第10話 黒槍

『設定完了。ヴァーチャルトレーニングを開始します。気分が悪くなった場合はすぐに使用を停止してください』


 その音声と共に不思議な感覚に身が包まれ、目の前が真っ白になっていった。そして、気がつけばどこかの建設跡地のような場所に俺は立っている。コンクリートむき出しの壁が少しだけノイズが走って四角いキューブのようなものに変わっていくのを見ていると、ここが現実ではないのだという実感が湧いてきた。


「……あまり、慣れないものだな」


 普段とは違う得物を手に持っているせいか、このトレーニングがいつも以上に緊張する。両手で斜めに構えている棒状の武器は、薄暗いこの場所で鈍く光っているように見えた。


『ひーくん、聞こえる?』


「あぁ、聞こえるよ」


 空からと言った方がいいのか。ともかく、上の方から菜沙の声が聞こえてくる。


『こっちでも見てるからね。今回はその使い勝手の確認だから、銃はあまり使わないでね』


「了解。んで、相手は?」


『えぇっと……ミ=ゴ……? ゴミの変換ミスじゃないの、これ』


「あぁ、うん……ミ=ゴで合ってる」


 もう何度も戦ったあのバケモノだ。身体はブヨブヨとした皮膚で覆われ、目などの器官はない。しかし耳はいいらしい。頭部は触手が固まったような気持ち悪い造形で、人で言えば両手となる部分はまるで大きなハサミのようになっている。切られれば一溜りもない上に、首チョンパされる危険性もあるのが恐ろしい。まぁ、何より恐ろしいのはそんな気味悪い生物が高速で殺しにかかってくることなんだが。


 初めて見た時は……さすがに衝撃的としか言いようがなかった。こんなのが日常生活に紛れ込んでいるとか、気が気じゃなくなりそうだ。蝿の羽音かと思って見てみたらミ=ゴでしたとか、発狂不可避。なんだか嫌な想像しちまった。


『とりあえず……頑張ってね。応援してるよ!』


 菜沙の声はそれきり聞こえなくなった。両手で持った武器をしっかりと握る。耐久性を考慮して作ってくれたらしい。持ち手から何からが硬い金属のようなもので出来ていて、先端部分は捻れて尖っている。持つところにはグリップが巻かれていて、握りやすい。


 身の丈程ある、槍。刀と比べてリーチが長い。接近するのはまだ怖いし、俺としてはかなりありがたいことだ。


 なにしろ、リーチの差というのは中々に厳しい。基本、剣は槍より弱いとされる。槍はそのリーチを生かして、相手に接近される前に倒すというのが定石だけど……初回からそう上手くはいかないだろう。


「……しかし、本当に『倒す』ための武器なんだな」


 槍の先端には刃を付けたりするものもある。ハルバート、と呼ばれる武器がその例だ。しかしこの武器は至ってシンプルなまでに真っ直ぐで先端が捻れて尖っているだけ。殺傷方法が突きか先端部分で引っ掻くしかない。


 しかも作りが硬い金属ときた。中国で使われる槍は、持ち手を木で作ってしならせることで威力をあげるという手段を用いる。対して、この槍はともかく硬くしてあるので強度は高い。相手の攻撃を受け流す、反撃で横殴りといったことができるだろうけど……かわりに、打撃でしか攻撃できない。槍と言うより、棒だ。


「………ッ!!」


 羽音が聞こえる。ミ=ゴが近くに来ているらしい。如何せん場所が場所なだけに音がこもって響くから、場所がわかりにくい。


「………」


 いや、むしろこちらの位置を割り出してもらうとしようか。その方が奇襲されるよりはいいだろう。ホルスターからコルト・ガバメントを取り出して虚空に向けて発砲する。乾いた音が辺りに反響していき、更に羽音が大きくなってきた。


(……..上かッ!!)


 恐らくコンクリートの柱に隠れながら背後から迫ってきたソレは、頭上にまでその羽根を動かして近づいてきていた。銃をしまい込み、両手で斜めに構え、足もそれに倣って開く。前傾姿勢で相手の出方を伺うことにした。


『キチ……ギチ、GI……』


 もはや虫の鳴き声とすら思いたくないその声を響かせながら奴は近づいてきた。恐らく、俺の居場所を察知したのだろう。少し後ろに下がると、一気にこちらに向けて突進してきた。


「………ッ!!」


 横に回避して、そのまま頭部に向かって槍を叩きつける。柔らかい皮膚のせいか、あまり効き目はないようだ。一旦距離をとって、再び槍を構え直す。


「どうしたもんか……」


『キチギチ……GYAAAAAA!!』


 地面に降り立ったソレは雄叫びをあげて再度突っ込んで来る。振り上げられたハサミを槍で弾き、そのまま弾いた反作用で槍を手元で回してもう一方のハサミを弾く。無防備な身体に向かって逆側で刺突、そして上にかち上げて頭部に打撃を与える。


「よいしょ、っとォッ!!」


 相手がふらついている中、地面に槍を立てて自分の身体を持ち上げる。そして空中で一回転してその勢いのまま頭部に向かって振り下ろした。手に伝わってくる柔らかい感覚。しかしその頭部の奥に奥にと槍は進み、やがて振り抜かれる。


「これで終わりっ」


 すぐさま地面に降り立ち、衝撃を膝で吸収するように片膝立ちになった状態でホルスターから銃を抜き取って発砲。一発目は身体に、二発目は頭部に、三発四発……と次々に撃ち込んでいく。


 ミ=ゴの悲鳴が響く。そんなものに構うわけもなく、七発撃ったら即リロード。マガジンを変えて、再度撃つ。そして相手がもう動く気力もなくなり、ただ生きるために足掻こうとする状態になったところで、両手で持った槍を思いっきり突き刺した。


「………」


 言い表せない不快感が身体を包んでいく。やはり、直接的に殺すのはダメだ。槍を抜き取ると、そこからは緑色の体液が流れ出して辺りを汚していく。


 そして目の前に浮かび上がる訓練終了の文字。乱射で倒したもんだが……まだ初回だ。これから何度か試していけばいい。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 VRルームから出てすぐの場所に菜沙と、七草さんも一緒にいた。彼女はここに来てからより一層笑うようになったと思う。同年代の友達が出来たのかもしれない。それに、期待の新人だと噂もされていた。流石は『英雄』様だ。


「思ってたよりも使えてるね。流石に最後の銃乱射はアレだけど……」


「仕方がない。倒すための戦い方なんだから、決定力に欠けるのは必然的なものだ」


 右手に持った持ち手から先端まで全てが真っ黒な槍を手元でクルクルと回す。流石に片手で回すのは中々にキツかった。一応両手武器だしな、これ。


 そうやって槍を弄っていると、先程までの俺の訓練の様子を見ていて興奮が収まりきらないのか、七草さんがどこか楽しそうに話しかけてきた。


「氷兎君凄いね! 最後の方飛んでなかった!?」


「あぁ、まぁ……棒高跳びみたいなものだな。ダメもとだったけど、案外出来た」


 まぁ、棒高跳びとは似て非なるものではあるけども。起源のおかげなのか、それともあの声のおかげなのか。身体能力は少しだけ人間離れしている。


 俺の訓練をじっと見られていたのは恥ずかしいけど……七草さんはまるで自分のことのように喜んだ。今も尚彼女の明るく無垢な笑顔は健在だ。なくならないでほしいと、切に願っている。


「……まぁ、結果としてはいいかな。どう、どこか変えて欲しいところとかある?」


 どうしてかふくれっ面な菜沙の言葉に、先程の戦いを思い返した。とは言っても、特に変更すべき場所はない。重さも充分、硬さも大丈夫、長さも扱いやすい。まぁ、まだ扱ってすぐだからというのとあるのかもしれないが……流石は菜沙と言ったところか。


「今のところはないよ。流石だな、菜沙。これ凄い扱いやすいよ」


「そ、そう……? うん……なら、良かったかな」


 ふくれっ面から一変。少し恥ずかしそうに顔を背けて、指で毛先を弄りだした。照れ隠しがわかりやすい。表情のせいでまったく照れ隠しになっていないけど。相変わらずこの娘は自分の表情を隠すのが下手というか……まぁ、菜沙らしいと言えばそれまでだ。


「……これで、ひーくんのこと護れるかな……?」


 不安そうに彼女は聞いてきた。それもそうだ、なにしろ命懸けの任務になるわけだし。仕事だからといって割り切れるわけでもない。もしかしたら、生きて帰ってこれないかもしれない。


 ……でも、彼女が作ってくれたこの黒槍こくそうは、きっとどんな窮地であろうとも俺のことを鼓舞してくれることだろう。彼女が俺を案じて作ってくれたもの。彼女が俺のために作ってくれたもの。昔から一緒にいた彼女が、離れていても隣にいるような感覚を感じさせる。


 きっと、この武器は俺のことを護ってくれるに違いない。そして、俺も彼女のことを護ろう。そう心の中で誓って、彼女の言葉に頷いて答えた。


「大丈夫だよ! 私も氷兎君と一緒に行くから、護ってみせるよ!」


 七草さんは自信ありげにそう言った。護ってみせる……と言われてもなぁ。女の子に護られるというのも、中々に男として体裁が悪いものだ。まぁ、実質彼女の方が強いわけだから四の五の言えないんだけど。


 ……果たして『殺人鬼』に『英雄』が護れるものなのか。


 少し自分に対して皮肉げに嘲笑わらった。何を馬鹿なことを言っているのか。殺人鬼だろうがなんだろうが関係なく、俺は彼女達を護りたい。それでいいじゃないか。


「まぁ、なんだ……俺も、七草さんのことを護れるように努力するよ」


 ここで、護るよだなんてカッコイイ台詞が吐けたらいいものだが……できないことは言うもんじゃない。命懸けで彼女を護ったとして、俺が死んだらどうなる? 彼女達は悲しむだろう。大切なのは、皆で生き残ることだ。少なくとも、俺はそう思う。


「えへへ……ありがと、氷兎君」


 七草さんは嬉しそうに笑った。俺もつられて、少しだけ微笑んだ。いや、どうにも暑い……。この部屋はクーラーが効いてるはずなんだけどな……。


「……ひーくん、顔真っ赤」


 菜沙の低い声で、一気に涼しくなった気がする。はて、暑かったのは気のせいか……しかし顔真っ赤と言われてもね。こんな可愛らしい女の子の幸せそうな笑顔を見て見惚れないのもおかしなものだと俺は思うけどなぁ。


「氷兎君ってよく顔赤くなるよね。体質なの?」


「ただの病気よ。放っておけば治るわ」


「阿呆。病気じゃないっての」


「ふーん……」


 ジトーっとした目で菜沙に睨まれた。俺がいったいお前に何をしたと言うのか。あれか、影で胸について批評したのがいけないのか。そんなにコンプレックスかそれ……。気にしないでもいいと思うんだがね。需要はあると思うよ、俺は。


「………?」


 七草さんはコテンッと首を傾げる。どうやら菜沙との会話のキャッチボールについていけてない様子。しかしまぁ……可愛らしい女の子がやる仕草というのは何をやっても可愛いようだ。菜沙はどちらかというと冷ややかな視線を送ったりする方が似合うんだがね。決して、首を傾げたりするのが似合わないと言いたいわけじゃない。


 菜沙は可愛い系ではなく、クールと可愛さのハーフなのだ。そこら辺は理解しているとも。


「さて、俺は部屋に戻るかな。先輩がやるゲームなくて暇してそうだし」


「二人揃ってゲームやっちゃうんだから……。でも、仲良くなれてよかったね」


「まったくだ。これで関係最悪だったら部屋割りの変更を要請してたよ」


 運が良かったとも言うべきか、それとも先輩の人の良さを褒めるべきか。なんにせよ、先輩との関係が上手くいってるのは非常に良いことだ。軽々しく話しかけられるし、ゲームに関してやちょっとした雑談などで話に花を咲かすこともある。学校で友人と話すのと何ら変わりない気がする。


「そしたら、私はひーくんと同じ部屋になろっかな」


「な、菜沙ちゃん……!?」


「お前高校生にもなって一緒に寝たがるのか……? そろそろ、親離れならぬ幼馴染離れをしてもいいんじゃないかと思うんだがね。それに、俺らも年頃の男女だ。同じ部屋ってのはダメだろう」


「それもそうだけど……別にいいじゃない。幼馴染なんだから、そういうのがあったって。ひーくんは私のこと何の了承もなしに襲わないでしょ?」


「当たり前だ。だが……お前はもう少し自分の容姿に関して考えた方がいい。ある意味思春期には毒だ」


「……そっか。そう思ってくれるなら、別にいいかな……?」


 相変わらず、彼女の言いたいことはだいたい分かるがこういったことに関しては何考えてるのかサッパリだ。なんだか七草さんも驚いてるし……。まぁあれか。ルームメイトがいきなりいなくなろうとして驚いたんだろう。


 菜沙はいつも通りのすまし顔……口元が少しだけ笑っているが、その状態を維持するように、俺の手を取って歩き出した。その後ろを、七草さんが追いかけてくる。どうやら、また俺達の部屋に入り浸るつもりらしい。



To be continued……

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