぶっちゃけよくわからんし。でも……これがヒーローのタネってわけか。これ、引き込む相手も指定できるんだろ。それができりゃ、誰にも見つからずに指定の相手だけをボコボコにすることができる。声も外には聞こえないし、周りから見れば、気がつきゃ近くにいた人が倒れていたみたいになるのか。ビルの中侵入すんのも楽だっただろうなぁ」


 コンコンッと壁のようなものを叩きながら氷兎は関心していた。この能力があれば色々とやれることが増えるのに、と。潜入調査も楽にできるし、街中で神話生物と戦うこともできる。むしろ仲間に引き込みたいくらいであった。


「いいなぁ、この能力。もしかして女子更衣室覗いたり……」


「する訳ない。俺はこの力をヒーローとしてしか使わないと決めている」


「あっ、そう。それは感心するけど……」


 困ったもんだ、と氷兎は頭を掻いた。藤堂は自分のヒーロー活動が間違っていないと思い込んでいるらしい。いや、もしかしたら……その善悪すらも、記憶の消失ということで歪んでいる可能性もある。これだけの力を持った能力だ。何かしらのマイナス面があることだろう。もしや、記憶が代償になっているのだろうか。


「……そろそろ、やめておけよ。お前さん、これ以上やってもロクなことにならねぇよ」


「いや、俺はやめない」


「なんで?」


「俺はヒーローにならなくちゃいけない」


「その理由は?」


「理由……いや、そんなもの必要ない。俺はヒーローであり続けるんだ。街の皆も俺を頼っている」


「利用されてる、の間違いじゃねぇの?」


「違うッ!!」


 藤堂は強く否定した。遠目からでもわかる。彼の顔は歪んでいた。それが怒りによるものなのか、それとも別のものによるせいなのかはわからなかったが……。しかし氷兎はここで引き下がるわけにもいかなかった。当初の目的とは違うが、新しい依頼もある。彼を止めて欲しいという、少女の願いのために。


「今の街の人達がどう思ってるのか、知ってるか? 皆お前のことおっかねぇって言ってるよ。街なんか見てみろよ。人っ子一人見当たらねぇ。活気もねぇ街に、一体どんな価値があるってんだ」


「けど、俺のしてることは正しいはずだ。イジメを誰にも相談できない子が、俺を頼る。力のない子が、助けて欲しいと頼ってくる。俺のあり方に、間違いなんてないはずだ」


「前に言っただろうが。そもそものあり方が間違ってんだよ。確かに、弱いものの味方になれるのは素晴らしいことだ。けど……どこまでいったって、お前のそれは私刑だよ。俺の相手するような……例えばお前みたいな立証不可能な奴なら、俺やお前がやらなきゃいけない。それは私刑ではなく義務とか責務とかそんなもんだ。それに、何でもかんでも引き受けて……冤罪にでもなったらどうするつもりだ」


「俺だって、受けるべきものとそうでないものくらい分けている」


「なるほど……。まぁ、言いたいことなんざ前に言っちまったしな。お前さんが忘れていなければ、俺が言うことなんて特にないんだが……」


 氷兎は小さくため息をついた後に、先程までの緩んだ雰囲気をやめて気を引き締めた。自然と二人の表情も引き締まり、身体に力が入っていく。


「いつの時代も英雄と呼ばれた存在の死に方ってのは酷いもんだ」


 氷兎の口から出てきたのは、今までの話とは特に脈絡もないものであった。しかし藤堂は黙って氷兎の話に聞き入っている。


「戦いで生き残っても、最終的には民衆の手で殺されちまうんだ。ジャンヌ・ダルクは魔女として処刑されたなんてのは有名な話だな。じゃあ、どうしてそうなったのか。それは、人間が恐れてしまったからだ。自分よりも上の人間を。自分よりも遥かに強い人間を。それが神なんて超常的な物であったなら話は別だ。だが、困ったことに神ではなく人間が力を持ってしまったことが原因なんだよ」


「……だから、なんだ」


「例えば、すごい力を持ったヒーローが世界を救ったとしよう。人々は崇めるだろうけど……いつの日か、殺されちまう。だってヒーローが強いからだ。自分がどれだけ足掻こうとも勝てないような奴がいるのは、恐ろしくて仕方がないんだ。だってソイツが何もかも決めてしまえるんだから。いざとなれば一人で反乱でも起こせる。そんな強い奴を放っておけるわけないだろ?」


 藤堂は何も答えない。しかし氷兎は話を続けた。人間はどうしようもなく、他人に頼る動物だと。仮にヒーローがいたとしたら、皆そいつに頼り、やがて堕落し……全ての責任を擦り付けるのだ、と。


 驕った市民は思うだろう。例えば二人の人間が襲われていて、片方しか助けられなかったとする。助けられなかった人間は、なぜ自分は助けないのにアイツは助けるのかと糾弾するだろう。全てを救いきれるわけがないのに。それを理解しないのは、自己主義な人間である以上避けられないことなのだと。


 そうして民衆から疎まれるようになると、ヒーローは何を考えるのか。自分で法律を作ってしまう。俺が正しく、お前達は間違いであると。間違ったことをしたら、俺が正すのだと。それではもう無法者と変わりない。自分が生きづらい世界を、民衆は決して許容しないのだと。


「神は人の上に人を造らず。だが、人の上に人ができてしまった。誰からも頼られるヒーローだったとしても……結末は民衆による迫害だ。ヒーローが世界を救ったらどうなるのか。結局は邪魔に思うそこら辺の人に殺されるんだよ。自分よりも上の存在なんていても怖いだけだからな。世界を救ってもらったら死んでもらうのがいいのさ。He lawヒーロー……そいつが法律になったら面倒だろう?」


 ひとしきり話し終わった氷兎は、一呼吸入れた後にまた藤堂に話しかける。その声音は諭すような優しいもので、決して責め立てるようなものではなかった。


「……俺が心配してんのはお前だよ。このままじゃお前は守ってきた民衆に殺される。今のお前の評判は悪くなる一方だ。いつか罪を擦り付けられ、お前の尊厳が損なわれる。そうなる前に……やめておけ。依頼人もそれを望んでるんだ」


 余計な音が一切ないその空間に、氷兎の言葉だけが虚しく消えていく。藤堂はその言葉に対して、首を横に振るという行為で返事を返した。小さなため息が聞こえ、困ったなぁと氷兎が呟く。


「……どうしても、やめないのか?」


「何度も言うよ。俺はヒーローにならなきゃいけないんだ」


「……お前はなんでヒーローになるんだ。その理由は。そう思った出来事は。せめてそれを言ってくれよ」


「………」


「……忘れちまったんだな?」


「……うるさいな。頼むから帰ると言ってくれ。俺の正体をバラさないのなら、何もする気はない」


「依頼人がお前のこと知ってんだがなぁ……。それはどうするつもりだ? 口封じでもするか?」


「……泳がせておく」


「甘いねぇ。そんな甘ったれた心で、なんの為に戦うのかも忘れて……流石に、このままにしておけねぇわ」


 袋の中から黒い槍を取り出した氷兎は、それを片手で持って藤堂に向けた。穂先を向けられても藤堂の視線はぶれない。恐れないだけの覚悟があるらしい。


 ……交渉決裂。それでも依頼はこなさなきゃならない。仮に組織の依頼を優先した場合、殺すか引き込むかの二択。その二択ならば、藤堂が反発し、木原は殺すだろうと容易に予想がついていた。


「……依頼を、果たさせてもらう」


「……そう。困ったな、武器か」


 確かに藤堂は困ったような顔をしていた。しかし次の瞬間には、彼の右手に水晶で作られたような透明さを持つ西洋剣が握られている。目を見開いて驚いた氷兎だが、本人はそれを片手で軽く振るうと……ぎこちない姿で剣を構えた。


「へぇ……なるほど、アンタの言った通りだ。この場所は俺の世界。なら、ある程度のことは思い通りになるらしい」


「……マジかよ」


 顔を歪めて、せめて二人が任務を終えるまで待っていれば良かったと後悔した氷兎。けれど、逃げようにも周囲は完全に外界と遮断されており、両手を挙げて降参する気にもなれない。


 やれやれ、と軽く空を見あげれば、半月程度の月が煌々と輝いていた。両手で槍を構え、姿勢を低くする。


 ……誰かが止めてやらねばならない。これ以上は彼にとっても、頼んできた依頼人にとっても良いことはないのだ。大丈夫、対人戦なら嫌という程西条さんとやったはず。相手も殺すまではやらないだろう。


 心の中で何度も言葉を唱え、浅くなっていた息を無理やり整える。正面で剣を片手で構えた男をしっかりと見据えて、戦う前の最後の会話を始めた。


「……言っておくが、負けてやる気はねぇぞ」


「俺も負ける気はない」


「ド素人に負けたらどやされちまうからなぁ……武器構えんだったら、覚悟くらいはしておけよ」


「……御託はいいよ。明日も学校なんだ」


「あぁ、そう……じゃあ……」


 ジリッと靴が地面を擦る音が聞こえた。互いに相手を見据え、どう動くのかを見る。息をすることも、唾を飲み込むことも躊躇ってしまうような緊張感が張りつめる中、氷兎は槍を握る手を更に強め……。


「……行くぞッ」


「ッ………!!」


 全力で駆け出し、持った得物を振るい始めた。





To be continued……

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