PEN

「まだ眠らないの?」

 同居人の莉央りおが、お盆を片手に部屋へと入ってきた。呆れと心配がないまぜになったような声音で、私はそれを聞くたびに安堵する。

「うん、〆切近いし。ありがとう、差し入れ?」

「うん」

 後ろも見ずに会話した。筆がノッている。4P《ページ》かそこらの4コマ漫画だが、すべてを一人でやる。ネーム、ペン入れ、ベタ塗り、トーン入れ。おまけに最初の1ページはカラーだ。ここだけは他の友人を呼んで手伝ってもらおうと思っている。莉央はそういうのはあまり得意なほうではない。

 何年も何年も同じことをただ続けていた。何度も何度も出版社に持ち込んで、公募に出して、その度に駄目で、今の仕事はようやく掴んだチャンスだった。スマートフォンゲームの公式アンソロジー漫画。ゲームにハマるのはよくあることだが、SNSに2次創作の漫画を載せるくらいに好きだった。それが大手サークルさんの目に止まり、同人アンソロジーに参加させていただいて……気づけばここまで来た。


 時計の秒針。私が走らせる鉛筆、たまにペン。部屋に響く音はわずかだ。莉央が置いてくれたのは、お皿に乗ったおにぎり2つと厚焼き玉子、2本ばかりのウインナーだった。焙じ茶も添えられている。

 背後に気配がある。莉央がいてくれている。彼女の存在は私の力だ。

「ふあ……」

 しばらく手を動かしていると、莉央の欠伸が響いた。

「莉央……」

「あっ、ごめん私……邪魔なら出てくよ?」

 鈴を転がすような声。私はふっと頬を緩めた。

「大丈夫だよ。ここにいてほしかったの」

 莉央はきょとんとして、それからすぐに、にこっ、と笑った。



 国立大学を出ておいて、漫画家になりたいと宣言した私を、親は端的に見放した。絵自体は好きでよく描いていたし、巧拙は……自己判断ではともかく、少なくとも友だちは認めてくれた。ただ両親は、私の絵柄を漫画向きではない、と断じた。

 事実だったのだろう。会社を辞めてまでペンを握った私の実績は芳しくなかった。幸いたくわえがあったので、死なない程度に暮らすことはできた。

 莉央と暮らすようになったのは偶然だ。といっても、ほとんど私が押しかけるような形で住み着いたのだが……この辺りのことは思い出すだに恥ずかしい。まるでプロポーズのようだったから。


 夜食は美味しかった。莉央の作ったものならなんでもいいんじゃないかと言われれば、否定はできない。

「ありがと、莉央」

「どういたしましてっ」

 更ける夜に、私は心の中で吼えた。

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