女優

 女優、というのが自身を偽る職業かと問われれば、私はそうは思わない。

 自己表現の手段だとか、他人になりきってカッコよく喋ったり、踊ったりしてみせるだとか……もっともらしい理由はいくらでもあるが、単純にそうしたいからする、といったような、言語化は難しいけれど……彼女からは、そういう「空気」を感じた。


 その日菜実ひなみは、ごく平凡な女優であった。といっても罵詈雑言ではなく、ただ素人目に見ても光るところは感じられなかったというだけの話だ。さりとて芝居が下手というわけでもなく、ひとたび本番が始まれば、善良な主婦も血塗れのサイコパスも、思いのままに演じ分けてみせる。

 歳は今年で36になる。普通なら女優として脂が乗っている頃合いだが、出演本数は決して多くなく、名「脇役」としてお茶の間の人気をある程度は博していた。そして、その「ある程度」を逸脱することは決してなかった。


 ……どういう成り行きか、私はその美園とサシ飲みを行うことになった。原宿の小洒落たバーで、量を呑む私が気後れするような場所だったが、美園は笑っていた。

「大丈夫。呑兵衛でも迎え入れる、懐の広さがあるの」

 プライベートで見る美園は、同性の私から見ても充分に魅力的な女性だった。顔立ちは美人といっていいし、化粧が薄いせいか目はちょっと細いけれど笑顔は素敵で、プロポーションもまずくない。私がシナリオライターとしてこの業界に飛び込んだ頃、彼女は既に芸歴10年目で、たまに現場で姿を見ることはあっても、こうしてまじまじと見つめることになるのは初めてだ。

 カクテルをくゆらせながら、ムードたっぷりのカウンターでいろいろと訊いてみることにした。

「きっかけ…とか、差し支えなければ」

「きっかけねぇ……中学の頃にアイドルの追っかけやっててね。雑誌についてきたんだよ、今の事務所の応募ハガキが」

 ほんの軽い気持ちで自分の演技をテープで録って送ってみたら、なんと……美園はまた笑った。歯がきれいで、柔らかそうな頬をしていた。

「その頃は……ていうか今もか。モテたりします?」

「ぜーんぜん」

 美園はカクテルを呷った。こうしていると本当に、私たちは女優でも脚本家でもないみたいで。

「結婚考えた人はいたんだけど、いい噂聞かなくて」

「えっ⁉ 同業⁉」

「ふふ。秘密」

 内心ドキドキしていた。人の心の隙間に踏み込むっていうのはこういうことなんだ。そこに興奮していた筈だったけど。

「あ、あのっ」

 私は気づけば、連絡先を訊いていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る