バックヤード・ラプソディ

「お客様、どうされましたか?」

 スマイルを貼り付けて、できる限りにこやかな応対を心がける。もちろんその程度のことで客が機嫌を直すことはない。ただ、傾向はわかる……ただのクレーマーなのか、あくまでこちらの落ち度なのか、といったこと。

「どうしたもこうしたもねえよ。前にこの店員さんに応対してもらったんだけどよ、俺が頼んでおいた筈のセーターがないってんだからよ…」

「申し訳ございませんっ」

「だから、謝ったってしょうがないだろ! 現物がなきゃ……」

 新入りのめぐみは頭を下げたまま、今にも泣き出しそうだった。

「申し訳ございません。篠原しのはらはうちの新人でして、お客様からのご注文お取り次ぎに少々不慣れなところがございます。ひとえに我々の新人教育が徹底されていなかった結果であり…………」

 マニュアル通りの言葉。わたしが新米だった頃、こうやってわたしの隣で一緒に頭を下げてくれた先輩がいた…彼女のやり方、口調、客を宥めるときの言い回しをよく覚えている。それはつまりわたしがよく、ということだが…。


「……わかった。店頭よりもインターネットで注文した方が確実だってんだな?」

「はい。お手数をおかけして申し訳ございません。方法は先ほど……」

「ああ、いい。息子に訊くから…それより、怒鳴ったりして済まなかったな」

 客はそう言うと、ばつが悪そうに去って行った。総じて言えば惠の落ち度だったが、彼女は客が去るまで肩を震わせていたから、余程堪えたのだろう。あまり追及するのはよそう…と彼女の肩を抱いてバックヤードまで引っ込んだところで、彼女は嘘のように泣き止んで、あーうっとうしかった、とへらへらした笑顔さえ浮かべ始めた。

 怒るのも忘れて絶句していると、惠は笑顔のまま信じられないことを言い始めた。

「センパイ、庇ってくれてありがとーございまぁす。実はさっきの人の発注ミス、あたしワザとやったんですよねぇ」

「なっ……」

「だってあの人、こないだ閉店時間ギリギリに来て店内回って、挙げ句在庫はないのかだの注文しろだの何様? ってカンジ。だからあたし無視したんです。発注リストに線をびびーっ、て――センパイ? 聞いてます?」

 話を聞く限りでは、さっきの客に悪いところは存在しない。それどころか……。

 惠は、じゃああたしお先に~、とばかりに制服を脱ぎ始めた。


 わたしはめまいを覚えた。わたしだってあんまり真面目な方じゃない。けれど、こう、越えてはいけない一線、というものがあるのではないだろうか。


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