第43話 温もり

 ドタドタッと誰かが勢いよく走ってくる音が聞こえる。そしてすぐに普段氷兎達が生活している部屋の扉が荒々しく開かれた。その開いた人物は、菜沙だ。そのすぐ後ろには桜華もいる。菜沙は入ってきてすぐに中を見回して、探している人物がいないことを確認すると軽く項垂れた。


 部屋に残っているのは、翔平だけだ。氷兎は部屋にはおらず、彼のベッドの上には荷物が置いてあるだけだった。


「あの、ひーくんは何処にいますか……?」


「……氷兎なら、さっき頭を冷やすって外に出てったよ。何処にいるのかは、流石にわからん」


 菜沙は桜華から氷兎が怪我したことを聞いていた。けれど、事の詳細を聞いていたわけではなかった。ただ彼が怪我をした。それだけで走り出す理由には十分だった。


 部屋に残っていた翔平のどこか暗い顔を見た菜沙は、何か大変な事があったんだろうと予想出来た。入口で立っていた二人は部屋の中に入ってきて、菜沙は翔平に尋ねた。


「ひーくんに、何があったんですか?」


「……説明すると、長くなるんだがな………」


 暗い顔のまま、翔平はポツポツと話し始めた。調査に行った村で何があったのか。氷兎がどんな状態になったのか。そして、氷兎が今きっと悩んでいるであろうことを自分なりに予想を立てて説明した。


 その説明を聞いた菜沙はすぐさま立ち上がって言った。


「私、ひーくんを探してきます」


 素早い動きで扉を開けて彼女は走り去っていった。その後を追う気なのか、桜華も立ち上がって外に行こうとする。


「わ、私も菜沙ちゃんと一緒に……」


「まぁまぁ待て。今回は菜沙ちゃんに任せておきなよ。きっと……その方がいい」


 翔平が彼女を引き止める。長い付き合いである菜沙の方が氷兎の心を癒すのに適していると思ったからだ。きっと、桜華が行ってしまうと邪魔になってしまうかもしれない。


 翔平は立ち上がって棚の中から適当に菓子類を取り出して机の上に並べた。


「ここでゆっくり待ってようぜ。珈琲でも淹れてやるよ」


「……はい」


 少しだけ悲しそうな顔をした彼女は、外に行くことをやめて椅子に座った。出された菓子をひとつ掴んで袋を開け、中身をポリポリと食べ始める。


 世話の焼ける後輩だ。そう心の中で呟いて、せめてここは先輩らしく格好よく場を収めておいてやろうと珈琲の入っている棚を開けて、暫くその場で動けなくなった。


「……珈琲の淹れ方がわからん」


 やっぱり格好つかなかった。それはそうだ。ここの部屋に置いてある珈琲は専用の機械を使わないと淹れられないようになっているのだから。


 小さく溜め息をついて、この後どうしようか悩んだ結果……


「あぁー、その……りんごジュースでいいか?」


 彼は苦笑いを浮かべながら妥協した。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 ここに来てから、どれくらい時間が経ったのだろう。夏だというのに感じる寒さや悪寒に身を震わせながら、俺は思った。前に散歩していたら偶然見つけた、木が乱雑に生えている場所の真ん中にポツンと存在するちょっとした池のほとりで俺は座っていた。辺りはもう真っ暗だ。転々とある街灯がなければ、何も見えないだろう。


 ただボーッと池の中で泳いでいる魚を見て、そして流れ出る水の動きをじっと眺めていた。こうしていると、なんだか何もかもを忘れられる気がして、何も考えずにいられそうだったから。


「……ここにいたの、ひーくん」


 突然背後から声を投げかけられて、少しだけ身体がビクッと震えた。いきなり背後からやってくるのはやめて欲しい。これでも小心者なのだから。


 俺が返事をするよりも早く、彼女は俺の隣に腰を下ろした。地面に手をつけている俺の手の上に重ねるように、彼女も手を置いた。なんとなく寒く感じていたせいか、彼女の手が暖かく感じる。


「……よく俺がここにいるってわかったな」


「ひーくんって、水が流れてるのを見るのが好きだから。なんとなく、水のある場所にいるんだろうなって」


「エレベーター付近に噴水があっただろ」


「人が多いところ好きじゃないでしょ。それに、私もここ見つけてたの。初めてここに来た時、ひーくんが好きそうな場所だなーって思ってた」


「……流石と言うべきか、変態と罵るべきか」


「俺のこと好きすぎだろって返してくれてもいいんだよ?」


「……馬鹿言え」


 少しだけ心が軽くなった気がする。やっぱり菜沙が近くにいると、安心する。彼女の暖かさとか、匂いとか。人間慣れ親しんだものが近くにあるだけで精神的に安定するんだろう。少し息を吸ってから、肺の中身を全て吐き出した。


「ため息なんて、珍しいね」


「………」


「鈴華さんから聞いたよ。ひーくんが、何をしたのか。どんなことがあったのか」


「……それを聞いて尚俺の近くに来るのか? こんな滑稽なサツジンキの隣に?」


 自分のことを自虐するように、俺は言葉を発した。重ねられた手に痛みが走る。どうやら、彼女に抓られたようだ。


「サツジンキだとか、関係ない。私はひーくんの隣にいたいからいるの」


「……俺には関係ある。俺は人殺しだ。例え相手が人に似た何かだったとしても、俺は……この手で殺したんだ」


「そうしなきゃ、桜華ちゃんが死んでいた。なら、ひーくんは間違ってないよ」


「人殺しは悪だ。許されるべきじゃない」


「なら私が許す。皆が貴方を悪といっても、私は貴方の味方でいる」


「……馬鹿なのか、お前は」


 そう言って、顔を回して彼女の瞳を見た。


 ……それ以上は口が開かなかった。彼女の瞳は真っ直ぐで、その言葉に嘘偽りなんて存在しないのだと主張していた。重ねられた手が強く握られる。


「自分を責めないで。一人で抱え込まないで。苦しかったら、私に相談して。約束したんだから。私は……ずっと貴方の隣にいるから」


「………」


 すぐには言葉が出なかった。ただ、何と言うべきか。目の前の幼馴染が俺のことを大切に想ってくれているのだと、ハッキリと口に出してくれたおかげか。心の中が暖かくなった。さっきまで感じていた寒さや悪寒はなくなり、震えなんてものは元からなかったように消えていた。


 少しだけ恥ずかしくなり、それを隠すように彼女を嘲るちょっとした悪口を言った。


「……馬鹿だよ、お前は。考える頭と一緒に胸もなくしたんじゃないのか?」


「……なら、ない胸でも満足させてあげるよ」


 そう言って彼女は立ち上がり、俺の真後ろに回り込んで抱きついてきた。


 背中に少しだけ柔らかいものが当たり、俺の首を回すようにして手を回したせいで彼女の吐息が当たるくらい顔が近かった。彼女の温もりが、身体全体を包み込んでいく。


 先程とは違う理由で、身体が震え始めた。悟られないように、俺はまた彼女に苦言を漏らす。


「どうせなら、七草さんに抱きしめられたかったな……。お前の存在すら怪しい胸じゃ、いくら経っても満足しないよ」


「……満足するまで、ずっとこのままだから」


「っ……何時間かかることやら」


「何時間でも、ずっと」


「………」


 堪えきれなかった。彼女の暖かさのせいで、どうやら涙腺の機能が壊れてしまったらしい。オーバーヒートかな、これは。目元が熱さで赤くなってしまう。


 ……ポツリ、ポツリ、と涙が回されている彼女の腕に落ちていく。菜沙は何も言わずに、ただずっと後ろから優しく抱きしめてくれていた。前からでなくてよかった。こんな泣き顔を、彼女には見られたくない。


 壊れてしまった日常まえのように側にいてくれる幼馴染に、俺はお礼を言った。


「……ありがと、菜沙」


「……帰ってきてくれてありがと、ひーくん」


 静かな時間だけが過ぎていく。誰も俺達を邪魔するものはなく、ただ天井に設置されたパネルが映している星が見下ろしているだけだった。























「……なぁ、俺もう満足したんだけど」


「私はまだだよ」


「……そう」


 仕方が無いから、そのまま近くの木に寄りかかって座り、彼女を俺の足の間に移動させた。そして、今度は俺が背中から手を回して固定する。


「……満足か?」


「……もう少しだけ」


 結局、そのまま外で俺達は寝てしまった。ここが本当の外ではなく地下でよかった。毛布なんてなくても……暖かかったから。




To be continued……

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