第95話 透明なヒーロー

 数日経っても、僕の心はまったく晴れなかった。明日香と一緒に学校に行くのは、とても心が踊ることでもあるし……逆に、君のその笑顔を見る度にあの時の後悔を思い出してしまう。


 クラスの伝手を使って、君の好きな人を調べてみた。けどもう、名前すら覚えていない。おかしい。憎くて仕方が無いはずなのに、名前すら覚えていないとは。


 それだけ憎いのだろうか。名前を覚えて痛くないくらい、僕は彼に嫉妬しているのだろうか。


 あぁ、にしても……頭が、痛い。


「………」


 授業の内容なんてロクに入ってこなかった。数学の教師が新しい公式を伝えてこようとも、化学の元素記号を教えられても、現代文で昔の人が書いた話を読もうとも……頭痛がして集中できない。


 気がつけばもう周りには誰もいなかった。教室に取り残された僕は、嫌な暑さが風とともに窓から入ってくるのを鬱陶しく感じるだけだ。何もやる気が起きず、また明日香の部活も今日は休み。見に行くこともない。


 ……明日香。あぁ、何か忘れている気がする。そういえば僕は昨日君とやり取りをしたっけ。毎日のように君の話を聞いていた気がするけど、時折その間の記憶が抜けてしまう。若くしてボケてしまったのだろうか。


「……明日香?」


 ポケットの中に突っ込まれていた携帯が震え、取り出してみれば画面にはよく見るSNSのメッセージ画面が映っていた。そこに書いてあったのは……。


『告白、成功したよ!!』


「……あっ」


 プツンッと糸が切れた様に、変な感情のスイッチが入った気がする。慌てて昨日のメッセージを確認すると……そこには、明日告白してみるという話がされていた。


「……なんで、忘れて……」


 そう、こんな大事なこと……なんで覚えてなかったんだ。確かに嘘だと思いたかったけど、それならそれで彼女になにか危険なことがないか近くで見張るくらいはしようと思っていた。なのに、なんで……。


 気がつけば手が震えていた。それは決して携帯のバイブなどではなく、携帯を持つ右腕全体が壊れてしまったかのように震えている。そして画面に増えていく、彼女からのメッセージ。


『コウ君が相談に乗ってくれたおかげだよ』


 ……違う。


『色々なこと教えてくれたりしてくれたから、今日成功できたんだと思う』


 ……違う、違う違うッ。僕は応援なんてしていないんだッ。全て、何もかも失敗すればいいって、そう思っていたんだッ。


 だから……違うんだよッ。


『ありがとう、コウ君』


「ッ……ァァ……」


 画面にポツリッ、ポツリッと涙が落ちていく。きっと画面の向こうにいる君には、そんなことどうやったってわからない。僕がどう思っているのかなんて……わからないんだ……。


「あ、ァァッ………」


 机に項垂れ、携帯を強く握りしめて泣く僕のことなんて、誰も見ない。画面に映るハートを持ったウサギのスタンプが、余計に心を抉っていく。


 あぁ……なんで、この記憶は消えてくれないんだ。


 君に彼氏ができた忌まわしき日を……どうしても、忘れられない。忘れてしま痛いのに、都合よく消えてくれなかった。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





「あぁー、もうやってられねぇ……」


「大変そうだねぇ」


「マスター、甘いのちょうだい」


「はいよ」


 すっかり常連客と化した俺である。相変わらずカフェの中には人はいない。あの少年、藤堂も今日は来ていない。そりゃ毎日いたらそれはそれで金銭的に問題だろうが……。


 カウンター席で突っ伏している俺の目の前に、甘い香りの漂ってくる珈琲が置かれた。身体を起こして珈琲を啜っていくと……不思議と心が落ち着いてくる。


 しかし、困ったものだ。あれからそれらしい情報は全く見つからない。警察の内通者を通じて犯行現場に行ってみたり、写真を見たりしてみたが……いや、全くといっていいほどわからなかった。夜に先輩に電話してその事を話したら、向こうは向こうで色々と大変らしい。


『山の中入ってたら霧が濃くなってきて……気づいたら頭の上に何体もミ=ゴが飛んでやがったんだよ。いや、流石に肝が冷えた。しかも本部は巣を見つけて全滅させろだとよ。何体いるんだか……』


『痕跡も多々残っている。中にはガラクタだかなんだかわからん物まであるが……その中でも現在稼働している奇妙なものがあった。例えるなら心電図だ。波長がモニターに映されていて、つたない文字ではあったが……お前のいる地域の名前が書かれていた。一応気をつけておけ』


 会話の内容的に、この事件に神話生物、特にミ=ゴが関わっているのかもしれないという疑惑は高まった。だが、どう考えたって実行犯は人間だろう。神話生物なら人間を生かしちゃいない。


 ……個人的にはミ=ゴが人間の文字を理解しようとしていた所が恐ろしいんだが。いや、プログラムが組み立てられる時点で文字は書けるのか。アイツらの身体構造的に、文字が汚くなってしまっただけなのかもしれない。


「………」


 そう考えていると、珍しく……と言っちゃ悪いが、店の扉が開いた。マスターのいらっしゃいという言葉に軽く会釈を返した人物が二人。男女の学生カップルのようだ。


「……ケッ」


 あぁくそ、ストレスが溜まって仕方がねぇ。その上リア充まで来るとか……これはもう、デスソースじゃな?


 ……流石にやめておこう。奴らにゲキカラスプレーなんて使ったら最後、俺が警察にしょっぴかれちまう。


「アイスコーヒーをひとつと、アイスカフェオレをひとつ」


 一見冴えなさそうな男の子が注文を頼み、二人は窓際のテーブル席へ。携帯を弄るふりをして少し横目で見てみたが……甘い珈琲が更に甘くなるようなイチャつき様だった。しかも男の方は完全に草食タイプだ。女の子は割とガツガツいってるようで、目に毒だ。クソが。


 溢れ出るリア充撲滅オーラに、女の子の方が振り向いてきたので俺は携帯を弄る作業に戻った。SNSを開いて、呟く。投稿者、変態糞土方。先日常連になったカフェで、草食系の兄ちゃんを縛り上げ、気の強そうな姉ちゃんと、ワシ(17歳)の二人で盛りあったぜ。


 ……寝取られはNG。心臓が抉れてしまう。俺はとうとう考えることをやめた。


「……はぁ、あのリア充全開オーラの中に突っ込んで行きたくねぇ」


 誰にも聞こえないようにボソリと呟いてから、俺は珈琲を飲み干してメモ帳とペンを取り出す。そしてカップルのところへ近づいていくと、なるべく警戒されないように話しかけた。


「どうも、デートの最中失礼するよ。俺は探偵をやっている者なんだが……」


 話しかけられると思っていなかった二人は少し驚いていたが、俺がそれっぽい名刺を出すと女の子の方が食い気味に話をし始めた。


「探偵って、本物!? えっ、すごい!!」


「……明日香さん、ちょっと声が……」


「でもでも、探偵だよ!?」


「いや確かに珍しいけどさ……」


 冴えない少年の方はどうにも落ち着いた性格らしい。明日香と呼ばれた女の子をたしなめつつ、何かあったのかと尋ねてきた。少しは話してくれるような雰囲気だ。何かしら情報を握ってくれていればいいんだが……。


 とりあえず、夜中に作成したヒーローについての資料などをチラッと見せながら、俺は話し始めた。しかし、二人は特になんの反応もない。ただ、格好いいよねとか、少し怖いと思うとか、そんな他愛のない話だ。内心落胆していると、女の子の方が急に思い出したように話を切り出してきた。


「あっ、そういえば……ヒーローといえば、私はハル君じゃないかなって……」


「えっ、僕!?」


「そうそう!!」


 ……なんだか変な惚気が始まりそうな予感がする。もう帰りたい。でも仕事が帰してくれない。俺はな、社畜になりたかったわけじゃないんだよ……。


 そんな俺の内心を知らない女の子は、どこか嬉しそうに顔を緩ませて話し始めた。


「えっとね、ハル君と遊びに行った時に……ナンパされちゃって、ハル君が間に入って助けてくれたんだけど、そのままハル君だけ路地裏に連れてかれちゃって……」


「……えっ、何それ怖い。君草食系の顔して中々大胆なことするんだな。勇敢じゃないか」


「い、いや……僕は……」


 そんなことないです、と謙遜している様子の男の子。冴えないなんて言ってごめんよ。しっかし……ヒーローが怖くない奴がまだ残っていたのか。それとも信じていない奴か……はたまた、外部から来た奴か。


 まぁそれは後だ。今はとりあえずその先を聞いてみるとしよう。女の子に続きを促すと、また嬉しそうに話し始めた。


「それで、私すぐに誰か呼ばなくちゃって思って……でも、すぐにハル君が路地裏から出てきたんです。ちょっと怪我してたけど、路地裏を覗き見たら……ボロボロになったナンパ男達が転がってたんですよ!」


「……悪いな少年。この子の証言のおかげで容疑者リストに君の名前が載ったぞ」


「えぇっ!? だ、だから僕じゃないんですって!! 確かに、一発殴られましたけど……でも、気がついたら男達が倒れてて……」


「イキリト君かな? 気がついたら周りのDQNが血だらけで倒れてたんだろ? やっぱり君じゃないか……」


「だ、だから違いますって!!」


 少年改め、イキリト君は容疑を否認しているようだ。困ったな、俺もうとっとと帰りたいんだけど。自首してくんないかな……っと邪な考えをしてみたが、ちょっとこれはヤバいな、うん。


 彼の話が本当だとするのなら、ヒーローは姿を見せず、彼が殴られたその後の一瞬で男達をボコボコにしたという事だ。


 ……現場検証をした結果、魔術が使用された形跡らしきものはなかった。最近起こったことなら少しは残り香みたいなものがあるんだが、ナイアに尋ねたところ、そんなものはないとのこと。


「……あの、どうかしたんですか?」


「ん、いや……なんでもないよ。それより、君達他に何か情報はあるかい?」


 長く思考に耽りすぎたようだ。女の子の方に心配されてしまったので、とりあえずここで切り上げることにした。彼らはもう何も情報は持っていないようだしな。


「情報提供ありがとう、二人とも。遅くならないうちに学生は帰りなよ。イキリト君は、ちゃんとアスナちゃんを守るんだぞ」


「イキリトってなんですか……。それに、彼女はアスナじゃなくて明日香です」


「うん、まぁそう……気にするな」


 俺は彼らに背を向けて、置いてあった荷物などを持ってカフェの外へと出た。外は日差しが強いが、それでも吹く風が涼しさを感じさせる。相変わらず、人通りは少ない。


「………」


 ナイア、聞こえているか。そう心の中で言うと、頭に響くように返事が返ってきた。


『聞こえてるよ。まったく、今回はやけに私をこき使うね』


 ……先輩と西条さんがいないから仕方ない。とりあえずさっき聞いたことを尋ねてみると、すんなりとナイアは答えを返してきた。


『魔術じゃなければ、考えられるのは君と同じ能力者だよ』


 俺と同じ能力者。それはつまり……起源覚醒者ということだろうか。そういえば、木原さんが前に言っていた言葉を思い出した。超能力といった類も、起源の一種だと。


『天然起源覚醒者。簡単に言えば、超能力者だね』


 頭に響く声を聞きながら、俺は宛もなく歩き続ける。しかし、相手が超能力者と来たか。だとすれば……透明人間とか、そういったものだろうか。


『さぁ、どうだろうね?』


 何やら知ってそうな口振りだが、答える気はないらしい。仮に透明人間なら、俺に勝ち目がないんだが。いやそもそも、なんで戦う前提なんだ。人物特定だけして本部に帰るのが任務のはず。しかし……このままじゃいくら経っても、顔が割れない。


 もうあのイキリト君が犯人ってことでいい……よくない?


『BADエンドまっしぐらだね。別に私はそれでもいいけれど』


 アッハッハッハッ、と頭痛になりそうな嫌な嘲笑わらい声が響いてくる。もう会話をするのはやめよう。これ以上話していたら頭がイカれちまいそうだ。


「………」


 にしても、腹が減った。なんだか甘い物が食べたい気分だ。周りを見回してみると……ちょうどたい焼きの屋台があった。いいね、たまにはたい焼きを食おう。


 頭の中でさっさと探せよと催促する声が聞こえてきたが、そんなもの知らない。だったらちったぁ役に立つような探査系の魔術を寄越せと愚痴を零しながら、俺は買ったたい焼きの頭にかぶりついた。餡子が美味い。


「………?」


 たい焼きを食べていると、ポケットの中にある携帯が震えだした。誰なのかと見てみれば……まったく知らない番号から電話がかかってきているようだ。口の中に入っているたい焼きを飲み干してから、俺は電話に出た。


「はい、唯野ですが……」


『……あの、探偵さんですか?』


 携帯から聞こえてくる声は女性の声だった。しかし、今のところ女性で俺を知ってる人はさっきの女の子以外いないはず……。となると、藤堂が情報通の子を探し当ててくれたんだろうか。


「えぇ、そうです」


『……ヒーローについて、調べているんですよね?』


「まぁ、そうですね。何か知っていることがあれば教えていただきたいんですが……」


『っ……あの、私の言うことが凄く変なことだったとしても……聞いてもらえますか?』


「……まぁ、聞くだけ聞きますが。こちらも探偵として活動する身です。それなりに変なトリックとかありましたからね。今更変な話のひとつやふたつ、構いませんよ。ヒーローが透明人間だろうと、驚きはしません」


 電話の向こうからは何も聞こえてこない。どうやら悩んでいるようだ。しばらくそのまま待ってみると、決心がついたのか……先程よりも、しっかりとした声で話してきた。


『……明日の午後、時間はありますか?』


「大丈夫ですよ」


『あの、場所とかは……』


「……そうですね。じゃあブランというカフェに来てください。そこで窓際の席に座っている黒い外套を膝の上に乗せた男がいたら……それが自分です」


『……わかりました』


 ……電話をかけてくるってことは、相当なにか重要な手がかりを握っているんだろう。ひとまず、どんな内容を掴んでいるのか聞いておこうか。


「……どんな話をするのか、簡潔に話してもらえませんか? 調査が必要なら、少しは情報を集めてから話を伺いますが」


 ……数秒経つが、返事は返ってこない。何かまずい事でも聞いてしまったのだろうか、と不安になった頃。携帯の向こうから聞こえてきた言葉は、俺の予想の遥か斜め上をいくものだった。


『私、ヒーローが誰なのか……心当たりがあるんです』


 ……ようやく足が掴めそうだ。思いもよらぬ情報に、俺は彼女に感謝を告げながらニヤリと口元を歪めた。







To be continued……

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