辺境伯

 塔は城の南東に突き出していて、本殿からは歩いて25分もかかる、いわば城内に在りながらにして「辺鄙な」場所だった。

 地下の牢獄に敵国の捕虜を捕らえておく、というのは城におけるよくある発想のひとつだが、なるほど城内にそういう場所を作っておくのも有効策といえるだろう。それが行くだけでも骨の折れる尖塔ともなれば尚更だ。城には何人もの給仕がいるし、当然それなりの月給が貰えるから誰も文句を言いはしないのだが、冬の寒い朝などはその役目を仕る者に少し同情を覚える。


 さて、この尖塔。敵……といえど、基本的には条約上、丁重に扱うことが前提となる。25年ほど前のちょっとした内戦で、自ら捕虜に志願した反乱軍の元兵士が暮らしている。元より本気でレジスタンスになるつもりなどなく、血気盛んな若者たちによる愚行を止めるべく、自らの身をもって停戦とした。つまり、同じ国民であることに変わりはない。

「石鹸、お持ちいたしました」

 本を読んでいると、扉越しから侍女の声が聞こえた。兵士……ラディアは、そこに置いておいて、と気怠げに言い、侍女の足音が去ってから重いかんぬきを外した。

「…またこれかい。こんなばあさんに気を遣わなくたっていいって言ってるのに」

 ラディアは女兵士だった。歳は既に60近い。反乱軍を率いていたこともあったが、繰り返される争闘に無情と無意味を悟り、当時戦争を続けていた政府軍に対し単身、降伏した。

 運ばれてきたのは、身体を洗う専用の高級石鹸だった。若い娘たちの間で人気があり、どの店に行っても売り切れているような。

 ラディアは石鹸を脇に置いて、皺が深く刻まれた自分の指をまじまじと見つめた。女らしさとは程遠い、節くれ立った傷跡まみれの指だ。ここにどれほどお肌に良い効果のある石鹸泡をねじ込もうとも、今さら若さが戻るわけではないだろう。

「若さ、ね」

 らしくないことを考えてしまった。やめよう、とかぶりを振り、ラディアは再び、読みかけの本に目を落とした。


 自分が降伏すると言ったとき、逆上して襲いかかってきた奴のことを、ラディアは折に触れては思い出す。あいつはまだ若くて、当時の自分よりも若くて、それでも大義だけは立派な奴だった。どうしているだろうか。自分のことなど忘れて、伴侶を貰って静かに暮らしていてくれれば良いのだが。


 ここでの日々は穏やかだった。自ら望んで作った平和に、与えられたこの境遇に、彼女は充分、満足していた。

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