快眠業者 ⅩⅪ
「荷物を!?」
「ええ」
最初に聞かされたときは驚いた。自分の家を捨てろというのだ。正確には家を捨てる必要はなくとも、少なくとも元の生活には戻れないということ。多少の覚悟が必要だったが、加奈は受け入れた。
「…次はどうすれば?」
「共同生活ですから、互いのプライバシーを侵害しないように気をつけて。それと、メンバーは交代が激しいですから、詮索などしないように」
「それなら大丈夫です、日本語しか話せないので…」
「そう。まぁ、その辺りの『常識』は心得ておいででしょうから細かくは言いません」
快眠請負人は、常識、という部分にとりわけ意味深な響きを込めて、言った。
「それともう一つ!」
「……なんでしょう」
「警察に見つからないように」
「……え?」
「今はご説明できません。いずれわかるかと。食事等はこちらで手配します」
「……」
「……長瀬さん?」
「……いえ」
決めたことだろう、地獄の果てまでついていくと。今更法の下に潔白でないという程度のことがどうしたというのか。
加奈はぴしゃりと頬を引っ叩いた。快眠請負人は少しだけ目を丸くしたが、すぐに元のクールな表情に戻った。
奇妙な共同生活だった。快眠請負人の言った通り、人々が入れ替わり立ち替わり現れては去っていく。顔を覚える気にもなれないくらい、頻繁に。彼らがあげる奇声には、当初こそびっくりしたが、すぐに慣れた。完全な非日常言語ではなく、時折意味を理解できる日本語も混ざるのは恐ろしいことこの上なかったが、やはり慣れだった。
加奈は家事を担当した。誰に命じられたわけでもなかった。ただ、秩序もなく混沌としていた…たとえば吸引後の注射器なんかが無造作に転がっているのは、彼女にとって耐えがたいことだったので、掃除した。
そういったことだ。この混沌のなかにあっても、人間性だけは失うまいという矜持だった。
さて、加奈が気がかりなのは快眠請負人の秘密だ。いかなるメカニズムで……いや、それはもうわかっている。精神干渉、あるいはそれに類するモノ。今は……多分、快眠請負人そのものに、その人に関心がある。認めざるを得まい、加奈は、快眠請負人に執着を…それも些か病的なそれを持っている。そこには畏敬、感謝、愛、ことによると憎しみ。一言で言い表せない、巨大で複雑な感情の螺旋だった。
そのことを、
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