怒号

「いい加減にしてよっ!」

 喫茶店で原稿をやっていると、斜め後ろあたりからそこそこ大きな声量の罵声が飛んできたので、私は思わず振り向いた。他の客も振り向いた。

「何年待ったと思ってるの!? いまさら納得できるわけないでしょっ!!」

 ドラマの撮影かと見紛うくらい、声のはっきりと通る女性だった。テーブルをついて立ち上がり、目の前に座った男を睨めつけている。カップルの別れ話か。いけないとは思いつつ、ついつい耳をそばだててしまう。が、立ち上がったところで落ち着いたのか彼女は再び席に着き、周りの雑音ノイズにかき消される程度の音量に抑えて会話を再開する。

 気づけば私以外、その崩壊寸前カップルを眺める人間もいなくなっていた。私も腰を据え直し、タブレットと向かい合う。


 ……それにしても。

(プロット上では、このあと主人公が浮気されるんだよな……)

 ぱらぱらと手帳を捲る。走り書きだが、確かにその旨が……物語中盤、彼氏の横暴に心を痛めた主人公が友人に相談。しかし、その友人が実は彼の浮気相手で……というドロドロ展開。状況は違うが、この後別れ話を……という流れ自体は、さっきのカップルとよく似ている。

になる? いやでもなぁ……)

 タブレットを弄る手を止めながら、私は思案する。私には恋愛経験はあっても別れた経験はない。そういうのを想像で書くのが作家の腕の見せ所だが、やっぱりナマの体験には代えがたい魅力がある。だからといって、彼女に直接話を聞きに行ったりしたら公序良俗モラルを疑われそうだ。そもそも彼女はかなりナイーブになっているようだし……すすり泣きのような声すら聞こえてくる。

 ――やめておこう。気の毒だ。私は適当に原稿を進めながら、時間まで待った。編集さんと会う約束をしている。



「良かったです。思い留まってくれて」

 編集さんと合流して、さっきの喫茶店での顛末を話すと、溜め息と共にそう言われた。

「もし訊いてたりなんかしたら、あなたの担当を降ろしてもらうところでした」

「ちょっ…そこまで?」

「そ・こ・ま・で、です。あなたはクリーンなイメージで売ってるんですから、何かあったら作家人生の危機です」

 彼女は厳しい口調で言い切った。

「あはは……ごめんなさい。思っただけです」

「まったく……作品作りに熱心なのは結構ですが、は踏み違えないようにしてくださいね? でないと……」

 その先は彼女の口からは聞けなかった。頬を染めて、そっぽを向いてしまったから。

「な~に~?」

「なんでもないっ!」

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