都会の幕間

 霧吹きみたいな雨だった。街全体をしっとりと濡らすような……夜景も相俟って、たとえば恋人なんかと一緒にいるととても盛り上がりそうな雰囲気なのだが、目の前の男とわたしはそういう関係にはなりそうもなかったし、なるつもりもなかった。

「――では」

 男はにこやかで紳士的で歳若く、普通ならたいそう女性にモテそうなビジュアルをしていたが、しかしそれ以上に慇懃無礼で横柄。物腰は柔らかくても、性格がドブ水のように最低なのだ。

「しめて65万3500円。確かにお預かりいたします」

 高層ビルのレストラン。といってもチェーン店で、見かけほど値は張らない。そして男の奢りだ……要するにケチなのだ。今だってこうして、わざわざ新卒二年目のわたしを呼びつけて借金を返させている。

「…じゃあ、もう帰るから。お世話になりました」

「ああぁ、ちょっと待って」

 男は席を立とうとするわたしを引き止めた。何、と苛立ちを隠せずに乱暴に座り直すと、男は眼鏡のブリッジを押し上げて、ものは相談なんですがね、と一枚のA4サイズの紙を取り出した。契約書、とある。

「……新しい借金のプラン?」

「ご明察」

 男はパチンと指を鳴らす。殺すぞ。

「このローンならお客様のご負担は従来の4割程度に軽減されます。なにせ金利が0.5%、しかも限度額が設定されます! ってああ待って! 行かないで⁉」

「いや…さようなら、普通にこれ以上借金抱えるつもりないですから」

 ぺこりと頭を下げる。二度とこんなやつの言うことなんて聞いてやるものか。というか、もう会わない。アドレスからも削除してやる。わたしは店を後にした。


 ところがエレベーターで地上階に着くと、男が待ち構えていた。どんな魔法トリックを使いやがったんだ⁉

「あんっ……マジでしつこいですね」

「エヘヘへ、我々はしつこく食い下がるのだけが取り柄ですから。でもそうです? このプランなら10年単位での借り入れが可能です、ほらこれ見てくださいよそとの比較なんですがね……」

 このままでは延々とセールストークが続きそうだ。わたしは逃げるようにして流しのタクシーを捕まえて飛び乗った。


 夜景を眺めながら嘆息する。上京してくる前にお母さんが言ってたとおりだ。都会はわたしを食い物にしようとする危険で溢れている。そして、時にはそういうものに頼りながら生きていかなければならないことも、たぶんある。

(そうは……なってほしくないなぁ)

 あの男とは縁が切れた、筈だ。ばったり出くわさないことだけを祈ろう……。

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