葛藤

 手書きだから人の温かみがこもっている。

 果たして、そんなに単純な話がありうるのだろうか。確かにこうしてスマートフォンをフリック入力したりあるいはキーボードを叩いたりする行為に温かみはなさそうだ。機械に頼っている、というのは、どうしたって無機質な印象を与える。

 じゃあペンなら…手書きならその「冷たい印象」とやらは拭えるのだろうか? 私はそうは思わない。たとえば数年ぶりに会う旧友に対して、態々下手くそな字で手紙をしたためれば、その仲はおそらく一気に冷え込んでしまう。その点予測変換に頼れば、綺麗なゴシック体ないしは明朝体がコンマ一秒で出力されるのだ。貰って嬉しいのはどちらか。やろうと思えば丁寧に手書きをすることもできるだろうが、手間に見合ったクオリティになる保証はない。

 手書き至上主義を否定する気はないが、手間をかけた分だけ想いが伝わるのだとしたら、それは簡単でよろしおすなぁ、という気持ちになってしまう。温かみがあるかどうかなんてのは結局、人の主観に拠るものだ。私は、私の友人がそういったせせこましい価値観に汚染されていないことを祈りつつ、書き終えたメールを送信した。


「久しぶりー!」

「ひっさしぶり〜! いやぁ、ホント久々だよ…元気してた?」

「おかげさまで。そっちは?」

「ボチボチかな。昨年末の一斉リストラにもひっかからなかったし」

「え。それ地味にヤバくね?」

 友との再会、しばし久濶を叙する……というやつだ。あの頃と同じ調子で話し、同じようなスタイルの冗談を飛ばし合える。何もかもが変わっていなくて安心した。


「あ、そうだ」

 歩きながらの雑談中、急に友人は立ち止まった。

「メール。ありがとね、こっちから何か送ろうかと思ってたんだけどさ。送ってくれてよかったよ」

「どういたしまして」

 一瞬、こういうときには手書きが……なんて話題が飛び出してこないかヒヤリとしたが、彼女はそんなことは言わなかった。私はほっとした。


 重ね重ね言うが、私に手書きを否定する意図はない。ただ就活をやっていたとき、インターネットで見た「ウェブサイトでエントリーシートを受け付けている会社にも重ねて紙の履歴書を送れ。でなければ失礼にあたる」という文言が脳裏にこびりついているだけだ。実際そんなことはなかったのだが、いわば呪いのようなものなのかも……ずっと蔓延り、残り続ける類の。


「今度、また連絡するね!」

 別れ際、友人は言った。彼女はいかなる手段で連絡を取るつもりだろうか。

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