チキンレース

「チキンレースって、こういうことじゃないと思うのよね」

ほうひへどうして?」

「いや、だから……」

 細長いスティックパンをくわえる実樹みきは、きょとんとした顔で首をかしげる。わたしは溜め息を吐いた。度胸試しなんて言うからなんのことかと思ったら。ふつうこういうのはもっと細くて強度のある、たとえばチョコをコーティングした棒状のお菓子とかで行うものではないだろうか。こんなふにゃふにゃしたパンを使ったところで。そう指摘しても、実樹は心底不思議そうな表情を崩さない。

「やってみたかったから……」

 小学生か。だがおそらく彼女は純粋な好奇心しか抱いていない。

「…どうすればいい?」

 結局いつもわたしが折れる。大の字になってソファに寝転がり、実樹の為すがままとなるわけだ。


 実樹はわたしの口にスティックパンをねじ込んできた。そのまま双方から囓って、先に顔を逸らしたりした方の負け。とにかく先に逃避や自己防衛に走ったらアウト……というのが、チキンレースの基本的なルールなのだろう。詳しくは知らないけど。

「……」

 懸念通り、パンはすぐに水分を吸うし、すぐに折れて食べにくい。

「……んむぅ」

 しかし実樹はめげなかった。仕方なくわたしも付き合う。双方からパンを咀嚼していくと、口内にほのかなメープルの風味が広がる。このままいけば間違いなく唇が触れる。

「……うぁ」

「…うんっ……」

 実樹の肩が落ちてこないように、ゆっくりと片手で支えながら、わたしは自分の耳がかっと熱くなるのを感じた。

 実樹の顔が目の前にある。鼓動が早まる。落ち着け、何度だって見てきた筈の顔だろ。確かにちょっとばかり整っていて、小顔で、睫毛が長くて……かわいい、ってことは否定できないけど!

 パンはどんどん短くなっていく。顔が火照る。

「……」

「……!」

 最後のひとかけらを、実樹が食んだ。既に息のかかる距離だ。ここまできたら実樹の顔もさすがに真っ赤になっている。

「……こ、これ、は」

「……?」

「……私の負け…ってこと…?」

 そういえばチキンレースだったっけ。実樹は口をもごもごさせながら、そっとわたしの上からどいた。

「…もう一回、する?」

「えんりょしとく……」

 ……わたしたちは成長がない。進歩がない。一つ屋根の下で暮らして、勝手気ままに振る舞って、それでも、結局一線を踏み越えられない。この状況自体がチキンレースみたいなものだ。

「…実樹」

 だから彼女に声をかける。膠着状態では、がつかないから。

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