一期一会

「あの!」

 帰り支度をしていた高杉たかすぎあやは、突然かけられた声に振り返った。同僚のむらめぐみだった。新卒で、ひと回り近く歳が離れている、同部署の後輩。平均よりもかなり小さな身長とだぼだぼのスーツ、丸みを帯びたブチつきの眼鏡が、「こなれていない」感をありありと醸し出していた。

「ありがとう……ございました、その…ええっと、助けてもらっ…いただいて」

 言葉遣いすら覚束ないが、愛はひょこんと頭を下げた。なんのことだ、と一瞬頭を捻ったが、すぐに理解する。昼間の会議。たまたま隣に座っていた彩乃が、役員からの質問に答えられなかった愛に助け舟を出したのだ。具体的な内容は忘れた。勤続が5年を超えるような社員なら誰でも知っているようなことだった。

「別に…気にしないで、誰でも最初はそうだよ」

 苦笑いして、言う。少なくとも態度は真面目で、助けてくれた相手にしっかり頭を下げられる愛がどんな失敗やらかしをしようと、よく仮病で会社をサボっていた昔の彩乃よりはよほど誠実だろう。

「は…はい! 今後は再発防止に……」

「そ、そういうのはあたしじゃなくてさ、もっと上のポジションに人らに言えばいいんじゃないかな。あたしはあくまで……」

 助けてあげただけだし、と言いかけてこれは傲ってるかと思い直し、支えてあげた? も何か不自然だなと考えて。

「困ってる後輩、ほっとけなかっただけだし」

 めちゃくちゃカッコをつけてしまった。愛の視線が、気のせいかとてもキラキラしているように感じられる。そんな目で見られると罪悪感が湧く。愛の性格なら、10年働けば今の彩乃よりもはるか上の役職ポジションに就任できるだろう。

「……すごい」

「い…いやいや、あたしより対応上手い人いくらでもいるから」

 それじゃ、と足早に退社を試みる彩乃のジャケットの裾を、愛があの、という呼びかけとともに引っ張った。

「それでその……もしよろしければなんですが、この後、奢らせて……いただけませんか?」

「奢………」

 一瞬、揺らぐ。いやいやいや駄目だろう。申し出自体はありがたいがしかし、ひと回りも歳下に奢られるほど厚顔無恥な先輩ではない。

「…とんでもな」

「あっ…申し遅れましたが、わたしの実家、居酒屋経営してて。クーポン何枚かあるので、それを」

 えへへ、と愛は笑った。ああ……そういうことか、と安堵の溜め息を零した。

「じゃ……お言葉に甘えて。どの辺り?」

「ここからくだり電車で3駅の……」

 思わぬえにしだ。怪我の功名とはこのことか、と、後輩と肩を並べながら思う。

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