迷い猫、啼いて

 数日来降り続いた雨は明日こそ上がると、気象予報士たちはこぞって宣言した。雨滴のリズムは嫌いじゃないが、いつまでも屋内で洗濯物を干すわけにもいかないだろう。私は窓の外を眺めながら、ゆっくりと紫煙を吐き出した。

「…明日、出て行きなよ」

「……」

「児相じゃないからね、うちは…」

 答えはない。




 数日前、歌舞伎かぶきちょうで出会った少女。行くあてもないと言うので拾った。都内のどこかの高校の、あちこちほつれたセーラー服を着ていて、決して幸福とはいえなさそうな家庭環境を思わせた。上背も小さい。服を脱がせ、身体を洗ってやって、とりあえず私のお古を着せた。彼女の身体には、目立ちにくい場所にいくつかの痣が見受けられた。そういうパターンか、と私は内心で溜め息を吐いた。

 食事と寝床を用意した。髪が無造作に伸びていたので、美容室に連れて行った。肌荒れはひどく、何かの食品アレルギーがあってはいけないからと、医者にも診てもらった。とりあえず私のできる範囲で、かつ主観で、この子が享受すべきだったと思うものを与えてあげた。


「…どうして」

「?」

 ふとフォークを動かす手を止めて、彼女は口を開いた。

「どうして、やさしくしてくれるの?」

 自信もなく、こちらを窺うような怯えた口調で、少女は言う。見た目よりずっと幼く、舌っ足らずな喋り方で。ずっと中学生くらいだと思っていたが、ひょっとしてセーラー服はその辺にあった適当なでしかなかったのかもしれない。

「……なんでかな」

 私は家出をして、バイトの掛け持ちで生活している。それを苦とは思わないが、まぁ、息が詰まるような気分に襲われることはある。そんな中で少女を拾うのは、よほどのお人好しか慈善団体ボランティア…そう思うのが当然かもしれない。残念ながらそうじゃあないけど、これがやさしさなんだと言われるのは些か照れ臭い。

「趣味なんだ」

「そんな趣味があるの?」

「……ないとは言い切れないね。例えば……」

 すっ、と顔を覗き込む。少女が一瞬、びくりと震える。胸を刺す痛みは良心の悲鳴か。

「綺麗」

「……わたしが?」

 きょとんとして、彼女は言う。栗色の髪、鳶色の大きな、やわらかそうな唇。バランスよく配置されていて……。



(雨が上がるまでだよ。それ以上は……)

(わかってる)

 数日前の記憶が甦ってくる。結局は無理だった。

 少女の視線は哀しく、熱い。都会の片隅で、ここで下せる決断は一つだ。

「次の雨まで、いていいよ、やっぱり」

 濡れた声が、ありがとう、と小さく発した。

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