銀の使者、あるいは記憶

 飛行場が近いのか、轟音とともに舞い降りる飛行機は種別がわかるくらいの低空を飛んでいく。ここはそういう町だった。銀色の翼が光を受けて反射する、空と陸を結ぶ使者の立ち寄る地……なんて言ったら、少しロマンチックが過ぎるだろうか。


 あの人が「使者」の背に乗って日本を去ったのは、数年前の晩春……ちょうど今頃だった。だから私は飛行機が嫌い…というほどでもないのかもしれないが、とにかく、あの人を奪ったもの、というイメージがついていなかったといえば嘘になる。空を見上げ、飛行機の胴体が迫り来る度、あの人を幻に透かしていた。

 パリに行ったという。あの人は料理人を目指していたから、それ自体は変ではない。問題があるとすれば、日本での縁を全部断とうとしたこと。詳しい住所くらい教えてと縋る私に首を振った――恋人も友だちもいらないの、ついて来てもあなたをきっと不幸せにしてしまう。私は言葉を返せなかった。

 捨てられたとは、私は思わなかった。再会を考えるほど子どもではなかったが、新しい恋人を作るほどにも割り切れなかった。初恋だったし、未練がましく引きずるのがお似合いだと思ったのだ。それに、あの人との思い出を汚したくなかった。操を立てられるかどうかははっきり言って私の意志の強さ次第だったけれど、それでもよかった。



 友人と訪れたレストランで、値段がリーズナブルと評判のフランス料理を頼む。あの人が脳裏を掠めることも、今では減った。彼女の噂を聞くことはない。インターネットで名前を検索しても、日本語のページが出てくることもなかった。

 それでいい。思い出とは、記憶とは、二度と来ない「初恋」とは、そういうことだ。そういうものにしておかなければならない。

「お待たせしました」

 運ばれてきた料理は、オーソドックスな魚料理ポワソンで、見た目はこじんまりとしていて美味しそうだった。

「わ~っ、かわいい!」

「この緑のソース、何だろう…」

「写真撮っていいかな⁉」

 口々にそう言って、友人たちは皿の撮影を始めた。

 私はそれを、特に何の感慨もなく、見つめていた。それが奇妙に映ったのか、友人のうちの一人が声をかけてくる。

しょう、大丈夫? ぼーっとしてるけど」

「え? ああ、うん……」

 そんなつもりはなかったのだが。久しぶりに遠出してランチを食べるというのに、辛気臭い顔はしていられない……。


 店を出ると、青空を裂くような飛行機雲と遭遇した。

 フランスに、有名な航空会社があったことを、ふと、思い出した。

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