フェンスの向こう
(私、何してるんだろう)
マンションの非常階段を昇りながら、
屋上に人影を発見した。フェンスを乗り越えていた。買い出しを終えて帰ろうとしていたところだった。気づけば足が勝手に動いていた。エレベーターは工事中だった。
(おねがい、まだ、まだ早まらないで…!)
頭がくらくらする。心臓が痛くて、口から飛び出しそうだ。吐き気がする、あちこちが痛い。
息も絶え絶えに、8階建ての7階まで来た。瞬間、目の前を影が落ちていった。
「………………ぁ」
間に合わなかった。その現実だけが麻美を貫いた。
「いやああああぁぁぁぁぁっ!!!」
慟哭は後になってから響き渡った。
後を追おうか。いやでも、もしかしたら生きてるかもしれないし。ふらつく身体を律して、今上がってきたばかりの階段を下りる。途中で気分が悪くなって吐いた。住民に心の中で謝って、吐瀉物の糸を引きながら階段を下りていく。
「……あれ」
位置からいって、あるとすればこの駐車場の筈なのに、何もない。
(そんな)
あの人は……屋上から飛び降りたはずの人影は、どこに?
マンションの敷地を一周する。いない。そういえば、音も聞こえなかった。
(……消えた?)
人ではなかった、ということなのだろうか。麻美はそんなに視力が良くない。でも、あれが人影でないとしたら、一体何だというのだろう?
警察が来た。救急車が来た。屋上の人影は、麻美以外にも目撃者があった。屋上に下足痕も見つかった。数日後に捜索願も出た。フェンスを乗り越えたときについた指紋が、捜索対象の少女と一致した。
なのに何もわからなかった。生きているのか死んでいるのかすらわからずじまいだった。
ひと月経った。麻美は再びマンションの前を通りがかった。あの一件以来入居者が激減したと、風の噂で聞いた。
エレベーターは復旧していた。それで屋上まで上がる。フェンスには有刺鉄線が巻かれていた。
そして、その向こう側。少女がいた。あのときと同じ格好で。
驚く麻美の口から出たのは、しかし意外な言葉だった。
「ここにいたんだ」
まるで口が勝手に言葉を紡いだかのように。不思議だった。あのときの少女が、ここにいることを、麻美は最初から知っていたかのようだった。
「うん」
少女は言う。あの日から時間が止まったみたいな、気怠げな、曖昧な調子で。
「久しぶり、お姉さん」
振り向いて笑う少女に、麻美は手を伸ばした。
――行かせてなるものか。
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