第9話 覚悟
羽根をはばたかせて、醜いバケモノが飛びかかってくる。見るだけで正気を失いそうになるソレは、前足であろう部分についているハサミのようなものでこちらを切り裂こうとしてきた。
「……ッ!!」
覚悟を決めて、両手で持った刀を上段から振り下ろす。頭部であろう、まるで触手の塊のような場所に刃が食い込んでいきバケモノを切断した。緑色の体液が辺りに飛び散り、醜悪な匂いが立ち込める。
……身体がふらつく程の目眩がした。胃の中身が逆流しそうになり、先程決めた『斬る』覚悟もまるで無かったかのように霧散していく。手に残った柔らかい嫌な感触を拭い去るように、ズボンに何度も擦りつけた。
「……やっぱ、ダメだな……」
ため息を吐くと、目の前の空間に訓練終了のサインが現れた。辺りの景色が消えていき、自分の身体も青白いキューブのようなものとなって消えていく。気づけば、部屋は元の無骨な訓練室に戻っていた。
「お疲れ様、ひーくん。顔色悪いけど……大丈夫?」
訓練室の扉を開けると、モニターを見ていた菜沙が近寄ってきた。彼女の言う通り、俺はどうにも酷い顔色をしているようだ。仕方がない。この訓練が終わる時は大体こうだ。今までのらりくらりと過ごしてきた俺には、こんな非日常的なものはどうにも慣れない。それはきっと、喜ばしいことのはずなんだが……それでは戦うことができない。仕事だと割り切るには、俺はまだ幼すぎるようだ。
「しばらくすれば治るよ……」
「そっか……。避けたりするのは問題ないのに攻撃するのはダメなんだね」
「……あの感触がどうもな。吐き気がするし、正直何かを『殺す』ということも気が滅入る。銃で撃つなら特に問題はないんだけどな……」
置いてあるベンチに勢いよく座り込んだ。隣に座った菜沙が水の入ったペットボトルを渡してくる。お礼を言って、中身を一気に飲み込んだ。冷たい水が頭に響くが、むしろ気分が楽になった気がする。俯いて気分の悪さを誤魔化そうとする俺の背中を、菜沙は優しくさすってくれた。
「……私としては、このまま訓練兵でもいいんだけどね。その方が危険が少ないし……」
「そんなのはゴメンだ。何かあった時に、お前らを護れるくらいの力はつけておきたい」
「ひーくん……」
……目の前で大切な人が死ぬっていうのは、中々に堪える。頭の中が空っぽになって、心の中に次々と浮かんでくる感情や言葉が飛び出そうとする。理性の枷が外れ、自分の本能に従いたくなる。
父さんや母さんが死んだ時に、俺はそうなった。奴らはバケモノだったとしても、人だったのだ。姿形や、声や、仕草までもが何もかも人間と変わらなかった。それを……俺は躊躇いもなく撃ち殺したのだ。憎しみに身を任せた結果だ。
殺したことに後悔なんてしてない。けど、罪悪感を感じていない……と言えば嘘にはなる。けど、両親を殺した相手を殺そうと思って何が悪い。至って当然の心理のはずだ。
考え始めるとどんどん悪循環で嫌なことばかりが浮かんでくる。それを断ち切ったのは、身体を揺すってきた菜沙の声だ。
「ひーくんっ」
「あっ……悪い。なんか言ったか?」
「もう……あんまり思い詰めちゃダメだよ。時には深く考えないことも大切なの。考え過ぎると、要らない心配まで増えちゃうから」
「……わかってるよ。大丈夫だ」
「心配だなぁ私は……」
どうやら、彼女に心配されるほどに俺は精神的にきているらしい。もう何日も前のことだというのに……。自分の犯した罪からは、そう簡単に逃れられないということなんだろうな。その人に罪を犯した自覚があれば、の話だが。
「ひーくんってさ、他の武器使えないの?」
「他のだと……特になぁ。扱いやすいのがコレだっただけで他は同じようなものだよ」
「そっかぁ……」
「一応扱い方は教わったが……なんか変?」
「そうじゃなくてね……」
彼女は先程まで見ていた俺の訓練時の状態と、戦い方について話し始めた。モニターに録画されている俺の戦闘記録を見せながら、動き方のぎこちなさ等を指摘してくる。
「やっぱり、ひーくんは何かを『殺す』ことを嫌ってる。私としては嬉しいことなんだよ、それ自体は。きっと、道徳観とか、人道とか……ひーくんの『起源』のことも自分の手で直接『殺す』ことを躊躇う原因だと思う」
「……まぁ、なくはないな。『殺人鬼』なんぞに、俺はなりたくない」
人は『起源』に相当する力を発現する事で得ることが出来るらしい。しかし、俺にはそういったものはまったくもって現れなかった。対人戦なんてしたことはないが、それでなくとも何かしらの恩恵はあるだろう。運動能力が上がったり、刃物の扱いがうまかったり……。
しかし、俺にあるのは『月の満ち欠けで身体能力が変わる』という、あの声の人物から授かった能力だけだ。流石にあの声の人物が『起源』と関係があるなんてことはないと思う。アレはもっと……なにか別のモノのような気がする。考え始めると、どうにも背筋がひんやりとしてきて、深く考えるのはやめた。
「私が思ったのは、何も殺すことだけが対処方法じゃないってことなの。気絶だとか、自由を奪うとか、そういったこと」
「……しかし、それをやるのは難しいだろ。刀で気絶なんて無理だし、自由を奪うにしても斬りつけなきゃならない」
「その点は大丈夫。武器の形状は違っちゃうけど……安心して。ひーくんにピッタリな武器を創るから」
「菜沙が作ってくれるのか?」
「うん! それに、私もその武器を渡すことでひーくんを護れてるなって思えるから……」
「……ありがと、菜沙。楽しみにしてるよ」
彼女は笑って頷いた。そしてすぐに創る気なのか、部屋から出ていこうとする。その前に、今朝会って懸念していたことがあったのを伝えるために呼び止めた。急に呼び止められた彼女は不思議そうに首を傾げてこちらを見て来る。たまに、彼女は周りが見えていないんじゃないかと思える時があるから心配でならない。
「朝、お前一人で来ただろ? 次からは七草さんか他の女の人と来なよ。流石に男性寮に女の子一人はまずいって……」
「それもそうだね。心配してくれてありがと、ひーくんっ」
心配されたことが嬉しいのか、彼女はまたニッコリと笑って、そのまま走り去って行った。こんな環境になっても、彼女は変わらない。何か作るときには、彼女は気分が高揚するのか、よくはしゃいだりするようになる。笑い方も、微笑みではなく歯を見せるような笑い方をするようになる。
……まぁ、どちらの笑い方でも彼女は可愛らしいのは変わらないことだ。俺としては物静かな菜沙も、何かを作る時に張り切る菜沙もどちらも素敵だと思うが……はて、なんであの子に彼氏ができないのやら。俺には不思議で仕方が無い。原因として挙げられるのは、やはり胸の大きさか。
「……ッ!?」
突然背筋に嫌なものがはしった。これ以上考えるのはよそう。彼女に彼氏ができないのは、きっと彼女の中の理想が高いからだ。そうに違いない。そういうことにしておこう。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「おっ、帰ってきたか」
自室という名の共同スペースに帰ってくると、先輩が椅子に座って小型の携帯ゲーム機で遊んでいた。この人は暇があるとすぐにゲームをし始める。もう見慣れた光景だけど……訓練とか、なさらないんですかね。
「はい。VR終わらせてきましたよ」
「吐かなかったか?」
「今回は、ですね」
菜沙に言いたくはないから言わなかったけど。初日なんて思い出すだけでも酷い。ゲロ、追いゲロ、思い出しでさらにもう一度。ゲロラ、ゲロガを超えてゲロジャだ。先輩が後処理を手伝ってくれたおかげで助かったが……あまりぶちまけたくない。あの時は先輩がいてくれて本当に助かった。
「難儀だねぇ。俺なんて接近戦なんてしないからな」
「羨ましいですよ。交換しませんか、起源」
「殺人鬼は勘弁だなぁ」
先輩はケラケラと笑う。『射撃』なんて便利そうな起源、羨ましい限りだ。昔からゲーム……特にFPSが得意だと言っていたし、恐らくそこら辺にも先輩の起源が働いているのかもしれない。
しかも特別支給でデザートイーグルを渡されるとか、なかなか羨ましい。銃に疎い俺でもわかる有名さだ。それに多くのゲームで使われる。しかし俺が使うと反動が抑えきれないし……。それを扱えるのは流石先輩と言ったところか。
「しかし、お前さんが訓練兵の間は暇になるからゲームやり放題でいいねぇ。おかげでイカシューティングのランクがカンストしたぜ」
「暇人ですね本当……」
ゲーム画面を見ながら、マンメンミッ、等と声真似をする先輩を少しだけ生暖かい目で見ながら、棚においてある黒いマグカップを取り出して、珈琲を淹れることにした。
「あ、俺も頼むわ。ブラックでいいぜ」
「背伸びしてます?」
「してねぇよ! 俺はブラックが好きなの!」
「味覚おかしいんじゃないんですかね」
どうして砂糖も何もいれない珈琲が飲めるのか……俺には理解に苦しむね。言われた通り、棚から青色のマグカップを取り出して、準備を再開する。コーヒーミルを取り出して中に豆を入れて粉砕したら、今度は抽出するためにマグカップにフィルターを敷いて粉を入れてお湯を流す。豆を取り出した段階で匂いはしていたが、こうしてお湯を注げば更に良い香りがしてくる。この匂いこそ、珈琲の醍醐味ではなかろうか。
「……前々から思ってたんだけど、お前って細かいよな。珈琲淹れるって言ってそこからやるか普通」
「趣味なんですよ。家事全般と珈琲は」
「主夫か」
「専業主夫も、アリなのかもしれませんけどねぇ……」
まぁ、そんな未来はないだろう。命かけてる仕事場で養ってくれるやつなんていやしない。それに、この仕事を辞めることは出来ないだろう。辞めたところで行き先もない。再就職しようにも、高卒すら取れてないわけだしな。厳しいだろう。
「……あれ、よくよく考えたら自分達ってこの仕事辞められなくないですか?」
「俺は大丈夫だ。高卒認定されてるし」
「あ、ズルい」
「ズルくねぇよ! これでも受験頑張ってた受験生だったんだぞ!?」
「で、どこ行ったんですか?」
「……そ、そこそこの大学だ」
「あぁ……」
なんとなく察しがついてしまう。まぁ、そんなものも人それぞれだ。先輩に関しては、そんな大学に行くくらいならここにいた方が良かったのかもしれないけど。
そんなことを話していると、珈琲の良い香りが部屋に満ちてきた。先輩の顔もどこか安らかそうだ。ゲームから目線は一向に離れていないが。
「……俺なぁ、大学なんて別にどうでもよかったんだ」
ゲームから目線を離さずに、先輩は話を続けた。俺は珈琲の出来上がりを見ながらその話を聞き続ける。
「高校は進学校だった。まぁ、偏差値そこそこで家から近かったってのが理由だった。そんで、やりたいこともないまま三年になって、成りたいことも思いつかなくて。だから仕方なくって言っちゃあれだけど……大学には行っておこうってなったわけだ」
「子供の頃の夢とかなかったんですか?」
「戦隊ヒーローになるのが夢だった」
「色は?」
「ブラック」
「途中参加で手助けだけしてどこかに行く人じゃないですか……」
二人の口から笑いが零れた。しかし、夢か……。生憎、俺には夢なんてものは存在しない。見る夢ならともなく、成りたい理想なんてものがない。
……為りたい幻想ならあるけれどね。夢の中で見たような、誰かを助ける勇者様って感じ。もっとも、そんなもんになれるんだとは思っちゃいない。現実はいつだって俺に対して残酷なのだから。
「成りたい理想がなきゃ、人は頑張れない。勉強にも身が入らなくて、大学に入っても特に気力は起きなかった。そんな所にオリジンからのお誘いだ。正直、渡りに船だったわけだ」
「怖いとか思わなかったんですか?」
「そりゃ思ったさ。けど……どうにも、俺にはペンを持つより銃を持ってる方が性に合うらしい。給料も高くて、誘い文句も中々魅力的だった。心のどこかで、誰かを助けられるヒーローになれるかも、なんて思ってた可能性もある」
「……同じようなものですよ、俺も。何に成りたいかなんて、まったく思いつきません。毎日を惰性の如く過ごしてましたよ」
そう言って出来上がった珈琲の片方にミルクを入れて、砂糖を小さじで一杯とちょっと、そしてガムシロを二つ入れる。マグカップ二つを持って、先輩の座っている椅子の前にある大きな机に置いた。ちょうどゲームが終わったのか、先輩はお礼を言ってからそれを飲み始める。
生憎と熱いものがすぐには飲めない。ゆっくりと冷ましながら飲み始めた。甘みと、仄かな酸味が心地よい。先輩の方も、満足しているようだった。
「……甘いのも、程々にしておけよ。人生苦いものばかりだ。こうやって、苦いものに慣れておくのも手だぞ?」
先輩がニヤリとカフェオレを飲んでいる俺を笑った。それに対して俺も、口端を少しだけ上げて笑い返す。
「違いますよ、ソレは。人生苦ばかりだから、甘いものを摂取するんです」
「ブラック飲めないガキの負け惜しみにしか聞こえんなぁ……」
「ガキはどっちですか。歳一つしか離れてないのに、昼間っからゲーム三昧の人に言われたくもないですよ」
「お、やるのか? 喧嘩なら買うぜ?」
「上等ですよ」
そう言ってお互い立ち上がり、棚に入っている棒状のものを取り出して、しっかりと握った。先輩の方はどうやら、ヌンチャクのようだ。
「……負けませんよ?」
「フンッ、前は負けたが……ありゃ本気の10分の1しか出してない。本気はこれからだ」
真っ暗だった画面に光が点った。画面に浮かび上がるのは……数々のヒロインとスマッシュシスターズというタイトルロゴ。互いにweリモコン片手に不敵に笑った。
「勝ったらジュース1本な」
「それなら自分が勝ったら先輩はデスソースですね」
「待て、俺の被害が大きすぎるッ!?」
そんなことは知らないとばかりに、俺はスタートボタンを押してゲームをプレイし始めた。
気づけば夜飯の時間まで二人でゲームを楽しんでいた。先輩はどうやら前回は本当に本気じゃなかったようで……ゴリラにダンクされて呆気なく負けてしまった。飲み物を奢ってあげた時のドヤ顔が無性にイラッときて、飯に少量のデスソースを混ぜたけど、俺は悪くない。
To be continued……
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