女帝

「…………失礼します」

 ゆっくりと部屋の中に足を踏み入れる。信じられないほどの面積を持つ大広間だ。

 部屋の真ん中には、おとぎ話でしか見たことのないような、立派な天蓋のついたベッドが鎮座していた。使われている布一枚だけで、ゆうに一般人の年給くらいはありそうだ……わたしはがちがちに緊張しながら、事前に言われたとおりベッドの元まで歩みを進めた。

 ベッドなのだから、当然中に人がいる。ベッドなのだから、当然は決まっている。相手はこの国を治めるおさで、この国では一番偉い人で……まだ歳若い女の人だった。


 数週間前、王都から遠く離れた小さな村に暮らしていたわたしは、突然に王宮からの呼び出しを受けた。時の皇帝……女帝グレイラは、一度わたしの村を訪れたときにひと目見かけたわたしに惚れ込んでしまったらしい。

 まぁ、悪い気はしない。お呼び出しとあらばせめて失礼のないように。


 ……その筈だったのだが、いざここに立つと、心臓が口から飛び出しそうなくらい。


 ベッドには薄いヴェールがかかっていて、シルエットがぼんやりと浮かび上がっている。ベッドから少し離れたところで二の足を踏んでいると、その薄布の向こうから、来て、と、猫の甘えたようなグレイラ帝の声が届いた。

「…は、はい……!」

 ワンピースタイプの寝間着……夜伽用だ……だけじゃ寒かったかもしれない。だってこんなに身体が震えて、ああ、でもきっとこれはそのせいだけじゃなくて。

 ヴェールを捲る。そこで硬直した。はらり、と着物を落としたグレイラ帝が、前も隠さずにこちらを見つめていたから。


 物凄い美人で、とくに目元に施した化粧はぞっとするほど優雅で淫靡だ。絡め取るような視線がわたしを釘付けにする。血のように朱い紅が引かれた口元から、わずかばかり覗く白い歯が、言い表しようもないほど綺麗だった。その口元に這う指先は、ただ宝石のように白く、この世界の誰よりもしなやかで麗しい。

「ヒオナ」

 グレイラ帝がわたしの名を呼んだ。率直に言って、性的な本能を否応なしにくすぐるような色気があった。歳の頃はそう変わりないだろうに、どうしてこうもというのか。

 ここまで来れば考えても仕方がない。仕方がないのだが、頭の中はわたしがか? それともか? そのことで一杯だった。どちらにせよ、失礼は避けねばならない。

「……さぁ?」

 グレイラ帝はそれすらも見透かしたように、いたずらっぽく微笑んで両手を広げた。わたしは不可視の引力に吸い込まれ、堕ちた。

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