チョコレイト・ウォー Ⅵ

 美樹みきは走った。トイレに行くから、と言い訳を捨て残して逃げ出してから既に50分。蜜柑みかんがT-Edgeのファンだったのは運が良かったが、ここで逃げ帰ってはすべてが台無しになってしまう。

「蜜柑ー!」

 遠くからでもその姿はわかる。平日なのにブラウスと、制服とさほど変わらないチェックのスカートと。その上から黒いパーカーを羽織るだけで、バッチリ決まってしまう親友が羨ましい一方で、限りなく好きだった。

「美樹〜!」

 振り返った蜜柑は、脱力した、安堵の微笑みを浮かべた。

「もう、どこ行ってたの?」

「ごめんね……ちょっと用事あって。それより物販! 並ぶって言ってなかった?」

「あ…あぁ、そうだそうだ」

 ペンダントが欲しかったんだよね、と蜜柑は笑った。なんとか誤魔化せたらしい。


『みんなー! 今日は来てくれてありがとーーっ‼ 盛り上がってるかーーっ⁉』

 ヴォーカルの人が、大地ごと震わせるようなハスキーボイスでオーディエンスに向かって呼びかければ、うおおおお! と、地鳴りのような反応が返される。ヴォーカルは満足している……ようだ。立ち見なのでよく見えない。みんなよく立っていられるなぁ、そう思って隣を見ると、蜜柑も飛び跳ねていた。



「いや……」

「良かった……」

「ね………」

 圧巻だった。爆音、歓声、それに負けない歌声……これはとりこになるのもやむなしだ。

「カメラ入ってたよね?」

「じゃあ映像化されるのかな」

「買おうね」

「うん、絶対」

 確かめるように拳を突き合わせた。そして、どちらともなく笑った。


「……それでね」

「それでね!」

 ふたりの声が重なった。

「……あ」

「……蜜柑そっちから、どうぞ」

 蜜柑が、わたし? と自分を指差す。

「……美樹、ライブの前に体調悪そうだったから、大丈夫かなって」

「えっ…ず、ずっと気にして…?」

「ライブ中は忘れてたけどね」

「ほっ……」

 安心した。自分のせいで蜜柑がライブを楽しめなかったのだとしたら本末転倒だ。

「わたしは大丈夫。なんともないよ」

「そっか。なら良かった。で…美樹は何を言おうとしてたの?」

「わっ……たしは」

 ずっとカバンの中にチョコレートを隠していた。今? 今か? 今でいいのだろうか?

(少なくとも拒否、ってことはないんじゃないかな。友だちなんでしょ?)

 昨日、ベンチで泣いていたとき、通りすがりの女性にかけられた言葉を思い出す。

(だったら、向こうもあなたとの関係を破壊するのは望んでないんじゃないかな。きっと)

 ……よし。

「……美樹?」

「あのね、蜜柑」

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