サバイバー

 用水路に突っ込んだ自転車の後輪が、かろうじて見える。

 晩夏。私の意識は混濁していた。


 いつものように、友人たちとプールに遊びに行って、帰りに流行歌を大声で歌いながら道路をかっ飛ばしていたら……そうだ、トラックが来たんだ……思わずハンドルを切って……ガードレールにでもぶつかれば良かったんだけど、そうはならずにダイブした。

 結構スピードが出ていたように思う。わたしは頭を打って気を失った。それも随分と長いこと……ぐわーん、ぐわーんと、何かに揺さぶられているような衝撃は徐々に治まって、でも痛くて、身体のどこが悲鳴をあげているのかすらわからないくらい痛くて……。


 ようやく脳に酸素が戻ってきて、周囲のことに考えが及ぶようになる。しかし、妙だ。腕が動かない。というより、動かそうとすると激痛が走る。

 イヤな予感がする。まだズキズキと痛む頭をゆっくりと右へ振って、私はそこでおぞましいものを目にしてしまった。

 皮膚が裂け、血が滲み、骨が覗いていた。自分のそれとも思えないほどの赤紫が、ぐしゃぐしゃの右腕を蹂躙していた。

 ――やばい。これ、死ぬんじゃ?

 そう思うと血の気が引いて、でもまだ死にたくなくて。どうにか上体を起こそうと試みる。脚……にも無数の擦過痕、けれど、腕のそれよりははるかにマシで……ああ、けど、痛い。背中は濡れていてぬるぬるして気持ち悪い。用水路に落ちたんだから当然か……。蓋の隙間から空が見えて、お誂え向きに曇天だった。

「……死ぬのは、やだなあ」

 ぽつりと呟く。しかし身体は動かない。右腕が腐っていくような錯覚を覚える。

「誰か……いませんか……」

 ひしゃげた自転車がカラカラ回って音を立てる。前輪に藻が絡んでいた。

「誰か――」

 蚊の鳴くような細い声が、溝からも出ずに吸い込まれいていく。全身がじくじくと痛い。痛みと情けないのと絶望で、涙が零れそうになる。

 ああ、痛い、痛い、痛い。汚いし、もう腕なんか使い物にならないんじゃないか。脚もきっと折れてる……頭は? わからない。ひょっとしたら……。


 空を仰ぐ。心臓だけが高鳴って、頭が痛くて、末端が冷え切っていく――。



「おい! こっちだ!」

 ふと、声が聞こえた。

「ここの……用水路の!」

 男の人が、憔悴しきった顔つきでわたしを覗き込んできた。

「俺のトラックを避けようとして……早く! 急がないと死んじまう‼」

 地元の消防団だった。大丈夫か、と口々に声をかけながら、ロープや梯子を降ろしてくる。

 わたしはゆっくりと頬を緩めた。

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