第三章 それは人か否か

第32話 新たな任務へ

 人が人である証明ができるかい?


 道具を使える? 話せる? 姿が人型で二足歩行ができる?


 ……否、それは証明にならない。


 自分の事ですらまともに理解できないのに、他者を理解するなんておこがましくないかい。まして、それが人という一括りを理解しようだなんて到底不可能だ。


 仮に君の前に、恋人と瓜二つの人物が現れて……二人が同時に私が本物だと主張したら、どちらを選ぶのだろうね。




───────────────────




 まだまだ夏は終わらない。暑い日が続くが、気温が関係の無い地下空間では快適に過ごせている。今日は木原さんに俺と先輩、そして七草さんが呼び出された。今は司令室に向かっている途中である。


「……おや、あれは……」


 先輩の足が止まる。一体何があったのか……。早くしないと既に司令室に向かったらしい七草さんが怒りかねない。いや、彼女が怒るということはないか。怒っているところを想像できないし、可愛らしい顔しか浮かばない。


「おぉ、隼斗ハヤテ!! お前もう大丈夫なのか!?」


 片手を上げて先輩が走り寄って行った先は、前を歩いていた猫背の男性だった。隼斗……確か、先輩が前に一緒に組んでいた同僚だったか。発狂したと聞いているが、精神的に安定したんだろうか。


「……あぁ、翔平か」


 ……振り向いた彼の姿を見て、嫌に寒気がした。


 普通の姿形をしているが、猫背で髪の毛は整っておらず、頬は痩せこけて窪み、更に目が完全に色を失っていた。白目ということではない。俗に言う、死んだ魚の目という奴だろう。どうして後ろ姿だけで彼だとわかったのだろうか。


「なんだよ復帰したなら早く言えよぉ。どうだ、また飯でも……」


「うるさいな。俺は任務があるんだ、邪魔をしないでくれ……」


 肩を組もうとした先輩の手を払い除け、彼はそのまま猫背の状態でどこかへ行ってしまった。先輩の弾かれた手が行き先を求めてさまよっているように見える。


「……隼斗、一体どうしたんだ? 確かに生真面目で堅いやつだったけど……あそこまで……」


「……目、見ましたか。言っちゃ悪いですけど、ありゃどこかイカれた目ですよ。発狂したと聞きましたし、おそらく精神的に参っているのでは?」


「……いや、でも、なぁ……」


 先輩はずっと男の消えていった通路を見つめている。不思議なものだ。案外人間は図太い生物なのかもしれない。先輩から聞く限りだが、隼斗という人物の発狂の仕方というのはあまりにも酷く、仲間に攻撃したり途端に走り回り壁に頭を打ちつけるなど、傍目に見ても治る見込みはなさそうに思えたらしい。実際、精神科の先生はとてもじゃないが、と否定的な意見を述べたそうだ。


「……まるで、何かに取り憑かれた様にさまようゾンビみたいな感じでしたね」


「生気がないってのは……あぁいうことか。でも、なんで……」


「……行きましょう、先輩。今度会った時に聞けばいいじゃないですか」


「……そうだな」


 互いに止めていた足を動かし始める。俺はそっと、先輩にバレないように軽くため息をついた。暫くは、夢に出てくるゾンビがあの男の顔に見えそうだ。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 司令室に入ると、そこにいたのはいつもの碇ゲンドウスタイルの木原さん。そして動きやすそうな服装に身を包んだ七草さんだった。今日はスカートではないようだが、それでも似合っている。彼女は俺が司令室に入ってくるなり、顔をほころばせて喜んだ。


「おはよう、氷兎君!」


「おはよう、七草さん。木原さんもおはようございます」


「……俺にはなしかぁ」


 がっくり項垂れた先輩を尻目に、先程から早くしないかと急かすように睨みつけてくる木原さんに頭を下げて遅れた旨を伝えた。木原さんは少し顔を顰めたが、すぐに本題に入るようですぐ後ろにあるスクリーンに今回の任務についての情報を映し出した。


「集まってくれて感謝する。今回の任務についてだが、鈴華と唯野に加え志願していた七草を入れてのメンバーとなる。今回はこの三人で頑張りたまえ」


「うっす」


 先輩に倣って俺と七草さんも頭を軽く下げて返事を返した。スクリーンに映った映像が次々と変化していく。やがて映し出されたのはどこかの田舎の風景と一人の男性の写真だった。


「今回の任務だが、先日不可解な事態が起きた。この田舎に調査に向かっていた諜報員の生体反応が消失した」


「前回と同じですね」


「それだけならまだ話は簡単だ。問題は……死んだ筈のこの諜報員から調査の結果が途絶えずに送られてきていることだ」


 その言葉に心臓が少しだけ飛び跳ねたような気がした。それはつまり……死んだはずの人間から連絡が来ているということだろうか。それはありえない。いや……ありえてほしくないことだ。念の為に疑問に思ったことを木原さんに尋ねる。


「連絡ということは、声は聞いたんですか」


「あぁ。同じ声だったよ。少なくとも本人に何かがあったという確信はなさそうだ。けれども生体反応を示すカードはその田舎で死んだ状態のまま動き回っている。ならば……死んで生き返ったというのが現在考えられる有力候補だ」


「そんな馬鹿げた話が……」


 苦々しく顔を歪める。そんなことができるのなら、父さんと母さんを生き返らせてほしいものだ。あの二人は何も関係がなかったはずなのに。


 そんな俺の心情を察してか、先輩が頭を軽く小突いてきた。恨ましげに睨むと、先輩はニヒルに笑って誤魔化した。


「その調査が俺達の任務ってことっすね。声が同じで、生きているなら遭遇するはずですし、俺達はどういった体で彼に接すればいいんすかね」


「彼は現地で奇妙なことが起きていると報告している。その調査も行ってもらう予定だ。なので、お前達はいつものように調査に向かうだけでいい。ただし……何があるかわからん。その諜報員に関しては、あまり信用しない方がいい」


「……考えられる点としては、蘇ったのではなく神話生物がすり替わったというところでしょうか。おそらく蘇生よりも現実味がある」


「すり替わりっつーと……人の皮を被ったりとか。いや、それはなかなか怖ぇなぁ……」


「……次の内容に移るぞ」


 木原さんがそう言うとスクリーンに映る映像が切り替わった。映し出されたのは……。


「……血溜まり、ですか」


「……なんか、あの日のこと思い出しちゃうね……」


 七草さんが近くによってきて、俺の袖をぎゅっと掴んだ。別の意味で心臓が飛び跳ねそうだった。それを抑えつけながらも、その画像を見た感想を述べることにした。


「……明らかに致死量ですね」


 見てわかるくらい血の量が多い。この血液を持った人間は確実に死んだだろう。いや、その場で緊急治療し輸血が間に合ったならともかく、そんな奇跡が起こるわけもない。なにしろ、その写真は田舎の民家の裏側で撮られているようだからだ。


「夜分悲鳴が聞こえ、駆けつけたところこの血溜まりがあったらしい。だが……その地域周辺の人々は誰もいなくなっておらず、その血を流した本人も近くにはいなかった。死体すら発見できず、数時間後には綺麗さっぱりこの血溜まりがなくなっていたらしい」


「……訳がわからないですね」


 誰かが見ているかもしれない状況で、こんなにも大きな血溜まりを跡形もなく消せるものなのだろうか。俺にはできるとは思えない。それに不明瞭な点が多すぎる。血を流した本人はいないし、流させた犯人も見つからない。まさしく迷宮入り事件だろう、これは。


「血液検査とかしたんすかね」


「検査は行った。しかし……その血を流した本人は生きていた。それが、この女性だ」


 画面に映された写真は、40代程度の女性だった。少し皺があり、髪の毛は長めだ。どこにでもいる人物だろう。


 ……明らかな致死量の血液をばらまいたのに、この本人はピンピンしていたということか。尚且つ本人は何も無かった、と。これは中々面倒な事件になりそうだ。それに……田舎というと嫌な予感しかしない。またその地域の人達に薬でも盛られるんじゃなかろうか。今度は死ぬぞ、きっと。


「……その田舎で変な習慣とかはあるんですか」


「いや、特には確認されていない。いたって普通の田舎町だ。まぁ、田舎とは言うもののまた山奥の寂れた集落のような場所だがな」


「また僻地か……。よりによって何でそんな所で……」


「簡単だ。都会では神話生物共が生存しにくいからだろう。人間の肉体を持った連中でもない限り、我々が発見し駆除する。だから監視の目が届きにくい山奥や僻地に居を構えるのだろう」


「……割と、都会にも隠れる場所多いと思うんですがねぇ」


 ……まぁ、俺の場合が特殊なケース過ぎただけかもしれない。あの深きものどもは一応とはいえ人の形をしていたからな。完全なバケモノ個体を除けば、奴らは人と類似、あるいは完全に一致していた。


 なら、今回のも同じようなのかと聞かれれば……どうだろうか。今回のケースはきっと、すり替わりだろう。殺してすり替わったと思われるが、果たして簡単に解決できるのだろうか。闇雲に手は出せない。諜報員に、お前はバケモノだと言って詰め寄ったところで、何も掴めはしないだろう。


「では……引き受けてもらえるか?」


 そう尋ねた木原さんに対し、三人揃って頷いて返す。話は以上だ、と言われ退室を促された。揃って部屋から出ると、先輩が任務に関しての話を切り出し始める。


「……こりゃまた厄介そうだ。七草ちゃんは平気そうか? 多分結構怖いぞぉ?」


「私は大丈夫です! それに、氷兎君もいますから!」


「はぁぁ、こりゃまた随分とまぁ……」


 七草さんの期待と信頼が込められた目と、先輩の……憐憫だろうか。よく分からないが、変な目線を向けられた。七草さんにそう言われることに関しては……まぁ、悪い気はしないでもないが、せめてもう少し強くなりたいものだ。


 彼女のその言葉に、胸を張って俺が護ると言えるように。今は少しずつでも前に進まなくては。


「……まぁ、七草さんに関しては問題ないでしょう。はっきり言えば、俺と先輩よりも強いかと」


「……ゑ、マジ?」


「マジです」


 一度、七草さんが戦闘訓練をやってみたいと言ってやらせてみたら、ミ=ゴが蹴りひとつで軽々とミンチにされた。おかしい。俺の全体重を乗っけた叩きつけでも怯んだだけだったのに。それに、身体能力が夜間の俺以上に高い気がする。素早い移動で相手の虚を突いて、一撃必殺を叩き込む。パラメータ的には力と速がカンストしているのではなかろうか。


「……そんなに私ってすごい?」


「少なくとも今の俺じゃミ=ゴはミンチにできない」


「……私のこと、怖い……?」


 七草さんの視線が下がり、悲しそうな雰囲気を纏わせた。彼女は孤児院にいた頃から、周りと自分の差に酷くコンプレックスを持っていた。今もそうだろう。例え周りの連中が人外に対応できる程度に強くても、彼女の素の力というのはあまりに異常だ。けれど……俺が彼女を恐れてしまったらダメだろう。そんなこと、万が一にもないとは思うが。


「……どこがだよ。なに、そのうち俺もあの程度ミンチに出来るくらい強くなってやるさ。だから、七草さんは全然怖くない。むしろ、まぁ……一緒にいてくれると心強いかな」


 彼女に軽く微笑んで、そう告げると彼女は一気に明るくなって、笑顔でありがとう、と言ってきた。


 それでいい。その純真無垢な笑顔が、何よりも尊いものな気がするから。その笑顔が護れるように、俺も彼女の隣に立てるように……強くならなくては。


 だが、起源を見ると滑稽だな。『英雄』の隣に立つのが『殺人鬼』か。いやまぁ、カードの表記的には『サツジンキ』なんだけどさ。そんな事態、神話にも存在しなさそうだ。心の中で独り言を呟いていると、先輩の顔が苦々しく変化していくのがわかった。


「……さて、お前ら明日に出るから準備しろよ。あと氷兎、お前部屋に戻ったらブラック淹れといてくれ。甘味を摂取しすぎた」


「どこで甘いもん食ってたんですか。俺にもくださいよ」


「そこらへんの空気でも食ってろよ。綿飴みたいに甘いぞ、きっとな」


 そう言って先輩は片手を振りながら歩いていってしまった。残されたのは俺と七草さんだけ。さて、どうしたものか……。


「……甘くないね?」


 七草さんを見たら、そこら辺の空間に向かって口でパクパクと何かを食べるように動き回っていた。やっぱり彼女は可愛らしい。見ているだけで微笑ましくなってしまう。


「何やってるんだか。とりあえず、準備しに一旦菜沙のところに行こうか」


「うんっ!」


 返事をして俺の隣にまで来て一緒に歩いて行く七草さんに、さっきの光景と合わせて顔が熱くなってしまうのがわかった。流石に見られたくないから顔を背ける。きっと不思議そうに見つめられていたことだろう。


 ……さて、これが恋なのか、それとも保護欲か。全くもってわからないが、いつも通りやっていくとしよう。此度の事件は、何やら難解そうだからな。



To be continued……

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