野良犬

「昨日、警察サツが来たよ」

「あんたんに?」

「ああ。なんか見回りしてて……真美まみの事は喋ってないよ」

「……そ」

 みなみ真美は、冷めた声でそう応え、バックパックを掴みあげた。

「行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 私がスマホから顔を上げる頃には、真美の姿は風のように消えていた。


 私が仕事場にしているこの改造貸倉庫に、血まみれの女が転がり込んできたのは去年の晩夏。救急車を呼ぼうとする私を鬼の形相で制し、それでも助けてくれるなら、と闇医者のところまで車で送るよう指示された。私は言われたとおりにし、そこから紆余曲折を経なくても真美との奇妙な共同生活が始まった。

 私の仕事はクライアントとのやり取りが発生すること自体が稀な、日がな1日スマホを弄っていても問題ないという頽廃した職種だが、その分悪目立ちすることがない。私は個人事業主として、彼女を派遣社員扱いで登録、雇い入れた。もちろん偽名でだ。

 真美は非合法アンダーグラウンドを生きてきた女のようだが、そういう人種に私の職場は丁度隠れ蓑として機能した。一度、真美にどうしてそこまでしてくれるのか? と質問されたことがあるが、別段深い理由もない。ただデスクにふんぞり返ってスマホを見ているだけ、ってよりは面白そうだと思ったから。乗りかかった舟だし、降りるつもりもない。

 そして、私とてあまりな過去の持ち主ではない。真美は私のことを真っ当カタギだと思っていて、私にを担がせている負い目を感じているようだが、私が話していないだけで、とやかく言える立場ではない。


 真美は警察に追われているらしい。といっても指名手配とか逃走中とかではなく、あくまで事件の参考人として、だ。ゆえに捜査の手は比較的緩く、それでいて真美は今日もどこかへ出かけては汚れにまみれて戻ってくる。時には生傷をこさえていることも……まるで懐いた野良犬みたいだ、と思っているのは最近のこと。



 その日も夜半に真美は戻ってきた。かなり疲れた様子で、腕には血の染みた包帯を巻いていた。私が手当てしようとすると、いい、とはね除けてソファに倒れ込んでしまった。

 私はウォッカの栓を開け、ロックで少し呷ってから、眠っている真美に近づく。

「起きて。手当てする」

「…………いいよ」

「駄目だよ」

 無理矢理起こし、包帯を剥がす。広範囲に裂傷、出血……しかし傷自体は深くない脱脂綿をウォッカで濡らし、患部に当てる。真美は悲鳴をあげた。

「……鬼!」

「我慢しな」

 暴れる真美を抑えつつ、私は新品の包帯を解いていく。

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