快眠業者 Ⅹ

 加奈かなは内部に足を踏み入れた。探偵のことなど忘れていた。

 部屋は四方に5メートルから6メートル、大理石のテーブルと革のソファ、イミテーションの暖炉、同じくイミテーションの剥製……床には毛足の深い絨毯。よくある洋間だ。この手の西洋式の建物にはある意味、似つかわしい調度といえるだろう。

 その片隅で、蝋燭の炎が揺れていた。これはイミテーションではないらしい。近づくとほのかに暖かい。

(……これは)

 消すべきか消すまいか迷ったが、意を決して加奈は炎に息を吹きつけた。何度かやっても消えなかったので、徐々に勢いをつけて……しかし結果は変わらなかった。。火は灯ったままだった。

(……これ、明らかに普通の火じゃない)

 快眠業者と関連があるかどうかはわからない。ただ、見た目普通の蝋燭の炎が消えない、というのは異常だ。

 見たところ、他に変な箇所は見当たらない。電灯は白熱電球、靄の正体はわからないが、それくらいだ。部屋に窓はなく、種類のわからない花が印刷された壁紙が四方を彩っていた。

(…………)

 盗むのは気が引ける。しかし加奈は、手ぶらで帰るつもりは毛頭なかった。

 蝋燭のそばにしゃがみ込む。そっと両手で掻き抱くように皿ごと、それを取った。何やらとてつもなく、悪いことをしているような気になった……実際しているのだが。


「探偵さん」

 2階の吹き抜けから呼びかける。探偵は不安そうにホールをうろついていたが、加奈の姿を認めると、心底安堵の溜め息を吐いた。

「よかった…………遅いんで心配しましたよ」

 一緒に来れば良かったじゃないですか、と言いかけて、彼に見張り役を頼んだことを思い出し、口をつぐんだ。

 階段を降りる。

「……それ、なんです?」

 探偵に訊かれた。「それ」とはもちろん、蝋燭のことだ。

「取ってきました」

 平然と言い放つ。盗んだわけではない、借りただけだ……言い訳しつつも、警察に見つかれば即アウトだろう。そうでなくとも人智を超えた厄モノだ。案の定探偵はのけぞった。

「……返してきましょうよぉ‼」

 探偵が100パーセント正しい。加奈は顔をしかめつつも、一晩だけですから、と、自分にも言い聞かせるような口調で宣言した。


 探偵に家まで送ってもらい、別れた。

 加奈はそれから家で、蝋燭の実験を行った。勇気はいったが、指を突っ込んでも焼けないかどうか。結論からいえば焼けなかった。火傷特有の、鋭い痛みは走るが、体表の皮膚組織に変化は見られなかったのだ。

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