変化、停滞、あるいは進歩

「これください」

「はい。890円になりま――」

 その瞬間、時が止まった。

 ロマンチックな感じではなく、どちらかといえば背筋が凍るというか、時よりも心臓が止まるというか、そういう不穏さを孕んだ止ま

 り方だったが――。



「なんでいるの」

「なんでも何も、この辺に住んでるからよ。あんたは」

「……出張でこの近くに」

 借りたアパートから近い範囲に、良さげなお店があったから、開拓ついでに出向いただけだ。まさかそこで元カノに再会するとは。

 元カノ…とはいっても、今こうして二人並んで近場をぶらついているくらいなので、関係はそこまで最悪じゃない。尤も、それはあたしの意見であって、彼女の言い分はまた異なってくるのかもしれないが。

 燃えるような恋……命がけの恋、というのは、終わってみればなんともばかばかしく思えるもので。あたしたちは確かに、当時そう思っていた。しかし恋わずらいの字の通り、一時の燃え上がる感情に病気に浮かされているだけなのではないか…というのがあたしの持論だ。

「世の中狭いね」

「ほんとだよ」

 ここでもう一度付き合ってみる? なんて流れにはならない。互いに距離感を掴みそこねていた時期に、彼女から他に好きな人ができた、と言われたから。別れたのはその時点で、以降連絡を取り合うこともなかった。

 もし彼女がその人と別れていたとしても、あたしにはヨリを戻すつもりはなかった。付き合ってるときは散々繋いでいた手も、今はある程度の距離を保っていた。


「ねぇ」

 彼女が口を開く。

「お腹空かない?」

 家に帰ればレトルトの牛丼があるが、零細メーカーのやつで正直美味しくない。あたしは二つ返事で乗った。

「言っとくけど奢らないわよ」

「わかってますって」


 梅雨明けも近くなって、歩いているだけで汗ばむような時候……とりあえず、手近なファストフード店に入る。

「……」

「……」

 無言でハンバーガーにかぶりつく。会話はなかった。停滞にも似た沈黙は、何故か異様なほど心地が良かった。だからメンチカツバーガーを食べ終わった彼女が口を開いたとき、あたしは内心ゾクッとした。

「私たちさ、に戻らない?」

「……え?」

 意外な提案だった。ヨリを戻す気はなかったが、それでもなんとなく、再会を再会だけで終わらせたくないという思いを、彼女もまた抱いていたみたいだった。

「…割り切れるんだったら、だけど」

「……うん。私は大丈夫」

 彼女にしては珍しく、言いきる。あたしはそれを信じて、微笑みを返してみせた。

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