Without
昼間の最高気温は25度を記録したというのに、夜が更けた途端、凍りつかんばかりの寒気が肌を刺した。
私はウィンドブレーカーの襟に顔を埋めるようにして通りを歩いていた。寒いのは生まれついての不得手だ。この後でさらに、暖房もろくに効かない車のハンドルを握って帰らなければならない。
(……スーパー寄って、日本酒買って帰ろ)
前はあまり呑まなかったけれど、このところ呷るようになった……量は呑まないよう気をつけているが、それでもこういう日に熱燗をやるのはやめられない。
車に乗り込み、エンジンをかける。暖気が必要なほどに古い車種だ。日本の街中で転がすにはあまりにも不向きで、かといって捨てる気にはなれない。
(そろそろいいかな)
水温計を見て、クラッチを繋ぐ。車は軋みをあげて動き出した。
今や懐かしいハロゲンライトが夜道を照らす。
スーパーマーケットに着く。客はまばらだ。適当に赤札のついた総菜やパンなんかをカゴに放り込んで、レジに持っていく……ところで、日本酒を買い忘れたことに気づいた。一旦店内を迂回して赤地に白丸の描かれた紙パックを手に取る。2リットルサイズなら、一人暮らしに丁度良い。
「はぁ」
運転席に戻ると、覚えず息が漏れた。
仕事が多い。忙しいうえ、上司との軋轢が激しい。交通費は出るので、電車に切り替えようかとも思ったくらいだ。それでも車に乗り続けるのは……。
「別れるって……」
「…息苦しいんだよね。
彼女は困ったような笑顔で、私に言葉を突き立てた。でも、生半可な覚悟でそれを口にしたわけじゃないということはわかった。笑顔はすぐに消えて、代わりに涙がこぼれ始めた。
「ごめん」
車は、その子が好きだと言ってくれたものだった。貯蓄に余裕があった頃、デザインが気に入って買った。古くてガソリン臭くて、夏場の坂道でオーバーヒートするような有様だったけれど、彼女は好きだとそう言った。一緒に乗って走るのも、他愛もない話で笑うのも、ラジオから流れる曲を一緒に口ずさむのも。
時折、助手席に彼女の残滓を感じる。あの頃の匂いを孕んだ風が、吹き抜けていくような、そんな気がする。
私はきっと……何があってもこの車を手放せない。そう思うと、見上げた赤信号が滲んだ。
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