第67話 人間らしい時間

 ……何をする気だ。


 俺は刀の切っ先を向けながら尋ねた。アイツはいつものように嘲笑わらいながら言った。


「だって同じ物語ストーリーは二度見ても面白みに欠けるじゃないか」


 ふざけるな。


 俺はあの子が怖がらないように声を抑えながら怒る。しかし、奴にとっては俺の存在は唯の玩具でしかなく、玩具が騒いだ所で何も思わない。


「大丈夫だって。ちゃんと正しく扱えるよ。それに、そっちの方が都合がいいだろう?」




 ───嘲笑わらい声が響く。俺はただ……憐れみの目を向けるだけだった。






〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





「……君、氷兎君ッ!!」


 ……誰かが必死に、誰かの名前を呼んでいる。薄らと目を開けてみれば……女の子が俺を見下ろしていた。その目は潤んでいて、今にも涙が落ちてきそうだった。


「起きた……良かったぁ……」


 柔らかい感触が俺を包み込む。彼女に抱きしめられたようだ。自分の事を確認する。俺は今横になった状態で彼女に抱きしめられている。彼女は座り込んで俺を抱きしめ、その後ろには髪の毛がボサボサとした男が安堵した表情で俺を見ていた。


「……外傷はなさそうだな。氷兎、何があったんだ?」


 氷兎……誰だ、それは。


 あぁいや、か。そうだ、うん、大丈夫。俺は氷兎で、彼女は七草さん。そして彼は先輩だ。


 混濁した意識を戻すように、俺は軽く頭を振った。彼女にお礼を言ってから離れて立ち上がる。今いる部屋は……俺が倒れる前にいたあのコンクリートの部屋だ。


「……俺、どうなってましたか?」


「何か物音が聞こえて、七草ちゃんがお前がいないって言うから探しに来た。そんで、ここに来た。お前はそこにある魔法陣っぽい奴の上で倒れてたよ」


「……ナニカサレタヨウダ」


「よしOK、この状況でネタが言えりゃ大丈夫だ」


 ……いや多分、本当に何かされたような気がする。身体に違和感がある。といっても、ぎこちないとかではなく、単純に……身体能力が上がったのだろうか。満月の時ほどとはいかなくても、それなりに身体能力が上昇している気がする。先輩が不安げな表情で俺に尋ねてきた。


「この部屋で何があった?」


「……説明、しにくいですね」


 とりあえず、何が起きていたのかを簡潔に説明した。詳しくは言えない。思い返そうとすると酷い頭痛が起きるし、正直あの時何を見たのかすら思い出せない。


 ただ……女がいた。真っ黒な女だ。口は血塗れたように赤く、顔は……何とは表現出来ない。いや……認識出来ない?


 それを表現する術を、俺は持ち合わせていない。簡潔に、一言で言うならば……アレは、バケモノ有り得ない存在だ。


「……どうやら起きたようだな」


 部屋の扉を開けて、西条さんが入ってきた。先輩が言うには、ちょうどよく探索を終えた彼も一緒に連れてきて、部屋の外で誰も来ないように見張っていたらしい。


 彼は俺のすぐそばまで歩いてくると、荒々しく俺の腕を取って脈を測り、瞼を押し下げて眼を見たりしてきた。その後彼は息を吐いて無表情のまま言った。


「脈は早いが、それ以外は問題ないな。自分の名前が言えるか? どこの所属だ、ここにいる奴の名前はなんだ」


 次々と出される彼の質問に淡々と答えていく。どうやら、彼なりの安全確認のようだ。俺に特に異常が見られないとわかったのか、彼はその場から離れて、背中を壁に預けた。


「ここで、変な女に会ったらしいな。決めつけるのは良くないが、そいつがこの館の主人である可能性は高い。そして、魔術師である可能性もな」


「食屍鬼化の犯人か……」


 先輩と西条さんが唸る。


 ……しかし、どうにも違う気がするのだ。アレは魔術師なんて類のものでは無い。何と例えればいい。何か、アレに近しいものは……。


「……あっ」


「どうした氷兎」


「いえ、さっき言った黒い女なんですけど……感覚的に、イグに近いものだと思います」


「……マジで?」


 蛇人間達の信仰していた全ての蛇の父である、イグ。当時その場に一緒にいた先輩には、それがどれだけヤバい存在なのかがわかったようだ。神話生物なんて目じゃないほどの強さを持つ、神格。言ってしまえば神と呼ばれる超上的存在だ。アレの前では俺達は塵のような存在であり、それに手を伸ばすことすらおこがましい。


 俺の説明を聞いた西条さんは顔を顰めて何かを考え始めた。七草さんは、いまいちどんな物なのかわかっていないようで、顔を軽く傾けながら尋ねてくる。


「えっと……すっごい人ってことでいいの?」


「人と言っていいのかわからんけどね……」


「氷兎の神話生物センサーがそう判断したなら、きっとそうなんだろうなぁ……」


 周りを見回して、あの女に関するものが何か残っていないかと探してみたが、何も見つからなかった。


 しかし、見回してみて、ふと気がついた。机の上からあの青い本がなくなっている。


「……先輩、ここにあった青い本しりません?」


「いいや? そこには俺が部屋に入ってきた時から何もなかったぞ」


「………」


 あの女の所有物だったのだろうか。今考えても何も思い浮かばないが、気にしないことにしよう。そうしないと……何か嫌なものを思い出しそうな気がする。


「……貴様の言う黒い女が俗に言う神と同じ次元にいるとするならば、食屍鬼化の犯人はまた別にいると見てもいい。そんな奴が低レベルなことに手を出すわけが無い」


「人が人じゃなくなるのは、低レベルじゃねぇだろ」


「俺達からすれば、な。おそらく向こうにとっては些事なことだろうよ。人を生贄としか思っていないような連中の神だぞ。人間なんてどうでもいいと思っているに違いない」


 果たしてそうだろうか。少なくともイグは、まだ人間に寄り添うとまではいかなくとも、敵対視はしていなかった。全てが悪であると断ずるのは早計ではなかろうか。


「……とりあえず、ここで言い争ってても何にもなりません。探しても何も見つからないし、そろそろ帰りま───ッ」


 不意に激しい頭痛が起きた。両手で頭を抑えて蹲り、あまりの痛みに声を漏らした。


「どうした氷兎!?」


「氷兎君、大丈夫!?」


 先輩と七草さんが近寄ってくる。頭が痛い。目の奥が熱い。視線が自分の意思に反してぎょろぎょろと動き回る。そして……ある壁の一点を見て、俺の視線は止まった。そこを見ていると、頭の痛みが少しだけ和らいだり、はたまた更に激しくなったりする。


 その方向を指さして、俺は先輩に途切れ途切れながらも頼んだ。


「先輩……あの、壁を……」


「壁……?」


「コイツか」


 俺の視線がある方。それは部屋に入ってくる扉とは正反対の場所。そこの壁を、西条さんが拳でコンコンと叩く。軽い音が部屋の中に響いた。そして……西条さんの顔が歪む。


「……ハリボテか」


 西条さんが素早く刀を構えて振り下ろす。すると、その壁のあった場所が、まるでモヤのように変わっていって消える。その場には入口の扉と同じくらいの大きさの穴が空いていて、奥へと続く通路が見える。


 それが見えるようになると、痛みは自然となくなっていった。なんとか立ち上がろうとするが、身体にうまく力が入らない。


「氷兎君、無理しちゃダメだよ!」


 七草さんが俺の腕を肩に回して、半ば担ぐように俺のことを立たせてくれた。距離が近い。彼女の優しい香りが漂ってきて、自然と顔が熱くなった。先輩がその穴を見ながら感嘆の声を漏らす。


「隠し扉ってやつ? いや、通路か?」


「どちらにせよ……唯野の頭がどこかイカれたのは確かだろうな。これが技術的なものとは思えん。おそらく貴様らの言う魔術だ。つまり、唯野はこれを見抜けるようになったということだろう」


「言い方を変えろ。氷兎の頭がおかしくなったみたいに言うな」


「事実なんでな」


 西条さんは一人でその通路の先に行ってしまう。先輩が俺のことをチラッと見てきたので、俺は先に行ってていいと伝えた。頷いた先輩は、心配そうな顔をしながらも西条さんの後を追いかけて行った。


「氷兎君、歩ける?」


「一応、なんとか……」


 七草さんの肩を借りながら、俺は歩き出した。情けない。そんな自分に嫌気がさす。俺の顔をのぞき込んでいた七草さんが、俺の表情が曇ったことを察すると、何故か俺に笑いかけてきた。


「大丈夫だよ、氷兎君は私が護るから」


「……ありがとう、七草さん」


 えへへっと彼女は笑った。どうやら俺が今戦える状況じゃないから不安になったのだと思ったらしい。


 ……違うんだよ。俺は君と菜沙を護りたい。だから……俺が君に護られているようじゃ、ダメなんだよ。


 俺はいつになったら、夢見た勇者ヒーローになれるんだろう。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 七草さんと一緒に真っ暗な通路を抜けていくと、また小さなコンクリートの部屋があった。部屋の半分は鉄格子で仕切られていて、狭く感じる。その鉄格子の前で、先輩と西条さんが立ち竦めていた。


「先輩、どうしたんですか?」


「……いや、これ見てみろよ」


 先輩のすぐ近くまで移動して、先輩の指さす方を見た。その鉄格子で区切られた向こう側。その隅に……女性がいた。髪の毛が長く、肌荒れが酷い。指先はまるで鉤爪のようになっている。その身体は細く、頬は痩せこけていた。


 ……食屍鬼、なのだろうか。


「ウ、ゥゥ……アァァァァァァッ!!」


「きゃっ」


 女性が血走った目で俺達を捉えた。七草さんの怯える声が聞こえ、そして次には鉄格子を強く叩く音が部屋の中を満たした。何度も何度も、その女性は鉄格子を叩いて何かを訴えてくる。


「ゥゥ……シィ……ク……ニ、ク……ッ!!」


「……どうやら、俺達のことを肉としか思っとらんようだ。手遅れだな」


 西条さんの呆れ声が聞こえる。ずっとこの人だけここに囚われていたのだろうか。ご飯も食べずに、ずっと……。


 ……どうしてだろうか。その人と半ばかけ離れた容姿に、どこか見覚えがあった。確かそう……あの写真だ。


 携帯を取り出して、写真立ての中に入っていた二人組の写真を見る。その女性の方が、今目の前にいる女性と似ている気がした。


「……どうして、こんなことを」


「それは、写真か? そういったのがあるのなら早く出せ」


 西条さんが俺の携帯を覗き込んできた。西条さんが眼鏡を弄ると、カシャリっと音が鳴る。そして今度は目の前の女性を向いて、眼鏡を弄った。


 そういえば、西条さんの眼鏡はEye phoneだったか。色々と便利な機能がついていたはずだ。おそらく顔の一致度を確かめるツールでも使っているのだろう。彼はしばらく眼鏡を弄っていると、やがて苦々しく顔を歪めてため息をついた。


「一致したな。その写真の人物と、目の前の女は同一人物だ。この写真は館の中から見つけたのか?」


「えぇ、そうです」


「となると……犯人はその隣にいる男の可能性が高いな」


 ……随分と頭の回転が早い。この人の頭の中では既にいくつかの予想が立てられているのだろう。先輩が西条さんに訝しげに尋ねた。


「その根拠はあんのか?」


「例えば、その男が魔術を使えるとしよう。そこにいる女が不治の病か何かにかかり、それを治す術を探していた。おそらく食屍鬼にされた人はその実験体だろう。何度も繰り返し、その食屍鬼化の進行が著しく遅い個体もできた。時間がおそらくなかったんだろう。その未完成な魔術を行使し、女はなんとか生き延びた。人肉が好きなのはどうにもならなかったがな」


「……人体の組成から何まで組み替えるレベルの魔術だから、治せるかもと思ったってことですかね」


「知らん、本人に聞け。俺の予想はこんなものだ」


 西条さんはまた壁に寄りかかって状況を見据えた。未だに女性は鉄格子を叩いて泣き喚いている。七草さんが、ギュッと俺の身体を掴んできた。怖がっているのだろうか。何となく不思議な優越感が湧き、彼女の頭を数度撫でた。七草さんの表情が綻び、少し気分が楽になった。


「……それで、どうするんだ?」


 西条さんが尋ねてくる。その声は鋭く、彼が何かをやろうとしているのがわかった。先輩もそれがわかったのか、顔を歪めて西条さんを見ながら聞き返した。


「どうするって、何を」


「そこの女だ。殺すのか?」


「なっ……だからダメだって言ってんだろ!」


「ならどうする。飢え死にさせるか。それでもまぁいいだろう。ソイツの苦しそうな声がまだ暫く続くだけだ」


 叫んでいる女性を見る。鉄格子を叩くのをやめず、外に出て肉を食べたいのだと言っているように聞こえた。


 西条さんの言葉は止まらない。


「この館を見た限り、写真の男は帰ってきていない。つまり、見捨てたんだろう。ならばもうこの女に未来はない。助ける手立てもなく、また人の言葉も理解出来ず。野放しにすれば人の肉を貪る殺人者になる……それでも、この女をここから出して助けたいと言うのか?」


「それは……」


「肉の調達は自分でしろよ。俺は面倒を見んからな」


「ッ………!!」


 先輩の顔が歪む。ただじっと、泣き叫んでいる女を見る。先輩は動けなかった。


「……死ぬとわかっているならば、苦しむ期間は短い方がいい。Quality Of Lifeくらいは知っているだろう。せめて……人間らしい時間が総計で長くなるようにしてやるのが、正解なんだろうよ」


 西条さんが刀を構えた。誰も止められない。誰も正解を言えない。誰もそれを間違いだとも言えない。



 ───部屋に断末魔の叫びが響いた。



 その後の部屋には静寂だけが残っている。誰も、何も言えなかったのだ。




To be continued……

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