第42話 相棒ノ心

 ……何かが燃える匂いがする。そう遠くはないどこかで、何かがパチパチと燃える音がする。そして……


「いやぁぁぁぁぁぁッ!!」


 ……誰かの悲鳴に混じって、発砲音が聞こえる。嫌な夢でも見ているのかと思って数分。ようやく意識がハッキリとしてきた。目を薄らと開けると、車の天井が見えた。そして……視界の半分を塞いでいる誰かの身体。


「……氷兎君? 氷兎君、大丈夫!? 私のことわかる!?」


「……あぁ」


 七草さんの慌てた声が耳に響く。まだ少しだけ頭痛が残っていた。どうやら俺は七草さんに膝枕をされて横になっているようだった。


 ……俺は、何をしていたんだったか。


「───────ッ!?」


 悲鳴が聞こえた。その悲鳴を聞いてようやく、俺は何をしていたのかを思い出した。車の窓からは暗い夜空に向かって立ちのぼる真っ黒な煙が見えている。急いで飛び起きようとして、腹と背中の両方が痛みうまく動けなかった。腹には紫暮さんの拳が叩き込まれ、背中は木に激突したときに負傷したのだろう。


 ……でも、動けないほどではない。


「だ、ダメだよ! 気絶するくらい酷い痛みがあったんだから、寝てなきゃ!」


「……寝てる暇なんて、ない。先輩は、どこにいった?」


 途切れ途切れになる言葉を発しながら七草さんに先輩のいる所を聞いた。後部座席には俺と七草さんがいるけど、運転席には先輩はいなかったからだ。きっと……先輩は村の方にいるに違いない。


「翔平さんは、まだ村に残ってて……」


「そうか……」


 なんとか身体を起こして、引き止めようとする七草さんを宥めながら外に出た。車の外は鼻につく匂いが一層酷い。未だに銃声は時折鳴り響いている。


「ダメだよ氷兎君!!」


 車の中にいる七草さんにぐっと引っ張られた。彼女の顔は悲壮感に溢れていて、どうしても俺を動かしたくないように思えた。いや実際そう思っている事だろう。けど、俺はここにいるわけにはいかないのだ。あの惨劇の中心に行かなくては。


「……なら、私も行く。氷兎君だけじゃ危ないよ」


 七草さんが車の外に出ようとするのを、俺は両手で押し返すようにして押しとどめた。


「……七草さんが見る必要はないよ。こんなもの……見なくて十分だ」


「なら氷兎君が見る必要もないよ!!」


「俺には責任がある。あの時、木原さんとの通話で止められなかったのは、俺の責任だ」


 そう言っても、泣きそうな顔で止めようとしてくる七草さんに俺は今出来る精一杯の作り笑顔で言った。


「俺なら大丈夫だよ。だから、七草さんはここにいて」


「………」


 彼女の瞳から一筋の涙が頬を伝って零れ落ちた。その涙を手で拭ってやり、軽く頭を撫でてから俺は車の中に置いてあった外套を身に纏って車の扉を閉め始める。


 閉め切る直前に七草さんの涙声が聞こえ、少しだけ扉を閉めるのを止めた。


「……ちゃんと、帰ってきて」


「大丈夫。ちゃんと帰ってくるよ」


 そう言って扉を閉めた。まだ少しだけフラつく身体を引き摺るようにして、至る所で火をあげている村の中へと進んでいく。


 ……また、誰かの悲鳴が聞こえた。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 最後に悲鳴が聞こえてから何分が経ったのだろうか。そんな事を考えながら翔平は、村の中央付近で行われていた惨劇の場を木に寄りかかるようにして眺めていた。


 やってきた処理班の人達はすぐに村を包囲し、民家を焼き逃げ場を塞ぎ、村中の人達を銃殺していった。老人だろうが、子供だろうが。男だとか女だとか関係なく。皆殺しだった。


 処理班のメンバーは皆あの黒い外套を着ており、フードも被っていた。


 まるで悪者みたいだ。こんなのが人々の平和を護っていると考えると……虫唾が走る。そう言って翔平は口の中に溜まっていた血をペッと吐き出した。この惨劇を止めようとした結果、処理班の男に殴られたのだ。


「………」


 気持ち悪い目付きだった、と未だに自分を監視している男達の背中に向かって翔平は毒づいた。外套から覗く眼は、何奴も此奴も腐っていた。あの眼を、つい最近見たばかりだというのに。


「……先輩、ここでしたか」


 見張りをしていた男に連れられるように、氷兎が歩いてきた。その瞳は潤んでいた。辺りで色々なものが燃えていて、少ししたら瞬きをしないと乾燥してしまいそうなのにも関わらずだ。


 氷兎はそのまま翔平の隣にまで歩いてくると、立っているのが辛いのかそのまま背中を木に預けて座り込んだ。


「もう大丈夫なのか?」


「……そう、見えますか?」


 氷兎の声はもう既に震えていた。おそらく泣くのを我慢しているのだろう。それが痛みのせいなのか、それともこの現状のせいなのか……。翔平は後者だろう、と思った。自分の相棒は身体の痛みで泣くよりも、心の痛みで泣く思いやりのある奴だと思っているからだ。


「……なぁ、隼人。これがお前のやりたかったことなのかよ」


 翔平は自分達を監視し続けている男……以前の仲間であった隼人に刺がある言い方で話しかけた。隼人は振り返り、その濁った眼を氷兎と翔平に向けた後、重々しく口を開いた。


「これが任務だ」


「……ハッ、そうかよ」


 隼人を鼻で笑うと、翔平の顔は少しだけ歪んだ。その苦々しい顔のまま、口をゆっくりと開く。


「……お前、もっと良い奴だと思ってたよ」


「与えられた任務をこなす。それが俺の責務だ。そこで大人しくしていろ」


 隼人は氷兎達を見るのをやめ、また焼け焦げていく村を見る作業に戻っていった。


「いやぁ!? やだ、やめて、お願いだから殺さないでっ!!」


 奥の民家に隠れていたんだろう女の人が、無理やり引っ張られるように連れ出された。連れ出した男はその女の人の足を力強く踏みつけて逃げないよう固定し、その近くにいた別の男が持っていた銃で頭を撃ち抜いた。


「……助けられるかも、しれなかったのに」


 とうとう氷兎は涙を流して蹲ってしまった。その惨劇から目を逸らしたくなったのだろう。翔平はただ、木にもたれかかったまま口を開いた。


「目を逸らすなよ。これは……俺達が助けられなかった人達だ」


「っ………」


 返事はなかったが、氷兎は涙を袖で荒く拭いながら顔を上げ、自分達の非力さの結果生まれたこの惨状を目に焼き付けた。もう、顔を逸らしたりなんてしなかった。


「……お前は、強いよな」


 小さく呟くように放たれたその言葉は、けれど氷兎にしっかりと届いた。氷兎は軽く首を振って、そんなことはないと答えた。


「俺は……弱いです。あの時、何も出来なかった。あんな手段でしか、俺は止められなかった。それに、この惨状を引き起こす引き金になったのも、結局は俺だったじゃないですか……」


「……いいや、お前は強いよ」


 翔平はホルスターに入っていた銃を片手に持って、それをじっと見ながら話し始めた。


「俺には度胸がなかった。本当はさ、俺は剣を振る適性もあったんだ。けど俺は剣なんて予備だろうが持たずに、こうして銃を持ち歩いてるんだけどさ」


 苦々しい顔で、話しにくそうにしている翔平の言葉を氷兎はじっと聞いていた。氷兎が見るに、まるで翔平は独り言を呟くようだった。返事を求めているのではなく、ただ自分の心の弱さを聞いて欲しいのだ、と。


「初めは意気揚々と剣を片手に敵を斬る練習をした。けど……あの手に残る感覚が気持ち悪くて吐いちまった。何度やっても吐いて吐いて……俺は、自分の手じゃ誰も殺せないんだとわかった。そんな度胸、どこにもなかったんだ」


 翔平は銃のマガジンを取り外し、中に入っていた弾丸も取り出してから、空に向けて空撃ちした。カチンッと弾切れを伝える音が、翔平と氷兎の周りだけに響いた。


「けど、銃でなら話は別だった。銃なら、手にあの嫌な感触は残らない。残るのは、銃を撃った反動だけだ。これでなら俺は、バケモノでもなんでも殺せると思ってた」


 弱々しく呟くだけだった翔平は、次第に声量が大きくなっていった。まるで非力な自分を叱責するように。


「けど現実はどうだ。俺は、紫暮さんがあんな風になって仲間を傷つけても、撃てなかった。仲間を守る為に……誰かを殺すという決断すらもできなかった」


「……それは、当たり前の事です。普通のことですよ。俺だってハッキリと決断した訳じゃないです。けど……あのままだと七草さんが俺のせいで死ぬかもしれないと思ったから、仕方なくやった……それだけです」


 ここまで来て初めて翔平の言葉に対して口を開いた氷兎は、あの時自分がどういう状態であったのかを話した。自分の意志でありながら、自分の意思ではなかったようなものなのだと。決断したのは、やむを得ずだったのだと。


 しかし、その言葉を翔平は首を振って否定した。


「それでもお前は決定して決行した。俺にはそれはできなかった。近接戦をする度胸もない。誰かを自分の手で直接殺すなんてこともできない。仲間の為に誰かを殺す勇気もない。だから俺は……お前を強い奴だと思った。銃だけ使えばいいものを、槍を持って接近戦の訓練もして、吐いても吐いても、大切な人を守るためだって割り切って克服して。とてもじゃないけど、俺には……そんなこと出来そうもない」


 翔平が言い終えると、二人の間にはしばらく沈黙が流れた。未だにパチパチと焼ける音が響き、目の前では死体を集めている男達が忙しなく動いている。それらを眺めながら、氷兎は口を開いた。


「誰にだって、得意不得意はあります。俺にだって、先輩のような精確な射撃はできません。だから……それでいいんですよ。貴方は本当は優しい人だ。こんな所にいなければ、きっと道端にいる蟻を踏まないように気をつけるくらい命を尊ぶ人だと思います。だから、貴方はそれでいいんですよ。貴方に出来ないことは……俺が引き受けましょう。貴方の、相棒として」


「………」


 氷兎の言葉に翔平は答えなかった。ただじっと目の前の光景を眺めている。処理班はどうやら鎮火の作業に入ったようだった。先程よりも忙しなく動き始め、そう時間の経たないうちに全て終わることだろう。


「……帰りましょう、先輩」


「……あぁ」


 氷兎は木に手をつきながら立ち上がり、翔平よりも一足先にその場から歩いて離れていく。


「……強くならなきゃな」


 お前の為にも。誰にも聞こえないくらい小さく呟いた翔平は、氷兎の隣にまで走っていって肩を貸してやった。真っ暗な道を、二人一緒になってゆっくりと歩いていく。


 もう、誰の悲鳴も聞こえなかった。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 車で揺られて帰ってきて、俺達はすぐに司令室に向かった。報告と……苦情を言うためだ。


 司令室の中では、木原さんがいつものように待っていた。部屋の中にいるのは俺達を含め四人だけだ。木原さんは俺達に何もなかったかのように報告を求めてきた。


 ……腸が煮えくり返って仕方が無い。その思いが顔に出ていたのか、木原さんは俺を睨みつけるようにして口を開いた。


「そんな顔をされても、私は何も言えん。これが世界にとって正しいことだったのだ」


「正しい……? 人を殺すことが、正しいだと? 巫山戯たことを言うな!!」


「アンタがあんな指示を出さなきゃ、誰か助けられたかもしれない。だというのに、その余地すらくれないのかアンタは!」


 俺も先輩も、我慢の限界だった。声を荒らげて自分の想いをぶちまける。隣で七草さんが少しだけ怯えていようが、お構い無しだった。


「俺達は人を殺すためにここにいるんじゃない。バケモノを……神話生物を殺すためにここにいるんだ!」


「バケモノだったじゃないか」


「そうじゃない人もいたはずだ!!」


 俺の言葉に木原さんはまったく動じなかった。涼しい顔をしたまま、俺の言葉に反論してくる。その顔に、腹が立って仕方が無い。


「あのまま時間が過ぎれば、なにか出来たのか? 何かしら手立てが用意出来ているのならともかく、無策ならば時間の無駄だ。余計な被害が出る前に全て終わらすべきだ」


「だからって……!!」


「もういい、氷兎。どう言ったって無駄だ。話を聞く気がないんだからな」


 先輩が俺の腕を掴んで止めた。仕方なく、口から漏れそうに罵倒をぐっと堪えて、少しだけ後ろに下がった。代わりに先輩が木原さんに対して口を開いた。


「氷兎も言ったように、俺達の目的は神話生物退治です。だというのに、今後こんなことが続くようなら……アンタの命令を放棄し独断で動くことになります」


「ふん……好きにするといい」


「……二人とも、出るぞ」


 先輩に部屋の外に出るように促された。けど、俺は一旦立ち止まって先輩に向き直る。


「……すいません。七草さんと先に出てもらってもいいですか?」


「……わかったよ」


 先輩は七草さんを連れて部屋の外へと出ていった。部屋に残されたのは、俺と木原さんだけだ。俺は振り返って木原さんの目を真っ直ぐ見据えて、口を開いた。


「……聞きたいことがあります。七草さんのいた潮風孤児院……あれ、どうしたんですか」


 俺達がオリジンに入ってからすぐは、忙しくてニュースなんて見る暇がなかった。けど、今回の一件があってからどうにも引っかかっていた。


 ……俺の中での予想は、最悪の形で的中していた。



「火事として処理したよ。中にいた連中、全部な」



 ……何も言葉が出なかった。こんなことを、七草さんには伝えられないだろう。仮とはいえ、あそこは彼女の家だったのだから。


 それに、中にいた連中全部ということは……あの子供たちも全て、ということなのだろう。流石に苛つかずにはいられない。握っている両手に力が入る。


「子供だろうと、あそこにいたのがお前の言う深きものどもの子供であった可能性もある。疑わしいのならば、諸共殺すまでだ」


「……殺人鬼め」


 忌々しそうに呟かれた俺のその言葉に、木原さんは鼻で笑ってから言い返してきた。


「それは君だよ『サツジンキ』。助けたい子供でもいたのなら、自分の金で孤児院でも建てればいい。費用を全て自分で持つのなら、私はその使い方に対して何も言うことは無い」


「……失礼します」


 そう言って部屋を出て荒々しく扉を閉めた。心の中で木原さんに対する暴言を吐きながら、すぐ近くで待っていた先輩と七草さんの元へと歩いていく。


 七草さんが心配そうな顔で近寄ってきて、下から顔を覗き込んできた。


「……何かあったの?」


「……いいや、何もなかった」


 ……木原さんのことが嫌いになりそうだ。それが例え世界のために必要なことで、正しいことだったとしても……俺は、あの行いを許容できない。きっとここにいる二人も、そう思っていることだろう。



To be continued……

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