矢文

「あら」

 きくけいが夜中に手洗に立ったとき、縁側の廊下の柱に奇妙なものが突き刺さっているのを見つけた。

 よく見るとそれは矢であった。鏃の半分が柱の中に埋まっていて、はずのところにわら半紙が結ばれていた。圭子は開け放している庭の方を見た……が、常闇と虫の声が広がるばかり。この矢を射った人間など、到底見つけられなかった。

「……誰のしわざかしら」

 仕方なく圭子はわら半紙をほどき、中身を検めて、驚愕した。恋文であった。平安の昔、否、江戸くらいの頃であれば話もわかるが、今は昭和の25年である。このような古式ゆかしいやり方で思いを伝えようとは、一体どれほどの教養と……少しばかり危険と言わざるを得ないが……さらには、矢をこんなに細い柱に射かけるという技量。その両方に秀でた人物なのであろうか。


 両親は歳が離れすぎているので、お手伝いで歳も近いのさちに相談した。幸子は、厄介なことが起きればすぐお父様とお母様に相談するのですよ、と言い含めたうえで、言葉を次いだ。

「けれど、この辺りで弓を嗜まれている殿方、というのは心当たりがありませんわ。女性ならいらっしゃるのだけど」

「本当? なら、その方に教わったのかもしれないわね」

 女の弓手がいるというのは、圭子も噂で知っていた。わざわざ矢を射るために教えを乞うのは少々回りくどい気もするが、そういう趣向を凝らしたかったのだろう。圭子もそれなりに名のある家の娘だ。無碍にするわけにもいくまい。幸子に礼を言い、週末にその弓手と会う約束を取り付けた。


 相手から場所を指定されて、圭子は寺の境内に向かった。相手は丁度弓の練習をしていたところで、圭子に気づくと番えていた矢を下ろした。

「お初にお目にかかります。さかき朱雀すざくと申します」

 おかっぱに切り揃えた黒髪と、白いばかりの弓道着が眩しかった。顔は端整で彫りが深く、女性らしさの中に逞しさがあった。背もかなり高い。五尺七寸はあるとみていいだろう。

「菊池圭子と申します。あの……早速なのですが、この恋文」

 圭子は矢文を広げて見せた。瞬間、朱雀の顔面が、火でもついたように朱くなった。

「…えっ⁉」

「………」

 どういうことか。困惑していると、朱雀はばっ、と紙を引っ手繰った。そして、顔を押さえながらか細い声で告げる。

「……私です。この恋文は……前にお見かけした時分から、ずっと…圭子さんが、貴女が…気になっていたのです」

 圭子の驚きは、蒼天に抜けるような叫びとなって、境内にこだましたのであった。

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